なぜ東京の駅や街には「ぶつかっても謝らない人」が多いのか

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なぜ東京の駅や街には「ぶつかっても謝らない人」が多いのか

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鳴海汐

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昼間人口1600万人の東京では、駅構内や街の雑踏で人と人とがぶつかる場面も日常茶飯事。そのときに、ひと言「すみません」と言い合う習慣はどうすれば定着するでしょうか。海外滞在歴の長いライターの鳴海汐さんが考察します。

東京では日常茶飯事?

 東京では、ぶつかっても謝らない人に遭遇することが珍しくありません。

 2020年4月7日(火)、ついに政府が「緊急事態宣言」を発令したことにより、東京の主要駅は通勤時間も相当程度、混雑が緩和されているようです。しかし平時であれば、例えば東京メトロには1日延べ約750万人もの人が乗り降りしています。

大勢の人が絶えず行き交う東京の街。すれ違いざまに体がぶつかることも(画像:写真AC)



 朝夕のラッシュ時、駅の改札の内外で、すれ違う人の流れ。対向者とぶつかったその衝撃に「すみません」と言って振り返っても、相手は言葉を発さず、振り返りもせず歩き去って行ってしまう……。そんな経験をしたことがある人も少なくないのではないでしょうか。

 そうした人に初めて遭遇したとき、筆者(鳴海汐。ライター)は驚いて「東京ではこういうものなのかな」と戸惑いを覚えた記憶があります。

 女優の池田エライザさんはインタビューで、5年前に福岡から上京した際「東京に来た当時、人々の歩くスピードがとても速くて、誰かとぶつかっても謝らないことに驚きました」と振り返ります(朝日新聞デジタル2020年1月9日付)。

 地方出身者にとって、この手荒い洗礼は「東京あるある」ではないでしょうか。

相手に届かない、陳謝の言葉

 筆者はぶつかっても謝らない人にたびたび遭遇していますが、ぶつかったときの衝撃とやり場のない戸惑いには、やはりなかなか慣れません。反射的に言ってしまった「すみません」というひと言が所在なく宙に浮いて、どこか損をした気分にさえなってしまいます。

数えきれない人が昼夜行き来する渋谷スクランブル交差点(画像:写真AC)



 人と人がぶつかるのは、どちらかもしくは双方が、歩きながら対向者の流れからふと目を離したときに起きるパターンが典型的。あくまで個人的な経験に基づいて言えば、ぶつかっても謝らない人は中年男性に多いという印象です。

 仕事などで日々せわしなく歩いている彼らのなかには、「前をよく見ないで歩いていると人にぶつかるぞ」という戒めの意味を込めている人もいるのかもしれません。

 無言で立ち去る理由をポジティブに考えれば、振り返ることで人の流れを止めてしまう危険がありますし、すれ違った後では声を発しても相手に届きにくいので諦めたのかもしれません。いつしかそれに慣れて、何も感じなくなっていったのかとも想像できます。

 対向者同士以外でぶつかることが多い場面は、満員電車の中でしょうか。多少のぶつかり程度では無言な人が多いのは、客観的に見ればちょっと不思議な光景と言えるかもしれません。

イギリス人は1日に8回「Sorry」を言う

 海外の話ですが、かつて筆者が滞在していたイギリスでは、ぶつかる、もしくは、ぶつかられると必ず「Sorry(ソーリー)」と言います。

 ロンドンの地下鉄もそれなりに混みますが、人と圧を感じるほどにくっついたまま乗車していることはありません。走行中の揺れなどで、体がぶつかれば、必ず「Sorry」と言い交わされます。

イギリス・ロンドンの地下鉄(画像:写真AC)



 ちなみにですが、ラッシュ時に電車に乗る人が少ないのではありません。駅によっては構内に人が入りきらず、改札の外まで人があふれています。つまり、人と体を密着して乗車するより、時間をかけて電車を待つことを選ぶ文化なのです。

 日本人に接したことのあるイギリス人たちは、「日本人は礼儀正しい」と判を押したように言います。

 必ず謝るイギリス人のほうがよほど礼儀正しいと思うと筆者が意見したときのこと。「別にSorryって言うからって、必ずしも心から謝っているわけじゃない。内心むかついているときもある」と返されました。それはもちろん、対面している雰囲気で伝わってくるときがあります。

