東京都心のあちこちで「お台場化」が進行している理由

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東京都心のあちこちで「お台場化」が進行している理由

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田中大介

日本女子大学人間社会学部准教授

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近年、東京の西岸付近の開発が進んでいます。その歴史と背景について、日本女子大学人間社会学部准教授の田中大介さんが解説します。

西岸付近で始まっている超高層ビルの林立

 品川区や港区の再開発は、2000(平成12)年前後から進んでいます。品川駅や田町駅など、超高層ビルの林立は近年、東京の湾岸地域の西岸付近でよく見ることができる光景になりました。

2018年5月に完成した「田町ステーションタワーS」(画像:(C)Google)



 そのような光景は、1968(昭和43)年に完成した霞が関ビルディング(千代田区霞が関)や西新宿に立ち並ぶ高層ビル群を考えると、50年前からすでにありました。ただし、2020年に開設された高輪ゲートウェイ駅周辺で計画された超高層ビルは4棟ですから、数がずいぶんと増えています。

 アーバンライフメトロが2020年1月に配信した記事「都内の高層ビルはどのくらい増えているのか?「変貌の20年」を辿る」で分析されているとおり、背の高いのビルがどんどんと増えていると感じている人は多いでしょう。

多様な人々が集まる街へ

 こうした大規模開発の背景には、1990年代後半、政府や東京都が不況打開のために都市再開発を推進し、都市計画法や建築基準法などの規制が緩和されたことがあります。

 また近年の超高層ビルの多くは、1980年代までに主流だった業務施設というより、

・商業施設
・娯楽施設
・宿泊施設
・文化施設
・集合住宅

などを併設・包含した複合施設となっています。それらはタワーマンションであり、ショッピングモールであり、テーマパークであり、コンベンションセンターであり、オフィスビルでもあるわけです。

 その結果、オフィスワーカーだけが出入りするのではなく、消費者、観光客、居住者、来街者など多様な人々が出入りできる空間になっています。ある意味、高く、大きなハコに「都市」や「街」が詰め込まれているといえるかもしれません。

レム・コールハース「S,M,L,XL+: 現代都市をめぐるエッセイ」(画像:筑摩書房)

 建築家のレム・コールハースは、既存の街に背を向けて、街を囲い込む大型建造物を「ビッグネス」と呼んでいます。

現代都市の特徴

 現代都市の特徴のひとつは、このような労働・購買・娯楽・宿泊・居住など多様な活動や機能を詰め込んだ巨大な「ハコ」が続々と建設されている点にあります。

 さらに、こうした高いハコの増加にあわせ、空間も広がります。オープンスペース、パブリックスペース、テラス、広場、庭園、遊歩道などさまざまな呼ばれかたをするスキマのような空間――公開空地です。

総合設計制度と公開空地(画像:国土交通省)



 1971(昭和46)年に制定された総合設計制度によって、公開空地を設けることで容積率の緩和が可能となりました。つまり、敷地内に公開空地を確保すると、より大きく高い建築物を建設することができるわけです。

 国土交通省『令和元年版首都圏白書』によれば、東京都の総合設計制度の許可数、および公開空地面積は、1990年代半ばから2010年代後半にかけて2倍近くに伸びています。これは同時期に高層建築が増えたこととパラレル(並行)だと考えられます。

 大ざっぱにいえば、大きなハコが高くなり、増えるほど、スキマも広がり、増えていく。逆もしかりというわけです。ビッグネスの空間といったレム・コールハースに倣うなら、「エンプティネス(空っぽ)」の空間とでもいえるでしょうか。

ハコとスキマを作ったお台場

 先ほどのような地域を歩いていると、こうした大きなハコと広いスキマで構成された都市景観に私たちがだんだんと慣れていっているということに気づかされます。

 東京において、こうした「ハコとスキマの都市景観」の先鞭(せんべん)をつけた場所のひとつは臨海副都心――お台場を中心とする埋め立て地です。

 開発計画自体は1980年前後から存在し、建設が進んだのは1990年代以降です。臨海副都心は、東京港埋め立て地10号地・13号地という新しい埋め立て地でしたから、既成市街地よりも自由に、新しく大きな施設――タワーマンション、テーマパーク、ショッピングモール、コンベンションセンター、オフィスビルなどの巨大なハコを建設することができました。

1990年頃のお台場の航空写真(画像:国土地理院)

 現代的なハコとスキマの都市は都心部の湾岸地域の対岸――臨海副都心で先んじて現れてきたといえるでしょう。もちろん、それ以前の湾岸周辺には

・八潮団地
・辰巳団地
・豊洲団地

および近隣の商業施設・公共施設などがあります。

 また、バブル前後には地上げが活発化し、倉庫や物流施設を転用したロフト文化も形成されました。しかし、1990年代以降の都市再開発では、商業化・観光化が進み、建造物としても大型化・新築化しています。

「お台場化」する都市

 このようなハコとスキマの都市景観を作り出すことは、土地の権利が複雑な既成市街地が広がる都心部では容易ではありません。しかし2000年代以降、都心部でも工場、倉庫、貨物・交通施設の跡地などを利用する形で大規模開発が進みました。

 例えば天王洲アイル(品川区)の開発がすでにありましたが、その後、汐留シオサイト(港区)、品川シーサイドが開業しています。

 最近では冒頭の高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発です。また、港区の湾岸地域の反対側では六本木ヒルズ(港区六本木)、東京ミッドタウン、赤坂サカス(ともに同区赤坂)、虎ノ門ヒルズ(同区虎ノ門)などの大規模開発が別の形で進んできました。

品川シーサイド(画像:(C)Google)



 銀座などの都心の市街地は、街路が広がり、そこに店舗が連なる、いわば「街路と路面店の街」として存在しています。百貨店やオフィスビルも多くありますが、それらを縫うようにして広がる街路や路面店が街の魅力を形作ってきました。

 一方、お台場に行くとどうでしょうか。大型商業施設のなかで快適に過ごしつつ、外に出ると抜けの良い空間が広がっています。ただし、路面店や路地は多くありません。

 東京の湾岸地域の左岸で現在、拡大しているのはこうしたハコとスキマの都市なのです。街路と路面店の街からハコとスキマの都市へと変容していくこと、そして臨海副都心のような都市が、都心部に広がること――これを「お台場化」する都市と呼ぶなら、皆さんはどのように感じるでしょうか。

未来の東京の行方

 都心部は密度がある、歴史的な蓄積も厚い、だからお台場のような埋め立て地と同じように語るのはナンセンス――そのように考える人も多いと思います。

 また、上記のような大型開発が増えれば増えるほど、路地や横丁の魅力も再発見され、息の長い歴史を新たな形で紡いでいくことになるでしょう。

東京の湾岸エリア(画像:写真AC)

 とはいえ、江戸時代には銀座近くまで海岸線があり、その周囲の多くはもともと埋め立て地でした。また、湾岸地域や都心部の再開発は、都心回帰や再都市化と呼ばれる人口移動や居住形態の大きな変化のひとつです。工場・倉庫の跡地が利用される例が多いように、第2次産業から第3次産業への構造転換の帰結でもあるのです。

 そう考えると、ハコとスキマの都市は、今後、どこまで都心部へと食い込んでいくのでしょうか。20世紀後半からの大きな変化のなかで見たとき、このような都市もひとつの歴史を作っている途中なのかもしれません。

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