かつて小笠原諸島は「ルー大柴」だらけだった? 多様な言葉が入り交じって生まれた「小笠原方言」とは
2020年10月10日
知る!TOKYO東京から約1000km離れた小笠原諸島。そこではかつて一世風靡(ふうび)したタレントのような方言が残っています。フリーライターの真砂町金助さんが解説します。
「小笠原方言」とは何か
日本語と一口に言っても、その方言はさまざまです。21世紀の現在、まったく理解できない方言はまず存在しませんが、それでも見知らぬ土地に行くと、頭の中が思わず「?」になりそうな方言が残っています。
東京の方言でまず思い浮かぶのは、「てやんでえ」で知られる江戸弁や、「~ざます」のような山の手言葉でしょうか。しかし広い東京には、もっと興味深い方言があります。それが「小笠原方言」です。
小笠原方言は小笠原諸島に属する父島や母島で使われている、欧米系の島民が話していた言語と日本語が混ざって生まれた方言です。

簡潔に表現すれば「日本語と英語のごった煮」なのですが、その形成過程はかなり複雑です。
190年前、父島に上陸した30人
1830(文政13)年、白人5人と太平洋諸島の出身者25人がハワイから父島に移住しました。

白人5人の出身はバラバラで、元々の母国語はイギリス英語、アメリカ英語、デンマーク語、イタリア語。太平洋諸島の出身者が話していた言語は知られていません。この30人は、英語と主にハワイ語が混合した言語を使っていたようです。
言葉は、コミュニケーションを取るために欠かせない道具です。そのため、言葉の異なる人間同士が出会った場合は、お互いの探り合いの中から言葉が生まれてきます。

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