神社1階になぜか居酒屋が――混沌と猥雑の迷宮街「鶯谷」をゆく【連載】東京色街探訪(5)
かつて「色街」として栄えた東京・鶯谷は、形を変えながら今もその足跡を色濃く残す街。紀行ライターのカベルナリア吉田さんが鶯谷の過去と現在をたどります。昭和が香る駅舎から散策スタート JR山手線の鶯谷駅で降りました。南口改札に向かう通路の屋根や柱は……木造? そして改札を出て振り返り、改めて駅舎を見て、その簡素な佇まいに驚きます。 昭和を感じさせる駅舎を出ると、北口前には大衆居酒屋の数々(画像:カベルナリア吉田) 瓦葺き三角屋根の駅舎は、まるで昭和の一軒家。東京の大動脈・山手線の、しかも上野の1駅隣に、こんな駅が残っているなんて。 駅は高台にあり、南西側は台東区上野桜木町。徳川家の鎮守である寛永寺があり、周囲にその子院も点在する閑静な寺町です。一方の北東側は谷底のように低く、眼下遥かをJRの線路が何本も通り、その向こうの「下界」に街が広がっています。 こちらは一転して住宅とビルがひしめき、そしてホテルが何軒も建っています。といっても全国チェーンのビジネスホテルは少なく、なんだか大人な雰囲気の建物ばかりです。 鶯谷は東京を、そして日本を代表する一大ホテル街。吉原も近く「東京きっての色街」と言っても、過言ではありません。 昔はウグイスが鳴く「根岸の里」昔はウグイスが鳴く「根岸の里」 寛永寺に手を合わせつつ、寺町を軽く周り、線路に架かる「寛永寺陸橋」を渡って北東側に降ります。降りた先には鶯谷駅の北口があり、そして駅前はホテルだらけです。 鶯谷駅の南西側にある寛永寺(画像:カベルナリア吉田) 実は「鶯谷」という住所はなく、ホテル街を含む北東側一帯は「台東区根岸」です。昔は自然が広がり、ウグイスも鳴くのどかな場所で「根岸の里」と呼ばれていました。 明治時代には日本橋商人の別邸が立ち並び、街が作られますが、第2次大戦で大きな被害を受けました。そして戦後は地方から仕事を求めて、多くの人々が列車で東京に来ますが、着いたところで仕事も家もありません。 そんな彼らのため上野に簡易宿が並び、上野だけで収まりきらず、鶯谷にも宿が立ちます。 戦後の混乱は数年で収まり、そして高度経済成長期から東京オリンピック(1964年)。鶯谷の宿も観光客で繁盛しますが、オリンピックが終わると客足も途絶えます。 そうして残った宿がいつしか――連れ込み旅館になったのは、人間の業(ごう)がもたらす自然の流れだったのでしょうか。昭和40年代の鶯谷は、瞬く間にホテル街になりました。 芸者遊びを楽しむ「三業地」があった芸者遊びを楽しむ「三業地」があった そんな一大ホテル街にも「根岸の里」の痕跡が残っています。まずは正岡子規さんの邸宅を再現した木造住宅「子規庵」。子規さんは晩年をここ根岸で過ごし、亡くなる直前まで活発に俳句を詠み、創作活動に集中したそうです。 子規庵の近くには、林家三平さんのご実家があり、一部を資料館として公開中。ただし子規庵ともども訪ねたとき(2021年1月)は、新型コロナの影響で閉館中でした。状況が改善したら、再訪したいものです。 正岡子規の邸宅を再現した「子規庵」の塀(画像:カベルナリア吉田) 駅を背にして北に進み、根岸3丁目の裏道に入ると、柳並木が連なる通りに出ます。道沿いには高級寿司屋に大正時代創業の洋食屋、いかにも年季の入ったせんべい屋など老舗が数軒、何やら風情が漂います。 道は「柳通り」で、大正時代から三業地があり、バブル期にかけてにぎわったそうです。 「置屋」「待合」「料亭」の「三業」がそろう花街で、男たちは芸者遊びを粋に楽しみました。ホテル街ができるずっと前から、鶯谷・根岸には色街があったんですね。 周辺にはさらに、ふぐ料理屋や豆菓子屋など老舗が点在します。三業地だったせいか高級な料理店や、芸者さんへの手土産に使う菓子屋が多かったようで、当時からの店が今も続いているようです。少し離れた場所には、江戸末期創業の居酒屋もあります。 というわけで、せっかく元・三業地まで来たから、老舗に突入してみようと最初は思いましたが……何となく自分には敷居が高い感じがして、結局入りませんでした。もちろん皆さんは入ってくださいね。 そして夕暮れが迫る中なんとなく、駅前の猥雑な雰囲気が恋しくなり、足は自然とホテル街方面に向かいました。 夕暮れどきのホテル街に潜入!夕暮れどきのホテル街に潜入! ホテル街入り口の飲み屋小路「朝顔通り」から、入り組んだ路地に入ります。小さな居酒屋がひしめき、焼き鳥を焼く煙が漂い、日没を前に飲んでいる人もチラホラ。 でも居酒屋を横目に進むと突然、目の前にホテルが連なりだします。そして飲み屋街とホテル街の境目に「鶯谷公園」があり、夕暮れにしては人がたくさんいます。不自然に佇み、スマートフォンを操作する人が目について、なんだか妙な感じです。 バビューン! 公園をボケーッと眺めていたら、背後を自転車が豪速で通過して驚きました。乗っていたのは女性で、片手にスマホを持ち、しゃべる言葉は韓国語。 最近の鶯谷ホテルはカップルよりも、お仕事の韓国女性を呼んで使う人が多いとか。公園でスマホをいじる人の中にも、どうやら「待ち合わせ」の人が少なくない様子です。 そんなホテル街に突然、神社の鳥居がそびえ立ち、再び驚きます。愛媛県の大三島町に本社がある元三島神社で、天照大神の兄神・大山祇命(オオヤマヅミノミコト)を祭神としているそうです。 元三島神社の鳥居。“1階”には居酒屋が(画像:カベルナリア吉田) 由緒正しい雰囲気で、ホテルが立ち並ぶ以前から、ここにある様子。ホテルに挟まれ、自転車が行き交う路地も、かつては参道だったのかもしれません。 階段を上り、2階の高さにある本社に手を合わせました。そして再びホテル街に戻り、路地を抜けると、そこはもう鶯谷駅北口です。 駅前には大衆居酒屋がズラリと並んでいます。神社の1階も居酒屋(!)で、メニューを見ると300円、400円の手ごろなツマミがいっぱい。 鶯谷の「たくましさ」を思いつつ鶯谷の「たくましさ」を思いつつ 江戸時代創業の居酒屋より、あくまで僕には大衆居酒屋が似合っています。適当な1軒に入ると「お好きな席どうぞー」と声がかかりました。 昔から根岸に住む人の中には、ここが「ホテルの街」になったことを、よく思わない人も多いと聞きます。ただ一方で街の形態を変えながら「色街」であり続ける、今の鶯谷の「たくましさ」に、不思議な居心地の良さも覚えます。 かつての「根岸の里」、今を生きる現役の色街「鶯谷」。錯綜する歴史を感じつつ、思い思いの散策を楽しんでみてほしいですね。 一杯飲んで店を出ると、ホテルの看板が7色に灯り、夜空を華やかに彩っています。これからこの街の「夜の部」が始まるんだなあと思いつつ、寄り道はせず(本当です)鶯谷をあとにしました。
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