もう一度だけ行きたい―― 重苦しい90年代を支えた大人の遊び場「ナムコ・ワンダーエッグ」の思い出

1992年から2000年、二子玉川駅の近くにあった「ナムコ・ワンダーエッグ」をご存じでしょうか。バブル経済が崩壊し、重苦しいニュースも相次いだ90年代、時代の空気に抗うように希望に満ちあふれたその場所を、フリーライターの真砂町金助さんが思い出とともに振り返ります。


移りゆく二子玉川駅前の風景

 東京の「住みたい街」上位にいつもランクインする世田谷・二子玉川。最近は多摩川を挟んだ溝の口(川崎市)あたりまでの東急田園都市線沿線の開発も進み、多くの人で賑わう街になっています。

 そんな二子玉川の街にそびえるのが、タワーマンションと商業施設からなる二子玉川ライズ(同区玉川)。この建設以前の2000(平成12)年頃は駅の周りが工事中ばかりで暗くて寂しかったのも、はるか昔の記憶になっています。

満を持して登場したテーマパーク

 二子玉川ライズのある二子玉川駅の東側では、かつてあった遊園地・二子玉川園が1985(昭和60)年に閉園して以降、再開発の計画が具体化します。しかし再開発案がまとまった時期にバブル景気が崩壊。これによって、当初の計画は延期になってしまいます。

世田谷区の資料「世田谷の土地利用2016」より、1985年に閉園した「二子玉川園」。この跡地に1992年、ナムコ・ワンダーエッグが誕生する(画像:世田谷区)



 そうして空いてしまっていた二子玉川園跡地には敷地を有効活用するために、二子玉川タイムスパークが開設されます。

 ヤマハの中古ボートやヤナセの展示場、サントリー・モルツ・クラブやステーキの但馬屋(たじまや)などが入る複合施設に“期間限定”をうたって1992(平成4)年2月、鳴り物入りで新たな施設が登場します。そう、「ナムコ・ワンダーエッグ」です。

バブル崩壊後のムードに抗うように

 この施設は、ゲームメーカーのナムコ(当時)が運営したテーマパーク。日本で初めてゲームメーカーが手掛けた遊園地です。筆者の手元にはすでに当時の写真が無く、あらためて残念に思うと同時に「もう一度行きたい」という思いに駆られました。

 バブル景気が終焉(しゅうえん)を迎え、不安が増してきた世間の風に抗うかのように園内は希望に満ちていました。

 中央の「エルズ広場」にはメリーゴーランドが配置され、大道芸のショーが日に何回も行われます。建物は西欧の街角風の雰囲気で造られ、子どものための遊園地というよりは、大人のアミューズメント施設。いうなれば「巨大なゲームセンター」といったところでした。

 実際「ワンダーイマジネーション」というコンセプトを掲げていたナムコは、参加体験型のアミューズメント施設を目指していたといいます。それぞれのアトラクションの中でゲームの主人公になった気分で楽しめる施設というわけです。そのため、お客は「ドリーマー」、従業員は「アトラクター」と呼ばれていました。

現在ある複合施設、二子玉川ライズも、開業からすでに10年がたつ(画像:(C)Google)



 入園料大人800円を支払って入る敷地は、エルズ広場から、「竜の城」「ラペロの市場」「時の工場」の四つのエリアからなり、14のアトラクションが設置。そのいずれもが、ゲームセンターのアトラクションをさらに面白くしたようなものです。

 特に話題となったのは「ドルアーガの塔」。1984(昭和59)年にナムコがアーケードゲーム用に開発。のちにファミコンにも移植された名作ゲームを基にしたアトラクションです。ライドに乗ってめぐるアトラクションは、戦い方によってストーリーが分岐していくという仕様です。

当初の「酷評」を鮮やかに跳ね除け

「ギャラクシアン3」は直径12m、高さ4mの大画面で最大28人が参加できるというアクティブシミュレーター。どこの家庭でもテレビはまだブラウン管の小さな画面という時代に、この巨大な画面はそれだけで未来がやってきた感覚です。

 しかも、自分の操作次第で場面やストーリーも変化するなんて、ここでなければ体験できないシロモノでした。

 これはもともと1990(平成2)年の「国際花と緑の博覧会」に、ドルアーガの塔と共に出展したもので、鳴り物入りでの登場でした。その迫力にドハマリする人は多く「3回並んだ」なんて人もけっこういました。

 大画面かつ3DCGのシューティングゲームのインパクトは大きく、ほかのアミューズメント施設でも設置を求めるところが出てきます。しかしさすがに28人版は大き過ぎたためか、横浜市にあったナムコの運営するプラボ鶴見店に設置されたのみ。

 16人版も数か所にとどまり、1993(平成5)年に発売された6人版になって、ようやく地方のゲームセンターにも設置されるようになりました。そして、地方でこのゲームを楽しんだ若者は28人版に憧れ「東京に行ってワンダーエッグで遊びたい」と願ったものでした。

 このほか、ユーノスロードスターの実車を使用した「ドライビングシミュレーター・シムロード」や16台のカートをぶつけ合う「フューチャーコロシアム」など、遊園地ともゲームセンターとも違う、熱くなれるアトラクションばかりでした。

 もっとも、ナムコのコンセプトは新し過ぎたためか当初は懐疑的な目で見られていました。

 情報誌『アクロス』1992年4月号は特に否定的で、

「子供はともかく大人はちょっとシラけてしまう」
「アミューズメント施設としての訴求性がいまいち弱い」

と酷評し、ついには入園料とアトラクション利用券をセットで買うと2500円は高いとまで書いています。

忘れない、笑顔あふれたワンダー空間

 しかし、そんな批評はまったくの的外れでした。屋内型で雨の日も安心して遊べるワンダーエッグは賑わいます。初年度の1992(平成4)年は夏休みの終わった8月末時点で来場者は69万1511人となり、最初の1年の入園者予想を80万人から110万人に上方修正します(『朝日新聞』1992年9月5日付朝刊)。

 この理由は、ワンダーエッグが交通の便もよく極めて安くて楽しめる施設だったからです。

 渋谷駅から電車で15分で来ることができるワンダーエッグは日中は家族連れ、夕方からは若いカップルがやってきます。飲食なども含めたひとり当たりの出費が、当時のディズニーランド(千葉県浦安市)が8700円、よみうりランド(稲城市)が4500~5000円程度だったのに対して、ワンダーエッグは3630円でした。景気後退の中で近いうえに安く楽しめるワンダーエッグが人気を集めるのは当然でした。

 この人気を得て、1994年7月には新たに8億円を投じて「たまご帝国」を増設。当初50か月の期間限定オープンだったはずが、要望を受けてリニューアルをしながら1996年7月にナムコ・ワンダーエッグ2、1999年4月にナムコ・ワンダーエッグ3へと進化。

 2000年大みそかに惜しまれつつ閉園するまで、実に106か月間の営業となりました。

 時の経つのは早いもので、跡地にできた二子玉川ライズも気がつけば2021年で10周年。でも、暗い出来事も多かった90年代に、ワンダーエッグだけは笑顔で楽しめたことは忘れません。


【画像】「ワンエグ」以前の二子玉川とは

画像ギャラリー

/wp-content/uploads/2021/02/210202_wonderegg_0x-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/02/210202_wonderegg_01-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/02/210202_wonderegg_02-150x150.jpg

おすすめ

New Article

新着記事

Weekly Ranking

ランキング

  • 知る!
    TOKYO
  • お出かけ
  • ライフ
  • オリジナル
    漫画