東京に紅茶を作る男がいた 2018年グランプリで金賞、悩める「都市農家」が見た一筋の光

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東京に紅茶を作る男がいた 2018年グランプリで金賞、悩める「都市農家」が見た一筋の光

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ダージリンやアッサム、スリランカーー。紅茶の産地として、これらの地名が真っ先に思い浮かぶ人は決して少なくないでしょう。紅茶に少し詳しい人なら、ケニアやインドネシアの名前も上がるかもしれません。しかし日本国内、さらには東京都内で紅茶が作られていることを知っている人がどれだけいるでしょうか。

紅茶グランプリでの熱狂

「地元農協さんからこんなお祝いを頂き感謝感謝です!」

 2018年10月26日(金)、ツイッターのある公式アカウントでこんな喜びの声が発信されました。添付された写真には大きな祝い花。その真ん中に刺さった立札には、赤と黒の文字でこう書いてあります。

「祝 国産紅茶グランプリ金賞受賞 木下園製茶様 JA東京みどり東大和支店」

 4日前の22日(月)には、グランプリの審査会場らしき写真とともにこんなつぶやきも。

「10月20日は国産紅茶グランプリの出品者と一般審査部門への参加させて頂きました!今年の出品茶もレベルがアップしてましたね!」

 感動や興奮を表す感嘆符の2度使い。文末には「#国産紅茶」「#東京紅茶」「#東京都特産品」「#東京限定」「#東京みやげ」「#東京のイイシナ」と、6つのハッシュタグを付けるほどの熱の入れようです。

国産紅茶グランプリ2018の決勝戦の様子(画像:木下園製茶工場)



 この公式アカウントの名は「東京紅茶」。つぶやいている「中の人」は、木下修一さんです。木下さんは東京都の中央に位置する東大和市で、生の茶葉から製品加工までを一貫して行う木下園製茶工場(同市清水。以下木下園)の代表を務めています。木下さんがつぶやいていたのは、愛知県尾張旭市で10月20日(土)に開催された「国産紅茶グランプリ2018」の決勝戦についてでした。

 国内で製茶された紅茶の味を競う同グランプリが始まったのは2015年秋で、今回で4回目。グランプリは一般販売されている製品が対象となる「プロダクツ部門(市販茶部門)」(応募38点)と、その有無を問わない「チャレンジ部門」(同50点)のふたつから成り、9月の予選を勝ち抜いた各部門10点の製品が決勝戦に駒を進めました。

東京紅茶「2019年はグランプリを狙える」

 木下園は今回、国産紅茶専用の茶樹「べにふうき」の若芽を使った「東京紅茶」を、プロダクツ部門に出品。一般審査員を含めた68人に手摘みの独特な香りが評価され、冒頭のつぶやきのとおり見事金賞に選ばれたのです。金賞はグランプリ・準グランプリ・審査委員長賞に続く賞です。

「国産紅茶の質はこの数年ですごくレベルが上がっています。今回はどの作品がグランプリをとってもおかしくなかった。そんななか、木下園さんはグランプリの初回から入賞していて、しかも順位が少しずつ上がっています。『自分は東京で紅茶を作るんだ』というこだわりがひしひしと伝わってきますね。来年はグランプリや準グランプリあたりを狙えるでしょう」

 グランプリ実行委員長の堀田信幸さんは木下園の東京紅茶をこう評します。

授与された賞状を手にするグランプリ参加者たち。後列右2番目が木下さん(画像:尾張旭市観光協会)

「初回から入賞」「グランプリを狙える」――。一聴したところ、全てが順調に進んでいるように見える木下さんの「紅茶道」ですが、その裏には隠された苦悩や葛藤がありました。まずは、そのルーツから木下さんに聞きました。

茶摘み唄「味は狭山でとどめさす」

 1916(大正5)年、ダム湖である村山貯水池の建設にともない、木下さんの祖父は北多摩郡大和村(現在の東大和市)から新たな農地を求めて、現在の木下園が店舗を構える場所に移ってきました。祖父は本業である野菜栽培のかたわら、茶葉の栽培も開始。それから33年後にあたる1949(昭和24)年、本格的に製茶業に取り組み始めました。

「東大和市は平地で風が強いですから、作物の風よけとして、多くの農家がお茶の木を植えていました。ですから皆さん、家族で飲む分のお茶は自分たちでまかなっていたんですよ。うちの祖父が本格的に始めたのは知り合いから製茶機を譲ってもらったからです。自分たちで植えた茶葉だけではなく、周囲の農家からも買い取ったりして。まぁ、本格的といっても、当時はまだまだ野菜栽培との兼業だったんです」(木下さん)

多摩湖の通称で呼ばれる村山貯水池(画像:画像AC)



 現在の東大和市から武蔵村山市、瑞穂町にかけての西多摩エリアは、江戸時代から狭山茶の生産が行われてきました。同エリアの狭山茶は、埼玉県西部で生産される狭山茶と区別するために、昭和中期から「東京狭山茶」と呼ばれています。