 ある調査では、イギリス人は「Sorry」を1日に平均8回口にするとしています。相手からぶつかられたり足を踏まれたりしたときにも言ってしまう人が多いらしく、本当に反射的に出る言葉なのでしょう。しかし単なるマナーでも、形式的でも、全く謝らないよりマシではないか、というのが筆者の考えです。

誰にでもあいさつする欧米人と、日本の地方在住者

 ちょっと話は変わりますが、イギリスでなくドイツに滞在していたときのこと。

 役場の待合室にいたら「こんにちは」と言いながら入ってくる人がいました。すでに待合室にいた人の中で何人かがあいさつを返していました。最初は知り合いかなと思っていたのですが、その後もあいさつしながら入ってくる人がいたので驚きました。

 あとで家に帰ってインターネットで調べたところ、それが普通であり、エレベーターに乗るときなどもあいさつすると書いてありました。

 欧米では侵略が続いた歴史的背景から、自分が敵でないということを示すためにあいさつをする習慣が育ったと言います。イギリス人が「Sorry」を反射的に口にするのも、同じような意味があるように思います。

気軽にあいさつを交わす欧米人のイメージ(画像:写真AC)



 冒頭の池田エライザさんは、「(東京では)知らない人に「こんにちは」と言ってはいけないんだとも知り、寂しくなりました」ともインタビューで話していました。これはつまり、彼女の出身地である福岡では知らない人にもあいさつするということを意味していることになります。

 筆者は現在、神奈川県の西部に暮らしているのですが、散歩していると、近くの工場で働くインドネシア人の女の子たちや小中学生があいさつしてくれます。筆者も、知らない人とすれ違うときにあいさつするようになりました。

 なぜか。特に細い道をすれ違うとき、私は怪しいものではありませんと表明する必要を感じるからです。近づいてくる相手が安全な人だろうかと観察しているので、相手も同じ気持ちだろうと考えてのことです。

 さらには、気まずいから。がらんとした道をすれ違うのに言葉を交わさない不自然さに耐えられないのです。もちろん、あいさつを交わすと温かい気持ちになるのですが、主にはネガティブな要素の解消のためです。池田さんとはきっとあいさつする動機が違いそうですが。

東京での「すみません」を当たり前に

 東京のぶつかっても謝らない人の存在は、国際的に見ても気分のよいものではないようです。ぶつかっても謝らなかったり肘で人をどかしたりしながら満員電車を降りていこうとした人に対して、外国人が抗議している場面を見かけた、という投稿がSNSでいくつも見受けられます。

 東京オリンピック開催決定などを契機にいっそうの国際化が進む今こそ、この習慣をなんとか無くしていくチャンスなのではないでしょうか。

 とはいえ、ぶつかられたときに、こちらから「すみません」と大きめの声で言ってみたとしても、無視されてしまうかもしれません。それ以上の対応は、相手が危険な人物の可能性があるので下手に刺激しない、できるだけ関わらないのがよいと教えられて育ってきたので難しいはずです

 ぶつかっても謝らない人が発生する要因のひとつには、「密集」があるように思います。先ほどのあいさつの話に通じるのですが、人の密度が少し減ればそもそもぶつかる回数も減りますが、スペースができます。そのスペースを言葉で埋めたくなります。

 必要なのは、空間的余白、時間的余裕なのではないでしょうか。

 世界的に見て人との身体的接触が少ない日本人なのに、観光で海外からやってくる人々が珍しがるほどの満員電車に乗っています。異常な密着を我慢してきたストレスも、ぶつかっても謝らない人を形成していたはずです。

大勢の人がせわしなく行き来する東京の通勤風景のイメージ(画像:写真AC)



 将来的にテレワーク、時差通勤が浸透すれば、通勤時の混雑具合は緩和されるでしょう。ただ、それに合わせて電車の本数が減っては意味がありません。都民がこれまでのような電車の混雑度を許容しない意向を示していくことも、状況を変えていくのに必要なのではないでしょうか。

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