若者よ、大志を抱いて東京を目指そう――コロナ禍で「上京しない春」に寄せて

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若者よ、大志を抱いて東京を目指そう――コロナ禍で「上京しない春」に寄せて

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宮野茉莉子

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本来なら東京での新たなスタートを切っていたはずの若者たちが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で上京できていない2020年春。あらためて「地方に住む若者にとっての東京」とは何か、ライターの宮野茉莉子さんが考えます。

「東京へのあこがれ」にとりつかれたあの頃

 10代の女子中高生向けファッション誌「プチセブン」が休刊になったのは、2002(平成14)年3月のこと。1978(昭和53)年の創刊からおよそ四半世紀、現在30代半ばの筆者や同年代の女性たちはつまり最終期の読者でした。

 まだインターネットが発達していない時代、ありとあらゆる情報や流行は「東京」から発信されるものでした。世の中は今よりずっと「中央集権的」で、10代向けファッションの世界もまた例外ではありません。

 地方都市に住む女子高生だった筆者は、月2回発売される同誌を毎号欠かさず購入し、部屋の本棚にズラーっと並べ、お気に入りのモデルさんの写真を切り抜いてはスクラップブックを自作する熱の入れようでした。

 ファッションはもちろん、彼女たちが持つバッグ、バッグの中身、メーク、言葉遣い、インテリアのひとつひとつに至るまで。ひとつも読み落とすまいとチェックしました。雑誌の中の世界その全てがあこがれの対象だったのです。

初めて東京に降り立った日、新しい生活の始まりに胸が高鳴った日の記憶(画像:写真AC)



 東京の街を舞台に華やかな遊びやデートを満喫するモデルたちの写真に見入り、「自分も絶対に東京に出る!」と誓った少女は数多くいたことでしょう。思えば地方で暮らす「今」よりも、東京に住む「未来」をばかり夢想する日々でした。

 ちょうど同じ頃、元アイドルが歌う『人生がもう始まってる』というタイトルのCDが発売された記憶がありますが、「『本当の自分』が始まるのは、きっと東京に出てからだ」と、萌芽(ほうが)を待つ野の花のような思いで少女たちは地元でのときを過ごしていたのです。

彼女たちが夢見たのは「特別な未来」だった

「夢見るTOKYO GIRL たくさんのモノが行き交う街で 何気なく見てる風景に なにかもの足りない特別な 未来を指差して求めてる」(Perfume「TOKYO GIRL」)

 日本テレビ系ドラマ『TOKYOタラレバ娘』(2017年1月期放送)の主題歌であるこの曲を知ったのはつい最近のことですが、ここで歌われているのはまさしく「東京を夢見た上京ガール」の胸の内ではないでしょうか。

 数限りない「たくさんのモノ」があふれる東京。それでも「なにかもの足りない」と続く歌詞は非常に示唆に富んでいますが、それはつまり「特別な未来」をどこまでも追い求める飽くなき探求心のことなのだと、上京を心待ちにする当時なら解釈したかもしれません。

 くしくもこの歌詞が言うように、地方の少女が夢見る「東京的なるもの」の多くは、まさしく「モノ」でもありました。

 前述の雑誌「プチセブン」以外には、当時の高校生がこぞって持ち始めていた携帯電話。新しい機種が出たらすぐにチェックして、実際買うわけでもないのにやたら新機能について詳しくなってみたり、とにかく無性に新しい携帯に機種変したくて仕方がなかったり。急速に普及していった携帯は当時、所有者の流行感度を表す重要な小道具のひとつでもありました。

 近所のスーパーで買えるプチプラのコスメグッズ(当時はまだ「プチプラ」という言葉もなかったように思いますが)は、高校生のお財布をあまり痛めず購入できる数少ない「東京的アイテム」。雑誌のモデルたちと同じモノを持てるという満足感から、1本あれば十分なマスカラを2本も3本もポーチに忍ばせていた友人のエピソードは、今となればかわいらしい地方の青春の1ページです。

「特別な未来」を夢見て、東京へのあこがれを日に日に募らせていた地方での毎日(画像:写真AC)



 都内の大学への進学を機に、筆者の上京がかなったのは2000年代前半のこと。東京へ引っ越した初日は、実家を離れる寂しさや不安よりも新しい生活が始まるというワクワク感に満ち満ちていました。「ついに『本当の自分』が始まる」という感慨で、胸がいっぱいになったのを今でも覚えています。

 住んだのはあこがれのインテリアに囲まれたおしゃれマンション……ではなく、同じ大学の学生が多く集まる女子寮。身の丈に合った場所での日々の暮らしや出会いは、地方出身者たちの「東京観」そして「地方観」を大きく変えていくきっかけにもなるのでした。

東京にあって地方に無いもの、またはその逆

 いざ東京で暮らし始め、東京出身の人と話すなかで思い知らされるのは「東京」に対する意識の違いです。

 地方出身者にとって長年のあこがれだった東京。東京の大学へ進学するために必死に勉強をし、雑誌で紹介されているファッションをまねようと近所の洋服店で似たモノを探して自分なりにコーディネートを試し――。東京とは目標であり、「本当の自分」を始めるスタート地点であるはずでした。