 茶摘みは春と夏の2回行われ、うま味の強いお茶といわれています。「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」という茶摘み唄があるほどです。

父親の死後、残された3000坪の茶畑

 木下さんが父親から3代目を継いだのは1992(平成4)年、25歳のとき。それは突然訪れました。

「父親が亡くなったんです。それまでは建設業で付帯設備の設計、施工管理をやっていました。もともと製茶業を継ぐ気はまったくなかった。自分がどこまでやれるか分からなかったし、相続税を払うために茶畑以外の農地も手放さなきゃいけなくて……でもよく考えたら、職人さんを当時2人雇っていましたし、これまでずっとお茶を作っていたのにもう辞めますなんて……言えませんよね。ですから、もうやるしかないなと腹を決めて、茶畑以外の農地も無くなったこともあって、私の代から製茶専業にしました。専業の歴史は意外と短いんですよ」

 現在、木下園の茶畑は東大和市内に3か所あり、全てを合わせると計3000坪(約9900平方メートル)だといいます。

東大和市の木下園の販売店の外観と店内の様子(2018年10月5日、國吉真樹撮影)

 そのような事情から家業を継ぐことにした木下さんですが、当然製茶の技術を知りません。そのためイロハを学ぶべく、静岡県岡部町(現在の藤枝市)の製茶工場に2年連続で4月下旬から5月上旬までの間、住み込みで修業しました。茶摘みから製造の技術まで必死になって学んだといいます。

 緑茶は生茶葉を蒸し、もみ、乾燥することで作られます。この工程を、木下さんは職人の見よう見まねで繰り返し練習しました。東大和市に戻ってからも、その成果を試す日々が続きました。しかし、修行先で覚えた技術は東大和市でそのまま使えるわけではなかったといいます。気候が大きく異なるからです。

「静岡は温暖なので葉肉が薄く、狭山茶の葉肉は厚い。葉は摘んだあとすぐ蒸すのですが、静岡のものは薄いから10秒ぐらいで蒸せるんです。でも狭山茶の葉は15秒ぐらいかかる。手もみの作業にしても同じ。葉肉が厚いともむのに力がいるんですよ。その加減が全然違う。しかも葉のコンディションは毎年変わりますから、それも考えなくちゃいけない。静岡で学んだ技術を狭山茶に合うよう、少しずつ馴染ませていったわけです。跡を継いで25年間ぐらい経ちましたが、このときの苦労は今でも役に立っていますね」

 以来、木下さんはただひたすら緑茶を作ることに心血を注ぐようになりました。

工場内の様子と、茶葉をもむ揉捻機(じゅうねんき)(画像:木下園製茶工場)
茶葉を発酵させている工程(画像:木下園製茶工場)

 そんな木下さんが紅茶に関わるようになったのは、2001(平成13)年の初頭のこと。熱狂的な紅茶ファンの知人男性から突然話を持ち掛けられたのです。

「木下さん、簡単だから紅茶作ってみない?」

「こんな飲みやすい紅茶ができるのか」と自ら驚く

 緑茶作りには自信のあった木下さんですが、当時は紅茶の作り方すら知らなかったといいます。そもそも紅茶の「イガイガして、喉に引っ掛かる感じ」が嫌いで、これまでにティーバッグすらほとんど触ったことがなかったほど。しかし知人からの提案ということもあり、男性に紅茶の製造方法を聞き、3か月後から試作品作りに取り掛かりました。

これまでの25年間を振り返りながら話をする木下さん(2018年10月5日、國吉真樹撮影)



 紅茶の作り方は緑茶と異なり、葉を摘んだ後に蒸さずに、18時間から24時間ほどしおれさせて水分を抜きます。その後にもんで、発酵、乾燥を経て完成です。

「試作し始めのころでしょうか。発酵の段階でとても強い香りがしたんですね。良い香りなのですが、緑茶をこれまで作ってきた身からすると、こんなに香りが立ってしまっていいのかと不安になったんです。で、その気持ちのまま試しに飲んでみたら、驚きがそれ以上で。外国産の紅茶と比べると口当たりが優しく、喉にまったく引っ掛からなかった。こんな飲みやすい紅茶ができるのか、これはお店に置いたら売れるんじゃないかと直感しました」

お湯出し、水出しそれぞれで入れた「東京紅茶」(2018年10月5日、國吉真樹撮影)

 同年10月。試作品を小袋に入れて、来店客に無料で配り始めた木下さん。後日感想を聞くと、そこには自分自身と同じことを口にする人たちの姿が。

「この紅茶、本当に飲みやすいね」

年間生産量は300kgまで増加

 自分の直感に確信を得た木下さんは翌年の2002(平成14)年、「和紅茶」の名で販売を開始。2006(平成18)年に「東京紅茶」に変更したのち、2008(平成20)年ごろから地元NPOと協力し東京のご当地紅茶としてブランド化に注力するように。2012(平成24)年に商標登録を行ったことで、東京都の地域特産品認証食品に認証され、都のイベントなどに出品できるまでに成長しました。

