どんな人でも「東京タワー」の思い出をひとつやふたつ持っている理由

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どんな人でも「東京タワー」の思い出をひとつやふたつ持っている理由

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宮野茉莉子

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言わずと知れた日本・東京という都市のシンボル、東京タワー。あなたは、東京タワーにまつわる思い出がありますか? 誰にも必ず、東京タワーの思い出があるはずだと、ライターの宮野茉莉子さんは考えます。

日本で最も多くの「物語」を生む建造物

 好きな短歌があります。

「一緒にはなれない人と前を見た 夜景に東京タワーもあった」(宇野恭子)

 恋人との別れを予感させる歌です。「一緒にはなれない」理由とは何なのか。多くは語られない31文字に、読者はさまざまな想像をかき立てられます。一方で夜景の一部である東京タワーの姿だけは、自分自身がいま目の前に見ているもののように鮮明に浮かび上がってくる不思議な歌です。

東京タワーのある風景は、いつでもドラマチックで物語の一場面のよう(画像:写真AC)



 1958(昭和33)年12月23日完工。高さ333mの造形美と、真っ青な晴れ空や濃紺の夜空に浮かぶオレンジ色と白色のコントラストは、たとえ展望台に上ったことがなくてもその存在を知らない者はいない、おそらく日本で一番有名な建造物でしょう。

 東京タワー(港区芝公園)を舞台に、あるいは舞台背景の一部として、これまで一体いくつの物語が生まれてきました。2000年代以降に公開された映画に限っても、

・江國香織の原作「東京タワー」(2005年)
・建設中の東京タワーと下町の人々を描いた「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年)
・リリー・フランキーの自伝的小説を基にした「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(2007年)

と、枚挙にいとまがありません。

 そして、ここで言う「物語」とは当然ながら、映画や小説、ドラマ、漫画など著名なフィクション作品に限りません。一市民である私たちひとりひとりにも、東京タワーにまつわる思い出がひとつやふたつ、必ずあるように思われます。それは、なぜなのでしょうか。

見る者を感傷的にさせる不思議な塔

 完成から62年がたつ東京タワーは、多くの人にとって「物心ついたときから変わらずにあるもの」。完工より後に生まれた人がすでに全人口の約7割と考えれば、日本の戦後復興の原風景を生々しく思い出す存在としてよりも、東京(ひいては日本)の真ん中に建つ都市のシンボルとして認識している人が多いということになります。

 文章や写真を手軽に投稿できるブログサービス「note」を検索すれば、老若男女を問わない多くのユーザーが東京タワーにまつわる散文を寄せています。

「つい先日訪れた」と報告する人もいれば、遠い昔の思い出を懐かしく振り返る人もいます。ただ共通するのは多くの場合、それらの文章がどこかロマンチックな語り口で書き連ねられていること。こと東京タワーとなると、人はなぜか感傷的な思いを重ね合わせるようです。

 逆にそれらの投稿に「共通しないこと」として興味深いのは、同じひとつの建造物に対する印象が、見る者や場面によって驚くほどバラバラだという点です。

昼と夜、見る角度によっても、全く別の表情を見せる不思議な存在(画像:写真AC)



「美しい」と形容する人もいれば「力強い」とする人もいる一方、「かわいい」と言う若い人もいる。たおやかな曲線を「女性的」と表現する人もいるし、ただ黙して屹立(きつりつ)する様を「男性的」と捉える人もいます。

 見る人によってこれほどまでにイメージが異なる建造物も、なかなか見当たらないのではないでしょうか。

あらゆるイメージを許容する包容力

 このように、いかようにでもイメージを投影できる理由が、東京タワーの持つ「包容力」ゆえだと解釈するならば、「誰もが東京タワーにまつわる思い出をひとつやふたつ必ず持っている」ということの説明にもつながるかもしれません。

 前述した映画3本を例に取っても、「ALWAYS」は1958(昭和33)年の東京・下町を生きる平凡な家族を描き、江國香織版「東京タワー」は年上の女性と男子大学生との恋愛模様を、リリー・フランキー版「東京タワー」は九州・小倉を出て上京したボクと闘病するオカンとの母子愛(ときどきオトンとの夫婦愛)を描いた物語です。

映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」のポスター(画像:(C)2007「東京タワー o.b.t.o.」製作委員会)

 登場人物の年齢も性別も心情も、時代も背景も全く異なるストーリーが、ひとつのタワーをめぐっていくつも描かれるという不思議。そして劇中の彼らもまた、特別に著名な人物ではなく一般的な市民という意味においては、私たちとそう大きくは違わない存在でもあるのです。

 このことこそが、どのような人の、どのような場面や記憶をも、いくばくかの感傷をもって物語たらしめる「東京タワー」という存在の特異性の証左にも思えてきます。

東京タワーにあこがれた大切な記憶

 筆者にとっての東京タワーの思い出は、10代半ばごろにテレビで見たフジテレビ系の月9ドラマ「オーバータイム」(1999年1~3月放送)です。29歳の女性主人公が暮らす部屋からは小さく東京タワーが見えて、彼女はよく、意中の男性とともにその人さし指サイズの東京タワーを窓から眺めていました。

 たとえ恋や仕事に行き詰まっても、いつも遠く窓の向こうに見える姿は、主人公たちにとって励ましのようにも慰めのようにも見えました。

悲しい夜も、うれしい朝も、必ずある東京タワーという存在(画像:写真AC)



 子どもながらに「いつか私も東京タワーの見える部屋に住みたい」「恋をしたら、その人と一緒に東京タワーに上りたい」という思いをふくらませた記憶。実際にその夢を実現できたかどうかよりも、あこがれを抱いて過ごした時間こそが、筆者にとっては大切なものだったように感じます。

都市にとって「シンボル」とは何か

 著名な社会学者・加藤秀俊はかつて、「都市のシンボル」(1980年)と題した論文で「何のためにシンボルをつくるのか」という問いへの見解を、次のように示しました。

・ひとことでいえば、それぞれの都市に住む市民たちがそのシンボルによって誇りをもつことができるからである
・シンボル、というのは、そこに編成された人びと―つまり、都市に即していえば市民―が共通にわかちあうことのできる価値、ということである
・シンボルというのは、都市の統合機能をはたすものだ
(加藤秀俊「都市のシンボル」『明日の都市11 都市と文化』中央法規出版社、1980年)

あなたの「東京タワー」の思い出は

 加藤氏の論にもしも、ひとつだけ付け加えるのであれば、こと東京タワーに関しては、市民が共通に分かち合うことのできる価値であると同時に、見る者ひとりひとりを「名もなきひとりの市民であり『たったひとりの自分』でもある」という、「統合」とはまた違う感慨へと立ち返らせてくれる力も持ち合わせているように思えます。

 冒頭の短歌を詠んだ女性や、ドラマの中の風景にあこがれた筆者のように、あなたにもきっと、東京タワーにまつわる自分だけの大切な思い出があるのではないでしょうか。

 あなたは東京タワーにどのような思い出がありますか、東京タワーにどのような思いを重ねているでしょうか。

 ひとりひとり違う、自分だけの物語を抱かせる「東京タワー」という存在の大きさに、あらためて胸が熱くなる思いでいます。

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