蚊ニモ負ケズ、食中毒ニモ負ケズ――東京が「清潔な大都市」に生まれ変わった極めてシンプルな理由

新型コロナの出現で防疫が注目されるなか、日本人の衛生意識の変遷について日本ルポライターの昼間たかしさんが解説します。


東京は「常に清潔だった」は間違い

 新型コロナウイルスの流行で、日本人は長らく忘れていた防疫(伝染病の発生・流行を予防すること)を気にしなければいけない状況となりました。

 よく言われる「日本 = 清潔だから大丈夫」といった「常識」はもはや通用せず、さらに明治以降の歴史を見ても、実はそのような「常識」がまかり通っていた期間はほんのわずかだったのです。

清潔な現在の東京のイメージ(画像:写真AC)



 例えば、江戸時代後期にはやったコレラは日本で度々大はやりしています。地方の図書館にある地域資料をみると、どこでも明治時代にコレラが大はやりしており、自分たちの住む土地を「有名なコレラの流行地である」と書いた文献によく出会います。

 現在は健康被害の懸念によって多くが任意接種に切り替わっているものの、かつて小学校などでは集団予防接種が多く行われていました。全員への予防注射は、伝染病の発生・拡大がいかに大きな問題だったかを教えてくれます。

 恐ろしい伝染病などを防ぐために欠かせないのは、清潔な日常を送ることです。『品川区史 2014 歴史と未来をつなぐまち しながわ』(2014年、品川区)には、昭和20~30年代についてこんな記述があります。

「ハエと蚊の駆除と食中毒の防止は、この時期わが国のどの地域でも大きな問題であった。その原因は、未舗装道路の水たまり、ふたのない側溝、水洗化されていないトイレ、冷蔵庫の普及率の低さなどであった。それに加え、下水化した小河川、収集・処理が間に合わないほどのごみ量の増加など、都市特有の問題が品川区の場合も加わった」

 近年「江戸時代が豊かな時代だった」という歴史観が多数派を占めており、日本人は途切れることなく清潔な暮らしをしてきたかのような俗論がまかり通っています。しかし、実際にはそんなことはありません。近代以降、都市人口が増える中で、東京は圧倒的に汚く、マナーのない人たちであふれかえっていたのです。

脱・不衛生のために求められた生活改善

 昭和後期の映画や漫画などを見ると、おのずと理解できます。

 駅前で待ちぼうけしている人の足元にはたばこの吸い殻がいっぱいで、粗大ゴミはゴミ捨て場に置かれ、弁当の包み紙は丸めて足元に投げ捨てられている――これが当時の常識でした。また、下水などのインフラ整備が追いついておらず、街が汚れて不衛生になるのはある意味当然だったのです。

 戦後の公衆衛生対策は、連合国軍総司令部(GHQ)主導による全国でのジクロロジフェニルトリクロロエタン(DDT)の大規模散布にはじまり、1947(昭和22)年には国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)の設立に至ります。

 GHQ統治下では防疫活動は活発に進められ、感染症の原因となる蚊とハエ、シラミの駆除が全国で行われました。ところが、行政による駆除活動は予算が縮小したことで次第に衰退していきます。

清潔な現在の東京のイメージ(画像:写真AC)



 これに対して、全国では住民による自主的な駆除活動が活発化。1952年頃から活発になったこの活動は「蚊とハエのいない生活実践運動」として、1955年に国民運動とすることが閣議決定されます。

 この運動で実施されたのは、殺虫剤をまいて蚊やハエの発生を防ぐだけのものではありません。家庭の生活排水などが垂れ流しになり、たまった汚水にボウフラが湧いている状況を改善するといったような日常生活に直結したものです。

 例えば1960(昭和35)年には、日本環境衛生協会から『ハエ・カの発生源と生活改善』という解説書が発行されています(関なおみ「戦後日本の「蚊とハエのいない生活実践運動」-住民参加と国際協力の視点から 」『国際保健医療』2009年24巻1号)。

 ようは蚊帳をつったり、蚊取り線香や殺虫剤をまいたりするよりも生活改善を行ったほうが効果があることを常識とするところから始めなければならなかったのです。

 川崎市によるYouTubeチャンネル「川崎市映像アーカイブ」に、当時の様子を記録した映像があります。町内総出で害虫が発生するのを防ぐためにドブさらいしたり、草刈りをしたりしている姿は都内でもあちこちで見られました。

 この頃、日本環境衛生協会よって広められた『蚊とハエのいない生活の歌』では

♪ちっちゃな蚊とハエ 大きな悪魔
♪そりゃホントだ
♪いろんな病気の総元締めだ

と、歌われています。

 とにかく、蚊とハエの撲滅という常識を知らしめることは社会にとって必須のことだったのです。

組織された首都美化運動推進協議会

 でも、蚊やハエを撲滅するだけでは足りません。街そのものを清潔に保つ必要があります。そこで東京都では1954年に「街をきれいにする運動」を実施しています。このとき、東京都では『清ちゃん街を行く』とう広報スライドを作成しています。

東京都が1954年に発表した『清ちゃん街を行く』(画像:東京都公文書館)



 ここに映し出される東京の街は、川はゴミと汚水だらけです。空き地は勝手にゴミ捨て場になり、催し物の後には足の踏み場もないくらいにゴミが捨てられている様子が記録されています。

 そうした状況を改善するための運動は首都美化運動推進協議会を組織して、行政や町内会までを巻き込んだ大規模なものでした。実施された内容をみると中心は啓発活動です。単に呼びかけるだけでなく、東京都庁でも大掃除が実施されたりもしています。

 この施策は、都民に街を汚してはいけないという意識を持たせることに大きな効果がありました。1954年12月の世論調査では、「最近、街をきれいにする運動が行われていますが、今年は昨年に比べて、街はきれになったと思いますか」という設問に52%が「きれいになった」と回答しています(小野 美里『【研究ノート】東京都における「街をきれいにする運動」(昭和29年)に関する基礎的考察』『東京都公文書館調査研究年報』2018年第4号)。

 その後も1964年の東京オリンピックを挟んで、美化運動は継続し、インフラも整備されたことで東京は次第にきれいな街となっていきました。結局、防疫にはまず個人の意識が欠かせないことを歴史は物語っています。


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