J-POPの歌詞から「クルマ」と「道路」が知らぬ間に消え失せたワケ

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J-POPの歌詞から「クルマ」と「道路」が知らぬ間に消え失せたワケ

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増淵敏之

法政大学大学院政策創造研究科教授

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「クルマ」や「道路」は1970~80年代のJ-POPで多く歌われていた。しかし現在はあまり聞きません。いったいなぜでしょうか。法政大学大学院教授の増淵敏之さんが解説します。

歌詞や曲名に載った「東京の道路」

 1970~80年代のJ-POPを振り返ると、歌詞や曲名に「東京の道路(通り)」の名前が出てくるものが意外と多いことに気づきます。

夏とクルマのイメージ(画像:写真AC)



 松任谷由実(荒井由実)で言えば、

・「中央フリーウェイ」(中央自動車道)
・「カンナ8号線」(環状8号線)
・「哀しみのルート16」(国道16号線)

などが思い出されます。そのほかにも

・杉真理「悲しきクラクション」(明治通り)
・稲垣潤一「246 3AM」(青山通り)
・国安修二「ねえ」(目黒通り)
・リンドバーグ「ROUTE246」(国道246号線)

など、推測も含めてですが、具体的な道路の名前が歌詞や曲名に記載されています。

背景にある「クルマの時代」

 また1970~80年代のJ-POPの作品に多いのは、「クルマから見た風景」が描かれる歌詞です。

 具体的な地名が示されないものが大半ですが、筆者(増淵敏之。法政大学大学院教授)がパッと思いつくだけでも、

・大澤誉志幸「そして僕は途方に暮れる」
・鈴木雅之「ガラス越しに消えた夏」
・佐野元春「アンジェリーナ」

などがあります。「アンジェリーナ」に至っては、「車の窓から身を乗り出し 街角の天使にグッドナイト・キス」と、とてもロマンチックです。

1976年発売の荒井由実「中央フリーウェイ」(画像:ソニー・ミュージックパブリッシング)

 これらのシチュエーションは、若者たちにとって当時が「クルマの時代」だったことを象徴しているのではないでしょうか。そのほかにも杉山清貴、角松敏生なども歌詞にクルマをちりばめています。

「若者の車離れ」との相関性

 しかし現在のJ-POPを聴いても、道路やクルマを描いた作品をあまり耳にしません。いったいなぜでしょうか。

 まず想起されるのは、21世紀以降叫ばれている「若者の車離れ」です。若者のライフスタイルが変化していると言ってもいいでしょう。一般的に欧米の楽曲と比べ、J-POPはターゲットを若者に設定していると言われますが、そのあたりに理由がありそうです。

1980年発売の佐野元春「アンジェリーナ」(画像:エピックレコードジャパン)

 EXILEや三代目 J SOUL BROTHERSなどは「マイルドヤンキー」なファンを手堅く確保しているので、一見、クルマとの関係が強いと思われがちですが、彼らの歌詞にクルマが登場するケースは意外なほど少ないのです。

 印象にあるのは、それぞれ数曲程度といったところでしょうか。不思議な事実であり、ここにも同様の原因があると言えます。

 J-POPから、クルマのイメージがいつの間にか消えたといっても過言ではありません。もちろん1990年代に入ってからも、

・スピッツ「青い車」
・Mr.Children「光射す方へ」「ALIVE」

といったような例外はあります。

価値観の変化とインフラ発達、経済苦境

 高度成長期からバブルにかけて、クルマはひとつのステータスシンボルで、高級車や外車、スポーツカーに乗ることは若者の憧れでした。

 しかしバブルが崩壊したことで、人々の価値観に大きな変化が起こりました。また地球温暖化などの環境問題が注目され、コンパクトな排気量やハイブリッド技術、電気自動車などが注目されるように。加えてICT(情報通信技術)の発達が、若者のライフスタイルそのものを変化させていきました。

 現在、外出時のクルマの「重要度」も低下しています。もはや維持費に頭を悩ませるよりも、レンタカーやカーシェアリングという選択肢に目が行きがちです。このような周辺環境も相まって「若者の車離れ」が加速しているのです。

 ネット損保の大手・ソニー損害保険(大田区蒲田)が毎年、「新成人のカーライフ意識調査」を発表しています。

 2020年の調査では、新成人の運転免許保有率は56.4%で、マイカ―保有率は14.8%。しかし都市部では8.5%、地方は16.9%となっています。

ソニー損害保険の「2020年 新成人のカーライフ意識調査」の調査結果(画像:ソニー損害保険)



 レンタカー利用者は都市部で半数以上の人が利用しており、「若者の車離れ」を自覚している人は37.4%、「車を所有する経済的な余裕がない」人は63.4%と、高い数字が出ています。

 数字だけを見ると、「若者の車離れ」は残念ながら相当深刻です。

 他の質問事項を見ても「車保有の経済的余裕が無い」と答える若者が63.4%にのぼっています。若者にとって、軽自動車でも安い買い物ではありません。可処分所得(個人所得の総額から直接税や社会保険料などを差し引いた残り部分)が増えない限り、若者はクルマを簡単に購入できないという現実があるのです。

印象的だったヨコハマタイヤのテレビCM

 再び、1970~80年代に話を戻しましょう。

 当時はJ-POPにとってテレビCMのタイアップ全盛時代でした。1980年代後半からテレビドラマの主題歌やバラエティー番組の主題歌がマーケットをけん引していきますが、当時のテレビCMにおいて、クルマは重要な位置を占めていました。

 CMソングも山下達郎、井上陽水、オフコース、サザンオールスターズなど、国内トップアーティストの楽曲や洋楽が多く流されていました。

 今回注目したいのは、1981(昭和56)年のヨコハマタイヤ(横浜ゴム)のテレビCMです。

 CMには、レコード大賞をとった寺尾聰(あきら)の「ルビーの指環」(1981年)と「Shadow City」「出航 SASURAI」(ともに1980年)が使われました。また、2019年に亡くなった元F1世界チャンピオンのニキ・ラウダがクルマで走る姿も実に印象的でした。

 以降、ヨコハマタイヤは寺尾聡の楽曲アレンジャーだった井上鑑、寺尾が所属していた東芝EMIのシティポップ系アーティストを次々に起用していきます。具体的には、

・稲垣潤一「ロング・バージョン」
・安部恭弘「WE GOT IT」
・鈴木雄大「レイニーサマー」

といったところでしょうか。

1983年発売の稲垣潤一「ロング・バージョン」(画像:EMIミュージック・ジャパン)



 クルマの存在が若者にとって今よりも大きかった時代には、J-POPの歌詞が描く物語にクルマが都会のおしゃれな生活を彩る欠かせないアイテムとなり、それにともない道路の名前も具体的に登場していました。

 そんな歌詞の楽曲とテレビCMとのタイアップ効果により、クルマのイメージが若者たちに広がっていったのです。

新たなJ-POP誕生の可能性も

 現在は若者の嗜好(しこう)が多様化し、クルマをはじめとする「特定のシンボル」に歌詞の心象風景を寄せることが難しくなっています。そして、J-POPと道路の関係も薄くなってきたように思えます。

夏とクルマのイメージ(画像:写真AC)



 このような状況を踏まえると、J-POPリスナーのターゲッティングは日増しに難しくなっていくことでしょう。また、地上波テレビの視聴率の衰退も相まって、CMソングのビッグヒットもかつてに比べて少なくなりました。もはやインターネットの影響力が大きい時代です。

 しかし一音楽ファンとしては、それ故に、この混とんとした状況から、メディアに頼らない新たなJ-POPが生まれる可能性があることを信じています。

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