令和時代に一体なぜ? 浅草「演歌の聖地」に女性が詰めかけるワケ
2020年8月18日
知る!TOKYO一見古臭くて、若者が聴かなさそうな演歌。しかし浅草の老舗レコードショップ「ヨーロー堂」には近年、女性客が増えているといいます。いったいなぜでしょうか。フリーライターの立花加久さんが解説します。
比較的新しい音楽ジャンル
かつて、歌番組の司会者の決まり文句は「歌は世につれ世は歌につれ」です。
時代に寄り添いながら今も残る詩歌や民謡、さらには戦後彩った「懐メロ」、そして1980年代の歌謡番組で歌われたヒット曲など、全てが時代を映し出す流行歌でした。
そんな流行歌の中で、現在でも一定の支持を集めているのが「演歌」です。
演歌と聞くと、ずいぶんと古くからある音楽ジャンルと想像されがちですが、誕生したのは高度経済成長期にあたる1960年代後半で、意外にも新しい音楽なのです。
ロックやラップのような反骨精神
ただ、この演歌という名前自体は、明治生まれです。当時の自由民権運動の活動家が、反政府的な言葉を音楽にまぶし、リズムをつけて歌い、民衆に訴えたのが始まりです。
当時の演歌は「演説歌」であり、現在で言うところのロックやラップのような存在だったわけです。しかし社会が安定するに伴い、演歌の役割も廃れ、時代の流れに埋もれていきます。
しかしこの演歌が新しい役割をまとい、高度経済成長期の社会に再び登場します。
その役割は、時代に取り残された社会的弱者の戸惑いと恨みとねたみ、そして旧来のしきたりを懐かしむ心情を癒す「鎮魂歌」としてでした。
時代の不条理に対して抱く切なさを、これでもかと声をビブラートさせて強調する、いわゆる歌唱法「コブシ」もこのときに確立されました。
おすすめ

New Article
新着記事
Weekly Ranking
ランキング
- 知る!
TOKYO - お出かけ
- ライフ
- オリジナル
漫画