六本木の発展は米軍とともに
「ベストヒット23区」はいよいよ港区へ。新型コロナウイルスによって、人影もまばらになっているであろう六本木の繁華街に思いをはせながら、今回は「六本木歌謡」特集をお届けします。
繁華街・六本木の発展は、米軍とともにありました。戦後、六本木周辺に米軍関連の施設が建てられ、それに応じて、米軍向けの飲食店がひとつふたつと建ち始めたことで、繁華街・六本木の歴史が始まったのです。
隆盛は1960年代から
当時の代表的な店をホイチョイ・プロダクションズ『東京いい店やれる店』(小学館)から拾えば、1953(昭和28)年開店の「イタリアン・ガーデン」(後に「アントニオ」)に始まり、1954年の「シチリア」、1956年の「ニコラス」と続き、そしてついに1960年、飯倉に「キャンティ」がオープンします。
「私と六本木を結びつけたのは、イタリアンレストラン『キャンティ』がきっかけでした。初めてお店に行ったのはデビュー前の16歳の時、’60年の頃です。青山のボウリング場で川添家の坊ちゃんたちに、『今度うちの店オープンするから来ない?』って誘われたの。それでどんなお店かも知らずに訪ねてみたら、丹下健三さんや黛敏郎さん、三島由紀夫さん、藤間のご宗家といったさまざまな世界の方がいらしてる」(「ラクティブ六本木 六本木情報オフィシャルサイト」より)
と語るのは女優・加賀まりこ。「川添家」とは「キャンティ」のオーナーだった川添浩史の家のこと。ちなみに川添浩史の奥さんが(岩本)梶子で、荒井由実のアルバム『MISSLIM』のジャケットに写っているピアノは梶子夫人のもの。
この「キャンティ」を中心にして、1960年代には、当時「六本木族」「野獣会」などと呼ばれた、おしゃれな芸能人・文化人が集まり始め、1970年代には、増え始めたディスコに若者たちが集結。現在の繁華街・六本木の基礎が整いました。
「六本木歌謡」の当たり年は1984年
そして1980年代、六本木は大衆化します。居酒屋など大衆的な店舗が増えたことに加え、「大衆」自体が経済的に豊かになったことも一因でしょう。BMWが六本木の街でやたら目立つようになり「六本木カローラ」と呼ばれたのもこの頃。
「六本木歌謡」の当たり年は1984(昭和59)年。それも秋。まずは皆さんご存じのアン・ルイス『六本木心中』。1984年10月5日の発売。伊藤銀次によるハードロックなアレンジと(印象的なギターソロは北島健二)、湯川れい子による、意外に古風な女性を描いた歌詞との「段差」がヒットの要因と思われます。
歌詞のパンチライン(= 強いフレーズ)をひとつ挙げれば「♪あなたなしでは生きてゆけぬ」。「あなた」にすがる、いじましい女性像もさることながら、最後の助動詞「ぬ」の古風さはどうでしょう。「ゆけない」ではなく「ゆけぬ」。これはもう金色夜叉(やしゃ)・貫一お宮の世界です。
ビートたけしが愛した『六本木ララバイ』
その約1か月後、11月1日にリリースされたのが、内藤やす子『六本木ララバイ』。作詞と作曲を手掛けたのは、ギター漫談のエド山口(作曲は岡田史郎との連名)。
ともに30万枚以上売り上げた内藤やす子のヒット曲『弟よ』(1975年)や『想い出ぼろぼろ』(1976年)に比べると『六本木ララバイ』の5.8万枚は物足りませんが、カラオケの場で歌い継がれて、広く親しまれる曲となりました。あのビートたけしが愛した曲としても有名です。
こちらのパンチラインは、何といっても「♪東京の夜明けに歌う子守歌」。この感じは「キャンティ」に一度だけ入って足がすくんだ私にもよく分かります。90年代に入ってからですが、飲み疲れ、踊り疲れた美女たちがフラフラと歩く夜明けの六本木をよく見つめたものです。ロアビル脇のラーメン屋「天下一品」から。
「純情派」からの変化を描いた曲
そんな六本木も1980年代後半に入るといよいよ大衆化、アン・ルイスや内藤やす子のような、いかにも百戦錬磨の女性だけでなく、「純情」な女の子まで繰り出してくることとなります。今回の「ベストヒット港区・六本木」は、六本木で恋破れた「純情」な女の子の物語――。
荻野目洋子『六本木純情派』。1986年10月29日発売。彼女のシングルとしては、あの『ダンシング・ヒーロー』(1985年)に次ぐ、26.1万枚のヒットとなった曲です。パンチラインは歌い出し――「♪雨の高速で クルマを飛び出したのParking Area」。
高速道路でクルマを降りたらどうなるのかと思いきや、作詞の売野雅勇(うりの まさお)いわく「首都高で車から飛び出した後、六本木に移動するまでの経緯なのですが、実は首都高の路肩には非常階段があり、すぐに街に降りることができるんです」とのこと(AERA dot.「荻野目洋子赤面! 作詞家・売野雅勇が明かした『六本木純情派』裏話」より)。
「純情派」の女の子が「遊び慣れ」るほどに大衆化した、つまり今の六本木に通じる光景を表した曲として、この荻野目洋子『六本木純情派』を「ベストヒット港区・六本木」にしたいと思います。
あと40年のカウントダウン
最後にまた「キャンティ」の話。前述の『東京いい店やれる店』によれば、川添浩史は息子の光郎にこう言ったそうです――。
「キャンティが本物のレストランと呼ばれるようになるためには、まず百年、店をつづけることだ」。
「日本に本物のイタリアン・レストランが生まれるまで、あと69年である」と、同書は締めています。2020年、あと40年となりました。