赤い三角屋根の「旧国立駅舎」が4月4日開業 復元の陰にあった自治体の秘策とは
1926(大正15)年の開業以来、長年市民に愛されたJR国立駅の旧駅舎が2020年4月4日に公共施設として再び供用を開始します。再築までの長い道のりと数々のハードルについて、フリーランスライターの小川裕夫さんが振り返ります。「開かずの踏切」解消で消えた、赤い三角屋根 長時間にわたって踏切が遮断されたまま自動車・歩行者の横断ができなくなる、いわゆる「開かずの踏切」は社会問題になっています。 以前から開かずの踏切は、行政・鉄道会社の課題になっていました。それでもそうした形状の踏切が放置されてきたのは、立体交差化には多額の費用がかかること、また工事に着手しても立体交差事業の完了までに平均で30年近い歳月がかかることなどが要因です。 開かずの踏切を解消する工事に着手しても効果は薄く、そのために行政・鉄道会社も二の足を踏み、諦めムードが漂っていたのです。 2020年4月4日の開業に向けて再築された国立駅の赤い三角屋根(画像:国立市ウェブサイト) 三鷹~立川間で開かずの踏切が深刻な問題になっていたJR中央線は、1980(昭和55)年から事業調査を開始。2011年に同区間の立体交差化が完了しました。 立体交差化によって、踏切は消失。それに伴い踏切事故はなくなりました。同時に、事故による中央線の遅延が大幅に減少したのです。 利用者にとっても、鉄道事業者にとっても中央線の立体交差化はメリットが多く、喜ばしいことです。 中央線の立体交差化は線路を地下に潜らせるのではなく、高架線に切り替える手法が採用されました。そのため、立体交差化工事に合わせて赤い三角屋根がトレードマークだった国立駅の駅舎が撤去されることになりました。 市民から相次いだ「駅舎を残してほしい」という声市民から相次いだ「駅舎を残してほしい」という声 赤い三角屋根の国立駅舎は、1926(大正15)年に完工。都内では原宿駅に次ぐ2番目に古い木造駅舎です。国立市民にとって、赤い三角屋根の駅舎は長年にわたって親しんできた地域のシンボルです。中央線の利用者にとってもなじみ深い光景になっていました。 国立市は住宅街・学園都市として発展してきました。バブル期、東京都内のあちこちは再開発によって高いビルが次々に建てられていきました。 その波は23区の外にまで及びます。しかし、国立市はそうした潮流にくみすることはありませんでした。国立市は暮らしやすい住環境を守ろうとしたのです。そうした機運から、国立駅には高い建物は建てられませんでした。 JR国立駅から延びる全長1.3kmの大学通り。春には通りの両側に桜が満開となる(画像:国立市ウェブサイト) 中央線の高架化は時代の要請として、やむを得ない面があります。中央線は国立市だけを通るのではなく、ほかの自治体も通過します。国立市だけの問題ではありませんから、ほかの自治体と歩調を合わせなければならない事情があります。 それでも、中央線の高架化によって赤い三角屋根の国立駅舎が解体されることは何としても避けたい、駅舎を残してほしいという声は国立市民の間から相次ぎます。 こうした市民の声を受け、国立市はJR東日本に駅舎の保存を要望します。当初、国立市は駅舎をわずかに移動させて、高架化工事後に元の位置に戻す計画を立てていました。しかし、同案は議会で否決されて頓挫(とんざ)します。こうして国立駅の保存計画は暗礁(あんしょう)に乗り上げてしまうのです。 「復元」ではなく「復原」、その高きハードル「復元」ではなく「復原」、その高きハードル その間にも中央線の高架化工事は進み、タイムリミットである2006(平成18)年を迎えます。妙案が出てこなかったこともあり、国立駅舎はいったん解体されることになりました。 それでも、国立市は解体された駅舎の部材をきちんと保管。そして、JR東日本が所有して駅南側の隣接地を購入し、そこに国立駅舎を「復原」することにしたのです。 駅前に立てられている道案内の看板。古くからある看板のため、国立駅舎は三角屋根のまま(画像:小川裕夫) 従来、建物などを同じように立て直すことを「復元」と表現します。2012年開業当時の姿に戻った東京駅の赤レンガ駅舎では、あえて「復原」という用語が使われました。国立駅舎でも、「復元」ではなく、「復原」を使用しています。 「復元」も「復原」も、建物などを過去の姿に戻すという意味では同じですが、「復原」は文化財建造物の修理の際に用いる言葉で、歴史を経て改造された建造物を元の姿に戻すことを意味します。 また、「復原」という言葉の奥には、過去の姿に戻しながらも、ただ過去に戻すのではなく“進化”を遂げながら戻すという意味を含ませていることもあります。 国立駅の駅舎にも「復原」という言葉が使われました。そして、国立駅舎の復原計画は、部材の保管料も含めて約9億6000万円の工費が必要と試算されました。 それらの資金を、国立市の一般財源から捻出することはできません。駅舎の保存・復原は国立市民が強く要望してきたことですが、駅舎復原に多額の税金を投入して市民生活に影響を及ぼすことことになれば、元も子もないからです。 そうした事情を考慮し、国立市は国が市町村の都市再生整備計画に対して助成するまちづくり交付金を活用。不足分は、市民からの寄付金を募り、ふるさと納税も活用しました。 これらで集まった資金が国立駅舎の保存・復原に充てられました。こうして、国立駅舎の保存・復原は着々と進んでいきます。 順調に進んでいるかのように見えた国立駅舎の復原でしたが、思わぬ法律の壁に阻まれます。それが都市計画法における防火建築の規定です。 文化財に指定、復原の願いが結実文化財に指定、復原の願いが結実 国立駅は1日の平均乗車人員が5万人以上もいます。そのほか、買い物や待ち合わせなどといった用事で駅を利用する人もいます。 そうした多くの人が行き交う国立駅前は、都市計画法によって防火地域に定められており、防火地域に新たに建てる建築物は建築基準法によって防火建築にしなければなりません。 大正時代に完成した国立駅舎が、現代の防火基準に適合していないのは当たり前の話です。防火規定により、国立駅舎を復原することは不可能でした。 国立駅舎の保存・復原を諦めなかった国立市は、なんとか復原できる手段を模索。そこで、国立駅舎を文化財に指定することを考えつきます。文化財に指定された建造物は、例外として防火基準を満たさなくてもよいからです。国立市の努力は実り、国立駅舎は文化財に指定されました。 こうして、国立駅舎は課題をすべてクリア。晴れて復原を果たし、2020年4月4日(土)から供用を開始します。 駅南口広場に復原された赤い三角屋根の旧国立駅舎(画像:小川裕夫) 保存・復原される国立駅舎は、単なるオブジェではありません。 郷土の歴史展や市民コンサートなどを開催する地域コミュニティー、行政・観光情報などを発信する拠点といった市民・来街者などにも役立つ公共施設して活用される予定です。
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