女子学生が約7割 国立で唯一の外国語大学「東京外大」とはどのような大学なのか
2020年5月5日
ライフ日本の外国語大学で頂点に立つ東京外国語大学。同大のたどった歴史について、教育ジャーナリストの中山まち子さんが解説します。
女子学生が約65%
国内の外国語大学の最高峰に位置づけられる東京外国語大学(府中市朝日町)は、大阪外国語大学(2007年廃止)と大阪大学(大阪府吹田市)の統合以降、唯一の国立の外国語大学です。

語学のエキスパートを養成する大学といったイメージが強いですが、文化や宗教など多種多様な視点から専攻を学ぶことができます。
また知名度が高い割に、学部生と院生を合わせて4500人程度という「狭き門」であり、かつ女子学生の数が約65%に上ります。
歴史に翻弄されてきた大学
東京外国語大学の歴史は古く、幕末までさかのぼります。しかし一度消滅したり、震災や戦乱で何度も移転したりなど、時代に翻弄(ほんろう)されてきました。
東京外国語大学は東京大学(文京区本郷)と同じ起源を持つ開成学校から独立した学校で、1873(明治6)年に東京外国語学校として設立されました。しかし13年後の1886年に廃校の憂き目にあっています。
その後、約10年のときを経て復活した現在の東京外国語大学につながる学校は、一橋大学(国立市中)と起源は同じです。大学創立の1897(明治30)年は、一橋大学の前身である高等商業学校内に付属の外国語学校を新設した年にあたります。
その2年後に分離独立を果たし、神田錦町の地で歴史をスタートさせましたが。しかし1913(大正2)年に神田大火で校舎を消失。その後、千代田区麹町に新校舎を建てたものの、1923年の関東大震災で再び失ってしまったのです。
以後、新宿区にあった陸軍士官学校の用地を借りて学校再開。千代田区の仮校舎を経て、現在の滝野川区西ヶ原町(現在の北区西ヶ原)に本校舎を新築し、移転。しかしまた戦争により全てが灰となってしまったのです。

その後、間借りしていた上野の東京美術学校(現在の東京芸術大学)の敷地内で終戦を迎え、1949(昭和24)年に北区西ヶ原に戻るまで、しばらくの間は板橋区の学校を間借りするなど、成り立ちから戦後数年まで移転を繰り返していました。
なお、北区西ヶ原に戻ってからは本部を半世紀にわたり置くことになります。

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