 かたや東京出身・在住者にとって「東京」は当然ながら当たり前の日常。それは、いうなれば「はじめからゴールにいる」ようなものです。筆者がいつかおしゃれをして闊歩(かっぽ)したいと夢想していたJR中央線沿線の有名駅を「そこ、うちの最寄り駅」と事もなげに告げられたときには、思わずのけ反りそうになりました。

 私たち地方民があこがれ続け、妄想し、追いかけ続けた東京を、彼らは生まれたときから、当たり前のものとして享受してきたのです。

 実家に残してきた「プチセブン」の切り抜きが、ふいに色あせて思えた瞬間。あのスクラップブックが筆者にとってそうであったのと同じように、自分にとって「東京的なるモノ」だった何かが、東京に出てきたことによって逆説的に輝きを失ってしまうという経験は、上京する誰しもに起こりうる通過点なのかもしれません。

ドラマの舞台にもなった、あこがれの公園があるあこがれの駅。そこが自分の地元だという東京出身の友人もいた(画像:写真AC)



 一方で、意外な気づきも与えられました。

 東京在住の友人に自分の出身地を告げ、「いいなあ、地元があって。私ずっと東京だから実家みたいなものにあこがれがあるんだ」と言われたときには、思わずハッとさせられました。

 確かに地方から東京へやってくることは、東京と地元ふたつの拠点を手にするようなものです。「今いるここ」以外にも自分の所属がある、要はいざというとき帰る場所が自分にはあるという感覚は、思う以上に自分という存在の後ろ盾になっているのだと気づかされる体験でした。

どの土地、どの人にでも、固有の価値がある

 入居した女子寮では、北海道から沖縄、さらには海外出身とさまざまな出自を持つ友人たちと夜な夜な集まり、飽きずいつまでも語り合いました。中でも記憶に残っている話題は、それぞれの土地や風習、方言、それから「県民性」について。

 沖縄出身のAちゃんは、ゆったりしていて自分のペースを持っている。北関東出身のBちゃんは、どこか人と違っていて個性的――。

 おのおのの個性や、それぞれの土地が持つ魅力について「いいなあ」「うらやましいなあ」と互いに感想を言い合い、そのくせ言われた当の本人だけが「え? うらやましいの? 本当に?」ときょとんとした表情をするのを見たとき、筆者はそこに、東京に恋い焦がれて「未来」しか見ていなかった地元の自分の姿をふいに見たように思ったのです。

みんなちがって、みんないい。そのことに気づかせてくれたのは、全国さまざまな土地から東京に集まった友人たちだった(画像:写真AC)



「みんなちがって、みんないい」という金子みすずの詩はあまりにも有名で、使い古されてしまった感があるかもしれません。けれどあのときの寮でのおしゃべりは、東京と並べたらどうしたって見劣りする自分の地元にも、ほかと比べるべくもない固有の魅力があるのだということを、地方出身者たちに気づかせる出来事でした。

 そして同時に、絶対的なあこがれだった「東京」が、ほかの土地にあって東京には無いものもまたあるのだという、相対的な存在へと変わっていくきっかけにもなりました。

 出身の土地、自然、街、人々に育まれた自分自身の内面的な固有性に気がつくとき、それまで自分の価値を高めてくれるものだと固執していた「モノ」もまた、「one of them」の相対的なものへと変化していったのかもしれません。

2020年春、上京を心待ちにする若い皆さんへ

 結局、東京に住んだからといって何か特別なことがあるわけではないと分かったのは、1、2年のときを経てからでした。

 あれからさらに十数年がたち、やみくもなあこがれを追いかけていた筆者も地に足をつけ、現在は3人の子どもを抱えて毎日の小さな幸せと「今」を大切にする日々を過ごしています。

 当時の自分はどこかフワフワと浮いていたようだったと思いつつも、あの「東京へのあこがれ」と、あこがれるものを追いかける感覚は、それはそれで良かったと懐かしく、大切な記憶として思い返します。

 何かにあこがれ、夢見て、必死で追いかける。そういった経験は、人生でそう何度もできることではありませんし、後から取り戻せるものでもありません。

あこがれた地・東京での経験は、きっと何ひとつとして無駄にならない(画像:写真AC)



 2020年春、夢やあこがれを抱いて上京するはずだった多くの若者は今、新型コロナウイルス感染拡大の影響で地元にとどまることを余儀なくされ、若いエネルギーが欲求する前進の歩をいまだ進められずにいます。

 しかし晴れてその地を踏む日が来たとき、自分が抱いた東京へのあこがれとは実はフワフワと夢のように実体のないもので、またときに思い描いた通りにはならないものだと思い知ることもあるでしょう。けれどそれらの経験は、おそらく何ひとつ無駄にはならないでしょう。

 この未曽有の災禍が一日も早く収束し、皆さんが新しい未来を自ら開くことを、そして皆さん自身が生まれ育った土地の意味をあらためて発見することを、かつて「東京ガール」だったひとりとして今、心から願っています。

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