 2018年現在、「東京紅茶」の生産量は年間300kgにまで伸びているといいます(緑茶は1.5t)。

「和紅茶」時代のパッケージと「東京紅茶」の初代パッケージ(2018年10月5日、國吉真樹撮影)

 こうして実績を積み上げてきた木下さんですが、日に日にお茶と生産地の関係について思いをはせるといいます。

「日本の茶葉を紅茶にすると、海外のものと比べて渋みや香りが弱くなります。葉のうま味成分が強いため、発酵を軽くせざるを得ないからです。逆に海外の茶葉を使って緑茶を作ったら、渋くて飲めたものではありません。日本の茶葉を使った紅茶にミルクや砂糖を入れると繊細さゆえに味が負けてしまう。逆に海外の紅茶は入れると味が引き立ちます。もとが渋いので。そういったことから、お茶というものはその地方に適した原料と加工方法がある。お茶は土地と一体なんですよ」

木下園に並ぶさまざまな「東京紅茶」のラインナップ。右奥の黒と紫のパッケージが「国産紅茶グランプリ2018」で金賞を獲得した「東京紅茶」(2018年10月5日、國吉真樹撮影)

 話の内容は次第に、紅茶から農家の在り方までに及んでいきます。

「現在は妻、母親、妹の家族4人で仕事を回しているのですが、私はこの環境がとても好きで。自分たちで茶葉を育てて、加工し、販売するというこのサイクルを壊したくないんですね。もっと稼ぐことはできなくもない。でもこのサイクルを壊してまでやろうとは思いません。東京紅茶がもっと広まるよう、可能な限りの努力はしますけどね。もともと先代から引き継いだ土地を耕して、商売して、地域の人たちに支えてもらっている気持ちが強いんです、私は。商人というより農家、その気持ちが強すぎるのかなぁ」

農業に対する思いについて、言葉を選びながら話す木下さん(2018年10月5日、國吉真樹撮影)

 農家として、東大和という土地へのそういった愛着をにじませつつも、木下さんは製茶業の置かれた現実を忘れてはいません。

「今でも生産量でいったら、緑茶の方がまだまだ多い。でも緑茶の飲まれる機会って、本当に減っているんですよ。ですから今後、紅茶の生産割合を増やしていくかもしれない。とにかく時代に合わせるしかない。私は製茶業の家にたまたま生まれ育ったから、このフィールドで頑張るしかないけど、大変な時代です。

 そういうことをひっくるめて、9歳の息子に4代目を継いでほしいとはなかなか言えませんよ、面白いけど大変な世界だから。自分も初めは継ぐ気が無かったし。継いでくれたらうれしいですけどね……私も今は元気だけどいつ死ぬか分からないじゃないですか。そうしたら同じように土地の相続もまた起きる。これ以上茶畑が減ったら、製茶業で食べていくのは正直厳しいです。最悪、廃業でも構わないと思っています。でもね、そういった現実はあるのだけれども、自転車で、自動車でお店に来てくれるお客さんのことを考えるとね、頑張らなきゃって思いますよ。長く長く支えてもらってきたわけですから」

未来への希望を忘れない

 11月1日(木)の「紅茶の日」、立川市の農畜産物などを取り扱う「ファーマーズセンターみのーれ立川」(同市砂川町)内にあるカフェ「みのーれCafe」で、「東京紅茶ソフトクリーム」の販売が始まりました。

「東京紅茶ソフトクリーム」とその看板(画像:木下園製茶工場)



 東京紅茶と、同じく都の地域特産品認証食品である「東京牛乳」がコラボした商品で、同センターでの販売を皮切りに、高速道路のパーキングエリアやイベント会場などでの取扱いも予定しているそうです。評判は上々で、「風味豊か」「子供にも受ける」という声をもらっているとのこと。

「東京紅茶もそうですが、都内にも農畜産業があることをもっとPRしていかないとね」

 そう話す木下さんの顔は、先ほどの苦悩と葛藤がにじみ出た表情から解き放たれ、明るい未来への希望が浮かんでいるように見えます。

木下園にはためく東京紅茶ののぼり(2018年10月5日、國吉真樹撮影)

 都市型農業に突き付けられた現実と製茶業の衰退。そのような苦境にありながらも、夢をあきらめず、グランプリでの金賞受賞の喜びをツイッターで爆発させるその力は、東大和という土地と深くつながり、また木下さんの根源的なエネルギーとなっているのではないのでしょうか。

●木下園製茶工場
・住所:東京都東大和市清水5-1089-1
・アクセス:西武鉄道多摩湖線「武蔵大和駅」から徒歩約14分
・営業時間:9:00~20:00
・定休日:第1・第3火曜

※掲載の情報は全て2018年12月時点のものです。

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