そもそも「東京証券取引所」はなぜ兜町にあるのか? 大河ドラマ主人公「渋沢栄一」の強いこだわりとは【青天を衝け 序説】

“日本資本主義の父”で、新1万円札の顔としても注目される渋沢栄一が活躍するNHK大河ドラマ「青天を衝け」。そんな同作をより楽しめる豆知識を、フリーランスライターの小川裕夫さんが紹介します。

10月1日、システム障害で取引停止

 2020年10月1日(木)、東京証券取引所(中央区日本橋兜町)のシステムがダウン。その影響により、東京証券取引所で売買されている全銘柄が、終日にわたって取引を停止しました。

 東京証券取引所のシステム障害は今回が初めてではありません。しかし、終日にわたって取引が停止する事態は、1999(平成11)年の取引システム導入後では初めてです。そのために混乱を生じ、国内外を問わず多方面に影響を及ぼしました。

 株式売買や投資信託などを表す「資産運用」という言葉は、最近よく耳にします。これまでの日本人は、その多くが資産運用といってもなじみがなく、せいぜい預貯金ぐらいでした。

 しかし、超低金利時代に突入。利子もあまり付かなくなっているため、投資信託などの資産運用を考える人が増えているといわれます。

東京証券取引所。内部は見学も可能なので、株取引に興味を抱いた人たちが多く訪れている(画像:小川裕夫)



 それまでの日本では、資産運用に対する関心が高まっていませんでした。2015年に金融庁の実質的トップに就任した森信親長官(当時)は、「貯蓄から資産形成へ」というキャッチフレーズを掲げます。

 それによって資産運用に対するイメージも変わり、少しずつ株式売買や投資信託などへの関心が広がっていきました。

 森長官は就任以前から、NISA(ニーサ。少額投資非課税制度)の制度設計に携わっており、2014年からNISAはスタートしています。

 2016年からは「ジュニアNISA」、2018年からは「つみたてNISA」がスタート。これらも資産運用の機運を高める効果につながったとされています。

ネット取引により投資家が増加

 こうした資産形成への意識醸成やNISAをはじめとした制度づくりによって、投資を始める人への間口が広がりました。そして、それ以上に投資へのハードルを緩和したのが、インターネット取引の普及です。

 それまで株式売買などは、証券会社の窓口や電話によって取引されていました。それらがインターネットで可能になり、一気に株式取引は普及。そうしたことから、たくさんの個人投資家を生むことにつながります。

 東京証券取引所は1949(昭和24)年に設立されましたが、その前身でもある東京株式取引所は1878(明治11)年に開設。

 そのため、東京証券取引所は公式的な設立年を1878年としており、2018年には140周年の記念行事を挙行しました。

 東京証券取引所は、設立から現在まで一貫して東京・中央区の兜町(かぶとちょう)にあります。そのため、証券・銀行・金融といった業界関係者は東京証券取引所のことを“兜町”と符牒(ふちょう)で呼ぶこともあります。

東京証券取引所の入り口(画像:小川裕夫)



 今回のシステムダウンは、日本経済に大きな影響を及ぼしました。

 そんな多大な影響力を有する東京証券取引所ですが、丸の内や銀座、大手町、新宿といった東京都心部のオフィス街から離れた兜町にあることを不思議に思う人は多いのではないでしょうか?

渋沢栄一、兜町への熱い思い

 日本橋は江戸時代から続く老舗が並ぶ街ですが、兜町はそうした老舗が並ぶ大通りからさらに奥に入った場所です。

 兜町界隈(かいわい)は決して閑散としているわけではありませんが、それでも目と鼻の先にある日本橋・丸の内の喧騒(けんそう)と比べると、どうしても繁華街とは言い難い場所です。

 なぜ東京証券取引所は兜町にあるのか。それは、渋沢栄一が大きく影響しています。

 資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は、2021年に放送が予定されているNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」の主人公で、2024年からは1万円札で肖像に採用される予定です。その渋沢が、前身・東京株式取引所の設立に尽力しています。

