深夜アニメ『イエスタデイをうたって』が描く、2000年代初頭の淡き東京の記憶

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深夜アニメ『イエスタデイをうたって』が描く、2000年代初頭の淡き東京の記憶

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増淵敏之

法政大学大学院政策創造研究科教授

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静かなブームを呼んでいる、深夜アニメ『イエスタデイをうたって』。世田谷を舞台に描いたこの作品の魅力は何でしょうか。法政大学大学院教授の増淵敏之さんが解説します。

作品タイトルはロックバンドの曲名から

 この4月からテレビ朝日の深夜アニメ枠「NUMAnimation」(毎週日曜1時30分~)で放送が始まった、『イエスタデイをうたって』が静かなブームになっているようです。

アニメ「イエスタデイをうたって」のウェブサイト(画像:冬目景、集英社、イエスタデイをうたって製作委員会)



 作品の舞台は2000年代初頭のためか、どこかノスタルジックな雰囲気が漂っています。現在までわずか20年弱しかたっていないにも関わらずそう感じるのは、時代の加速度が増しているからかもしれません。

 アニメの原作は、女性漫画家・冬目景(とうめ けい)による作品です。

 1998(平成10)年から「ビジネスジャンプ」に不定期連載され、同誌休刊後、「グランドジャンプ」で連載を再開。2015(平成27)年まで続きました。その間、連載が途中で大きく空いたこともありますが、足掛け18年の長期連載作品となりました。

 この作品のタイトルは、ロックバンド「RCサクセション」が1970(昭和45)年にリリースしたセコンドシングルのカップリング曲から取ったと言われています。

リアルな日常が中心の群像劇

 冬目の描く画はデッサン風、作風は『黒鉄〈KUROGANE〉』『羊の歌』など、日常を描きつつ幾分ファンタジー色の強い、淡く叙情的な作風で多くのファンに支持されてきました。

 しかし『イエスタデイをうたって』はリアルな日常が中心の群像劇で、ファンタジックなのはせいぜい、主人公のひとりであるハルが家でカラスを飼っていることぐらいでしょうか。

 ちなみにカラスを実際に飼う場合には鳥獣保護法の関係上、自治体からの「鳥獣の捕獲等許可証」を取得しなければなりません。

アニメ「イエスタデイをうたって」の登場人物(画像:冬目景、集英社、イエスタデイをうたって製作委員会)

 冬目は一点もののイラストも多く手掛けており、こちらもファンが多く、これまでも数多くの画集を発表しています。『イエスタデイをうたって』関連では、2008(平成20)年の「イエスタデイをうたって画集―YESTERDAYS―」(集英社)、2015年の「イエスタデイをうたって画集―YESTERDAYS― 2」(同)があります。

描かれる三角関係

 さてこの作品は、大学卒業後に目標を見いだせずフリーターになった魚住陸生(以下、リクオ)、カラスと同居している野中晴(以下、ハル)、そしてかつてリクオが告白したことがある、教師になった森ノ目○子(=木へんに品。以下、しな子)の三角関係を中心に描いています。

 冬目は漫画では新宿にほど近い私鉄沿線を描いており、説明が少々曖昧でしたが、アニメは監督の藤原佳幸が下北沢から松原辺りを中心に具体的に設定しています。

現在の下北沢駅の様子(画像:写真AC)



 また連載当時(2000年代初頭)に合わせて、作中にはカセットレコーダーやアナログテレビ、固定電話、公衆電話などが小道具として登場します。

牧歌的な田園風景が広がっていた下北沢

 戦後のある時点まで、下北沢は農道が縦横に走る田園風景のなかにありました。

「世田谷区の多くの地域が耕地整理や区画整理を経て道の基盤が整備されたのに対して、下北沢周辺は近世からの農村的な道を出発点に、個別な道の築造が徐々に行われ、それらが積み重なって全体的な街が形成された」(二瓶正史。2006年)

といった具合です。

 例えば1949(昭和24)年公開の黒澤明監督『野良犬』は、志村喬演じる刑事の自宅が下北沢にあるという設定でロケが行われ、そこに描かれるのは全くもって牧歌的な田園風景でした。

1947(昭和22)年発行の下北沢駅周辺の地図(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕).

 やがて戦後の高度経済成長によって、周辺は住宅地へと変化していきます。

 近隣に東京大学(目黒区駒場)や明治大学(杉並区永福)などの存在もあり、学生の下宿やアパートが増加。カルチャー的な側面から見ると、1970年代半ば以降に多くの若者が集まり始め、ロックやジャズ、ブルースなどを流すバーなどが続々と登場しました。

 1975(昭和50)年にレディ・ジェーン(世田谷区代沢)、下北沢ロフト(同)がオープンし、1979年に開催された下北沢音楽祭が「若者のまち」というイメージを定着させる契機となりました。

そして「若者とカルチャーのまち」へ

 また元俳優だった本多一夫が1982年に本多劇場(世田谷区北沢)をオープン。その後、幾つかの小劇場を作ってからは、演劇の街として一躍注目されるように。結果として下北沢には、住宅地から「若者とカルチャーのまち」としてのイメージが定着していったのです。

本多劇場は今も健在(画像:(C)Google)

 アニメ『イエスタデイをうたって』では、「カレーハウスCoCo壱番屋 下北沢店」(世田谷区北沢)の周辺が描かれ、リクオのアルバイト先は、「セブン―イレブン 世田谷松原駅前店」(世田谷区赤堤)がモデルになっているようです。

 また、プロモーションビデオでハルとしな子が話をしている公園は、ベンチこそ違えど、若林公園(世田谷区若林)に酷似。そのほかには、豪徳寺駅北口にある松陰神社(同)も描かれています。

進展するリクオとハルの関係

 漫画『イエスタデイをうたって』のエンディングは、叙情的です。

 リクオとハルは互いの存在を確認するのですが、時に迷い、時に立ち止まり、ふたりの状況は思うように進展しません。ようやくラストでキスシーンになり、それがとても際立っています。

 単行本の最終巻は他の登場人物のエピソードが中心になっており、ふたりが最後に登場するといった感じです。主人公のリクオとハルのエピソードは後回しになっており、そこが群像劇である、この作品のすばらしさだと思います。そしてこの物語の背景には下北沢とその周辺が存在しているのです。

 この4月に発売された『イエスタデイをうたって afterword』には、最終回の後日談を描いた新作読み切り「イエスタデイをうたって 特別編―11・S14―」が収録されています。

『イエスタデイをうたって afterword』の表紙(画像:集英社)



 本編でなかなか進展しなかったリクオとハルの関係ですが、ようやくリクオの実家を訪ねることになります。不器用なふたりですが、少しずつ前に向かって進んでいくのです。心が温まる後日談です。

 この物語は、煮え切らない性格のリクオ、知的でしっかり者のしな子が重要なキャラクターですが、やはり純粋無垢(むく)で、自由闊達(かったつ)なハルがこの作品の最大の魅力でしょう。

 単行本の第7巻の表紙はリクオ、第11巻はしな子と一緒にハルが描かれています。しかしそれ以外はハル単独の絵柄になっていることからも、その点がうかがい知れるのではないでしょうか。

 さて、現在はまち歩きが難しい状況ですが、新型コロナ禍もいずれは収束します。この時期は収束後に行きたい場所への思いをため込み、まち歩きが自由にできるようになったら、その場所を思いきり闊歩(かっぽ)しましょう。

『イエスタデイをうたって』の主人公たちも同じです。時に悩みを抱え、時に後ろ向きになる――でも、やはり前を向いて歩いていくのです。

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