約100年前に生まれた「カツカレー」 ルーツをたどり都内の名店へ【連載】アタマで食べる東京フード(20)

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約100年前に生まれた「カツカレー」 ルーツをたどり都内の名店へ【連載】アタマで食べる東京フード(20)

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畑中三応子

食文化研究家・料理編集者

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カレーとトンカツが最初に出合ったのは1918年、入谷と千束の2か所にある「河金」です。カレーは甘くなく、舌を刺激するホットさはないけれど、きりっとした辛口。食文化研究家の畑中三応子さんが解説します。

カレーとトンカツが出会ったのは1918年

 明治から大正時代に生まれた洋食メニューのツートップといえば、カレーとトンカツ。コロッケやオムライス、ハヤシライスなど、同時期に普及した洋食はほかに数あれど、カレーからはカレーパンとカレー南蛮、トンカツからはカツ丼とカツサンドが派生したように、応用力と汎用(はんよう)性の高さで抜きんでています。

 カレーとトンカツはさまざまな料理や食材と組み合わさり、新メニューが発明されました。そのなかでも最強と呼びたいのが、ふたつが合体したカツカレーです。

 カレーとトンカツが最初に出合ったのは1918(大正7)年、舞台は現在、入谷と千束の2か所にある「河金(かわきん)」というお店です。初代の河野金太郎が自分の名前から屋号を河金にし、浅草に日本で最初の洋食屋台を出したのがこの年でした。

「河金」入谷店の河金丼750円。ほかにカツ丼、チキンの河金丼、メンチの河金丼、ソースカツ丼もある。とん汁は別注文で100円(画像:畑中三応子)



 大正時代の三大洋食と呼ばれたのがカレーとカツレツ(トンカツの呼び名が広まるのは昭和初期)とコロッケ。河金の看板料理もこの3種で、あるとき客に「カツレツにカレーをかけてくれ」と注文されて、提供したのがはじまりです。

 カレー用の洋皿ではなく、丼にご飯を持ってカツレツをのせ、カレーをかけたこの新作は「河金丼」と名づけられ、大評判になりました。当時、関東大震災前の浅草はグランドオペラの最盛期、文化の最先端を行く街でした。そんな浅草に集まる新しもの好きのモダニストが飛びついて、カレー、カツレツ、コロッケが各10銭に対して20銭と倍の値段だったのにもかかわらず、大人気メニューになったそうです。

 100年前のモダンな味は、いまでは超レトロな味になりました。河金はのれん分けで親から子に味が受け継がれ、入谷店、千束店とも初代からのやり方を守っています。河金丼は初期のカレーとカツレツがどうだったのかを知れる、絶好のモデルなのです。

トンカツの「トン」の意味

 今回、訪ねたのは入谷店。河金丼を注文すると、まず調理場から「トントントントン」とリズミカルに肉をたたく音が聞こえます。これは厚切りの肉を薄く伸ばし、柔らかくするための作業。肉は厚切りのまま使い,ナイフですじ切りするだけで済ます現代のトンカツと決定的に違うのが、このプロセスです。

 最近、トンカツの「トン」の語源は豚の音読みではなく、トントンたたく音だという説を知りました。次に揚げる音、そして肉を切る心地よい音が聞こえ、できたてが運ばれてきます。フォークがあらかじめご飯に刺してある姿も、実にレトロです。

 トンカツのほぼ全面をとろみのあるカレーが覆い、ちらりと見える衣は濃いキツネ色で、パン粉の粒は非常に細かい。この揚がり具合から察するところ、揚げ油はおそらくラード100%でしょう。トンカツの下にはキャベツのせん切りが敷いてあります。

 ひとくち食べると、カレーからふわりと甘いスパイスの香りが漂いますが、カレー自体は甘くなく、舌を刺激するホットさはないけれど、きりっとした辛口です。カレーが甘くなったのは60年代だといわれますが、昔のカレーはこうだったろうと想像できる味です。
 たたいて繊維を断ち切った肉は柔らかく、脂身が少なめで、衣のコクと香ばしさがうま味を引き立てます。キャベツが刺し身のつまのように口のなかをさっぱりとさせ、意外なほどあっさり。まさに「丼」と呼ぶのがふさわしい日本的なカツカレーです。

テイクアウト用の50匁(180g)のトンカツは800円。ソースは甘くなくて大人の味(画像:畑中三応子)



 河金にはもうひとつ、看板メニューがあります。第2次大戦後に2代目が考案した「百匁(もんめ)トンカツ」がそれ。匁は昔の日本で使われていた重量単位で、1匁は3.75g、100匁は375gもある特大トンカツです。

 洋食屋台の河金は1929(昭和4)年、店舗に変わって東京大空襲で被災しましたが、戦後いち早く復活しました。とはいえ、豚肉は手に入れづらく、馬肉で代用するなど苦労が多かったその頃、2代目が「いまは日本人全員がひもじい思いに耐えているけれど、いつかみなに大きなトンカツを食べてもらいたい」と願い、やがて実現して店の名物になったという一品。いわば戦後復興の味なのです。

 100匁トンカツにライス、とん汁つきの定食は1870円とリーズナブル。50匁(180g)と70匁(250g)もあり、千束店では頼めば200匁(750g)も作ってくれるとのこと。大きなかたまりで揚げる利点は、肉汁がより多く内側に封じ込められて、大きければ大きいほどジューシーに仕上げられることです。

「カツカレー」の名は銀座から

 せっかくなので「カツカレー」という名前でカツカレーを出した元祖、銀座ガス灯通りにある「銀座スイス」にも行ってみました。

「銀座スイス」の元祖カツカレーはランチで1430円。豚肩ロース60gのポークカツがのり、あさりとベーコンのポタージュつき(画像:畑中三応子)



 こちらは1947(昭和22)年創業の老舗洋食屋。創業者の岡田進之助は、日本の西洋料理の草分けレストランのひとつ、宮内省御用達だった麹町の「宝亭」総料理長として活躍した人です。高価で高級だった西洋料理をもっと多くの人に食べてもらおうと開いた店で、カレーソースは戦前からの格式あるホテルの味を受け継いでいます。

 その味は、河金と同じくキレのある辛口。甘みは野菜と果物の自然な風味をおだやかに感じる程度におさえられ、カツのうまさを邪魔せずに引き立てていました。

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