本館建て替えが話題に――帝国ホテルと渋沢栄一の誇り高き歴史を振り返る【青天を衝け 序説】
2021年3月19日
知る!TOKYO“日本資本主義の父”で、新1万円札の顔としても注目される渋沢栄一が活躍するNHK大河ドラマ「青天を衝け」。そんな同作をより楽しめる豆知識を、フリーランスライターの小川裕夫さんが紹介します。
1890年開業の一流ホテル
3月16日(火)、帝国ホテルが主力となる帝国ホテル東京(千代田区内幸町)の本館の建て替えを検討していると報道され、話題となりました。
1890(明治23)年に創業した帝国ホテルは、質の高いサービスや食事、高級感などを堪能できる空間として知られ、国内外から高い評判を得ていることから、“帝国”の名前にふさわしいホテルと言えます。
帝国ホテルは、NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一が政財界に呼びかけて実現したホテルで、初代会長も務めました。渋沢は「資本主義の父」と呼ばれる実業家でしたが、営利を第一に帝国ホテルの開業を目指したわけではありません。

鎖国が解かれた幕末期、多くの外国人が日本を訪れるようになりました。当初、外国人の多くは西洋人で、その多くは旧来の商習慣が残る旅館に宿泊していました。開国により少しずつ訪日外国人が増えていたとはいえ、その数は決して多くありません。それまでの旅館で十分に宿泊需要は賄えたのです。
しかし、明治新政府が発足すると事情が一変。発足したばかりの新政府は財政が逼迫(ひっぱく)しており、財政を好転させるべく外貨の獲得に傾注します。
政府は、外貨獲得政策として生糸と茶の輸出に力を入れます。こうして国内の産業振興を図る一方、多くの外国人に日本を観光してもらうことに取り組みました。現代風に言えば、インバウンドを期待した政策です。
訪日外国人観光客を増やすためには、日本が魅力的な観光地であることをPRしなければなりませんが、バラバラに宣伝しても訴求できません。現在なら、地方自治体の観光課などが名所やおいしい郷土食をPRして誘客を図ることは当たり前ですが、当時は政府がPRをする時代ではありませんでした。
渋沢は旧徳島藩主だった蜂須賀茂韶(はちすか もちあき)を会長にした喜賓会(きひんかい)を1893年に設立。喜賓会は観光協会と旅行代理店を合わせたような、各地の観光・郷土料理のPR、それらを巡るためのツアー行程を作成するといった業務を担当しました。

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