用がなければ行かなそう――新宿東部・牛込エリアは「23区の秘境」なのか?
地元民は自らを「牛込住民」と認識 東京23区は狭いようで広いもの。10~20年と暮らしている人でも、訪れたことのないエリアは結構あります。 新宿東部の中でも極めて「秘境度」が高い山吹町の様子(画像:昼間たかし) 中でも、23区屈指の「秘境」といえるのが、新宿区東部の牛込エリアです。神楽坂の近辺は観光地で訪れる人が多いものの、それ以外となると事情が異なります。 現在、一般的に「牛込」として扱われるのは、旧牛込区の中でも早稲田や戸塚の除いたエリアです。特に周囲を坂に囲まれた台地上の部分は、江戸時代より武家地や寺社地として発展してきた新宿でも、古くから栄えて来たエリアです。 いわば東京の中でも「本物の山の手」とされるのが、このエリアです。それゆえ、自分たちを新宿区民よりも「牛込住民」として認識している人は今でも多いのです。 そんな強固な地元意識の結果、古くからの町名が現役で使われています。地図を見ると二十騎町(にじっきまち)とか払方町(はらいかたまち)、北山伏町(きたやまぶしちょう)とか江戸時代から続く町名が数多く残っているのがわかります。 そればかりか、江戸時代の地図と照らし合わせると、道がそのままというところも多いのです。数は少なくなりましたが、現在でも古い洋館が残っていますし、田園調布よりも迫力のある豪邸が建ち並ぶエリアまであります。 かつては「陸の孤島」だった そんな歴史あるエリアなのに「秘境」となっているのは、長らく交通の便が悪い「陸の孤島」となっていたためです。とくに、都営大江戸線の牛込柳町駅のあるあたりは都営大江戸線が開通した2000(平成12)年までは、山手線の内側なのにエリアに鉄道駅がありませんでした。 都営大江戸線の牛込柳町駅周辺の様子(画像:昼間たかし) この交通の便の悪さは古くから語り草になっていました。1930(昭和5)年の『牛込区史』には、交通機関が「区内には都電を除いて見るべきものがない」と記されています。しかし、この都電13系統(抜弁天から新宿駅へと向かう)も高度成長期には廃止されてしまいました。その後、都営大江戸線の開通まで、このエリアは完全に陸の孤島となっていたのです。 家賃は安めでも、地番が複雑すぎ家賃は安めでも、地番が複雑すぎ さて都営大江戸線の開通から20年あまりが経ち、牛込柳駅周辺にマンションもいくつかできました。外苑東通り拡張のため、道路沿いの区画整理も進んでいます。それでも、街の雰囲気に大きな変化は見られません。戸建て住宅が多く、大規模な再開発が困難なことがその理由といえます。 牛込柳駅の場所と「陸の孤島」を変えた都営大江戸線(画像:Google) その「秘境」感ゆえに、新宿区内だというのに家賃は安め。山手線の内側で暮らしてみたいという人には、おすすめのエリアです。ただ、実際に住んでみると、このエリアならではの問題もあります。それは地番が複雑なことです。前述の通り、旧町名を維持していてるため多くのエリアでは住居表示が実施されていません。 そのため通常は1から順に並んでいるはずの住宅の地番が、1の次が5だったり10だったりするのは当たり前。土地勘があるはずの郵便局や宅配便が「家はどちらでしょうか」と電話してくることもしばしばです。デリバリーも同様に、どんなに丁寧に住所を説明しても絶対に電話が掛かってくるので、準備したほうがよいでしょう。 天神町と山吹町は「都会のエアポケット」 そんな新宿東部の中でも極めて秘境度が高いのは、天神町から山吹町にかけての一帯だと思います。その理由は幹線道路から外れ、人が集まる施設や観光地もなく、都民でも足を踏み入れたことがない人が多いからです。 このエリア、実は昔から秘境だったというわけではありません。かつて新目白通り沿いには都電が走っており、交通の便に優れた便利だった時代もあります。当時走っていた都電の一つ、15系統は茅場町から高田馬場駅前までを繋いでいて、都心へも今よりも便利にいくこともできました。 新目白通り付近の様子(画像:昼間たかし) そんな新目白通り近くに暮らす、戦前生まれの住民にこんな話を聞いたことがあります。 「父親が神田から引っ越してきて、商売をやっていたんです。その頃は、店は都電の停留所の前という好立地だったんです。今では、駅から遠い不便な場所ですが……」 少し歩けば早稲田大学の学生街や神楽坂の繁華街があるというのに、このエリアだけは都会のエアポケットになっているのです。 「同じ新宿区でも歌舞伎町なんかとは随分違います。犯罪もありませんし、住むには安心ですよ」(前同) 業務スーパーのオープンで便利に業務スーパーのオープンで便利に なにもないことが最大の特徴だった「秘境」も、いまは変わりつつあります。変革をもたらしたのは、東榎町に出来た一軒の店です。 神楽坂から早稲田方面へと坂を下り牛込天神町交差点を越えた先。神楽坂の華やかな雰囲気が完全になくなるあたりにできた「業務スーパー新宿榎店」がそれです。このチェーンはその名の通り、多くの商品がキロ売りされている便利な店として知られています。 新宿区東榎町の「業務スーパー新宿榎店」周辺の様子(画像:昼間たかし) しかしこのチェーンが進出するのは郊外の人口が多いエリアで、都心部では極めてレアな存在です。23区で見てみると千代田区や港区には進出しておらず一店舗もありません。都心部では、新宿区以外で渋谷区に笹塚店があるくらいです(なお、新宿区は需要があるのか計3店舗も)。 家賃は比較的安めの新宿区東部ですが、山手線の内側ということもあってかスーパーは高級志向の店舗が主流でした。そのため、「家賃は安くてもエンゲル係数が高くなってしまう」という問題点がありましたが、その問題点が次第に解決されつつあります。 なぜか「秘境」にあるモルドバ共和国大使館 そんな新宿区の「秘境」には、ひとつ「なぜ、ここに?」という施設があります。前述の業務スーパー新宿榎木店の並びにある、モルドバ共和国大使館(新宿区榎町)です。 モルドバ共和国大使館のある新宿区榎町(画像:Google) モルドバは、旧ソ連が崩壊した後に独立した、ウクライナとルーマニアに挟まれた小国です。ワインの産地であり日本にも多く輸出されていますが、大抵の人は「モルドバって、どこ?」と頭に疑問符が点灯するでしょう。 もしも異性とワインを飲んでいてモルドバの名前を出したときに、「ああ、首都はキシナウね」と相手が即答したら、その場で結婚を申し込んだほうがよいほどのマイナーな国です。ちなみに都内には1軒だけ、葛飾区の金町にモルドバ料理店があります。 大使館というのは麻布とか青山のようなエリアに多いもの。新宿区の、それも「秘境」にあるというのは、妙な感じがします。それでも、ちゃんと大使館らしく小さなビルの玄関にモルドバの国旗が掲げられているので、とても目立ちます。 江戸時代そのままの道が連なり、独特の雰囲気を残す新宿区東部。歩けば色々な発見があります。
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