渋谷と秋葉原、なぜ人気に差がついたのか? 90年代から振り返って考える

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渋谷と秋葉原、なぜ人気に差がついたのか? 90年代から振り返って考える

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星野正子

20世紀研究家

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東京を代表する街として知られる渋谷と秋葉原。そんな両エリアのこれまでとこれからについて、20世紀研究家の星野正子さんが解説します。

渋谷と秋葉原の差はどこにあったのか

 いきなりですが、東京で最もにぎわっている街はどこでしょうか?

 この問いへの答えは、自分のホームタウンがどこかによってまったく異なります。これまで取材してきた多くの東京人の中には、地元の大田区を愛するあまり、「蒲田ほどにぎわっている街はない」と主張する人がいました。はたまた「荻窪こそ最高」という人も。

 客観的に考えて、いつも多くの人でにぎわっているのは渋谷と秋葉原ではないでしょうか。あまりにいつもにぎわっているので、コロナ禍で人通りが絶えた最近の様子にはがくぜんとしています。

秋葉原の街並み(画像:写真AC)



 しかし、最近の渋谷が秋葉原に勝っているとは到底思えません。これまでの取材の経験上、渋谷について「昔はもっとにぎわっていたのに」という声をよく聞きますが、秋葉原はそうした声をまず聞きません。

 渋谷と秋葉原は、どちらも1990年代にマニアの集まる街として台頭したエリアです。

 当時の渋谷と秋葉原の差はどこにあったのか――調査して見つけたのは、流行観測雑誌『アクロス』1996年9月号に掲載された「シブヤ系VSアキバ系 オタク大調査」という調査報告です。

共通の「文化的教養」がなかった2都市

 パルコ出版が月刊で発行していた『アクロス』はストリートのファッション調査をはじめ、地道な調査で定評があった雑誌です。

流行観測雑誌『アクロス』(画像:パルコ)



 この特集では渋谷と秋葉原でさまざまな作品名や人物をキーワードに、「知っている」「知らない」を調査しています。そこから浮かび上がったのは、今では考えられない人たちの姿です。すべてを解説していくと膨大なので、一部を抜粋してみましょう。

●作品や名称を知っている率

新世紀エヴァンゲリオン
・渋谷:4.3%
・秋葉原:29.2%

機動戦士ガンダム
・渋谷:63.8%
・秋葉原:68.1%

魔方陣グルグル
・渋谷:11.6%
・秋葉原:19.4%

ファイナルファンタジー
・渋谷:52.2%
・秋葉原:59.7%

QUICK JAPAN
・渋谷:13.0%
・秋葉原:2.8%

ジュ・テーム・モワ・ノン・ブリュ
・渋谷:11.6%
・秋葉原:6.9%

●人物を知っている率

押井守
・渋谷:2.3%
・秋葉原:11.1%

宮崎駿
・渋谷:65.2%
・秋葉原:75.0%

小山田圭吾
・渋谷:69.6%
・秋葉原:33.3%

千葉麗子
・渋谷:68.1%
・秋葉原:63.9%

 この調査からわかるのは、どちらの街も現在の姿からは想像できないくらい、「共通した文化的教養」がなかったことです。

「にわかファン」というキーワード

 現在のほうが趣味が多様化・細分化しているはずなのですが、当時のほうがより、「興味のないことは知らない」という人が多かったのでしょう。

 なにしろ秋葉原で「ガンダム」を知っている人が6割台というのは、かなり驚きです。渋谷で「小山田圭吾」(フリッパーズ・ギターやコーネリアスの活動で知られるミュージシャン)を知らない人が結構存在することも同様です。

「千葉麗子」の認知率においては、なぜか渋谷が秋葉原を上回っているのも謎です。当時の千葉麗子といえば、1992(平成4)年に『恐竜戦隊ジュウレンジャー』の戦隊ヒロインとして注目され、パソコンに詳しい電脳アイドルとして一世を風靡(ふうび)していたはずなのですが……。

「作品や名称を知っている率」「人物を知っている率」のグラフ(画像:『アクロス』のデータを基にULM編集部で作成)



 批判を恐れずにいえば、どちらの街も「『にわかファン』が多数派だった」ということでしょう。そのような人たちが集う街でその後、繁栄に差がついた理由は何だったのでしょうか。

 それは、街の発展したエリアにあります。

 1990年代後半はオタクから渋谷系、それにアンダーグラウンドなものまで、あらゆるサブカルチャーが爆発的に進化を遂げた時期。そうして、街に集まっていた「にわかファン」も次第に濃くなっていったのです。

現在は秋葉原に軍配、しかし10年後は……

 このとき渋谷は、濃いサブカルチャーを好む人たち向けの店があまり広がりませんでした。

 そのような人たちは近隣の下北沢のような街へ移動していったのです。これは渋谷が既に発展しすぎており、十分な店舗を確保できなかったり、家賃が高かったりしたという理由があったからだと考えられます。

再開発が進む渋谷(画像:写真AC)



 対して、まだ秋葉原には余裕がありました。

 当時は、メインストリートから裏に回った辺りにバッタ屋(正規のルートを通さずに仕入れた品物を安値で売る店)がまだ多かった時代。そのような街のため、手頃な家賃で店舗を借りることができたのです。ようは、ものすごく近くに「フロンティア」があったのです。

 身近に十分なフロンティアを確保できなかった渋谷、確保できた秋葉原。両者の差はここに始まったといえるでしょう。

 しかし、街はまだ継続しています。勝負がついて、もう終わりというわけではありません。一種の観光地へと変化し、ステレオタイプなオタク風店舗ばかりが目立つようになった秋葉原に対し、渋谷は大規模な再開発で様変わりを始めています。

 10年後くらいには、渋谷がまた新たな流行拠点として不動の地位を築くのではないか――今は、そのような気がしています。

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