「東京がなんぼのもんじゃい!」 大阪人がいまだ諦めない「東京打倒計画」と地元復興

「東京 対 大阪」という構図は、近現代の日本において欠かすことのできない活力を生み出してきました、2020年現在、経済分野で後塵(こうじん)を拝す大阪ですが、その胸の内やいかに――。大阪出身・東京在住のフリーライター神田桂一さんが、彼らの思いを“代弁”します。


大阪が思い描いてきた夢の軌跡

 僕(神田桂一。フリーライター、文筆家)は1978(昭和53)年生まれの41歳。僕が生まれ育った大阪は、僕が幼少の頃、一種独特な空気が流れていました。それは、東京という都市に対する異様な対抗心でした。

 あのような空気は、今の大阪にはもうありません。それは、東京一極集中が進んだのと同時に、大阪が衰退し、とてもじゃないけど対抗できるほどの規模が大阪にはないことを、大阪人も知ってしまったから。

大阪が、東京に対する本気の対抗心をみなぎらせていたあの頃(画像:写真AC)

 しかしあの頃、まだ大阪は夢を見ることができるくらいには活況でした。これから、その夢の軌跡を追っていこうと思います。結末は、まだ僕らが知ることのない未来です。

大阪こそが世界と思っていた頃

 僕が「関西中華思想」という言葉を知ったのは、いつだったでしょう。たぶん、中島らもか町田康の本だかだったと思います。これは、文字通り、関西(大阪)を世界の中心と考える思想のことで、往時の大阪人なら誰でも備えていた思想のことです。

「東京がなんぼのもんじゃ!」という言葉の根底には、この思想がありました。ご多分に漏れず、僕も、関西中華思想にどっぷり漬かっていました。

 では、東京が(実質的に)日本の中心にも関わらず、なぜこのような思想が育ったのか? それにはテレビという装置が果たした役割が大きいと僕は考えます。

関西は「はみご」にされていた


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