渋沢栄一が主人公として描かれる、2021年の大河ドラマ「青天を衝け」(画像:NHK)



 第一国立銀行(現・みずほ銀行)などを設立した渋沢は、西洋に倣(なら)って日本にも会社設立のために資金を集める制度・組織が必要だと痛感。そうした動機から、東京株式取引所の設立を主導しました。

 東京株式取引所は渋沢の意向が強く反映されて設立されましたが、その立地にも渋沢の強い意思が込められています。

 渋沢は兜町に住居を構えていました。それは、兜町が将来的に東京のビジネス街になると予測していたからです。

 明治10年代、江戸時代に整備された道路や街並みを改造する計画が持ち上がります。多くの政治家は「東京を帝都にふさわしい都市にする」と考えていましたが、渋沢は「東京は商都を目指すべきだ」と主張しました。

順調に見えた兜町ビジネス街計画

 渋沢が描いた商都計画では、貿易港として栄える横浜を上回る東京港を整備することを提案。舟運(しゅううん)を考慮すると、その東京港は隅田川の河口に築かれることになります。つまり、渋沢の商都計画が実現すれば、兜町と国際貿易港・東京港が近接するのです。

 東京を商都にし、そして商都・東京の中心を兜町に据える。そんな考えを膨らませていた渋沢に追随するかのように、兜町では新興企業が次々と勃興しました。

 兜町で創業した企業には、第一国立銀行(現・みずほ銀行)・三井物産・中外物価新報(現・日本経済新聞社)などがあり、本社を置いた企業には明治生命(現・明治安田生命保険)などがあります。

 戦後にGHQが進める財閥解体で三井物産は解散。その後に再出発を果たしているので、戦前と戦後の三井物産は同じ会社名でも法的には継続性のない別個の企業と説明されています。しかし、現在の三井物産がこの流れを汲んでいることは明らかです。

 こうした大企業が集まったことで、渋沢が描いた兜町ビジネス街計画は順調に実現していきました。

渋沢栄一の出身地である埼玉県の深谷駅前には渋沢を顕彰するための銅像が建立されている(画像:小川裕夫)



 しかし、物流の主役が舟運から鉄道へと変わったことで動線は大きく変化しました。

 それに伴い兜町の地位は低下していきます。企業の多くは社屋を写しましたが、株式取引所は引き続き兜町のままで、その周辺には老舗の証券会社も多く残りました。こうした歴史的な流れが兜町の独特の雰囲気を形成していったのです。

 長らく兜町は証券の街として栄えましたが、取引がネット売買へと移行したことで街に大きな変化が訪れます。

新たな来訪者も集う街へと変化

 ネットでの株式取引では、わざわざ兜町に店舗を構える必要がないからです。時代的に証券会社の統合・再編といった変化も重なり、多くの証券会社が兜町界隈から姿を消してしまいました。

 往時に比べると、兜町界隈から“株”のにおいは薄くなっています。しかし、森信親長官の「貯蓄から資産形成へ」によって株取引に興味を持った人たちが、兜町に足を運ぶといった現象も見られます。

 株取引を始めたビギナーにとって、実際の現場を見てみたいという思いが強いからでしょうか。ネットの取引では数字が表示される画面とにらめっこするだけですが、実際に東京証券取引所を訪れると、人間が立ち会い、そこに息遣いを感じることができます。

 最近では、兜町界隈の街歩きツアーども実施されるようになっています。

※ ※ ※

 今回のシステムトラブル、そして2021年の大河ドラマで渋沢栄一がフォーカスされるのを機に、証券や金融、そして東京証券取引所のある兜町の雰囲気を味わうために散策・訪問してみるのもいいかもしれません。

 時代とともに社会が変わり、社会が変わることで街も変わります。

【ニュースでおなじみ】「東京証券取引所」の外観をチェック(5枚)

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