なんとファンレターが1日5000通 異次元人気の「セーラームーン」、90年代の熱狂を振り返る

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なんとファンレターが1日5000通 異次元人気の「セーラームーン」、90年代の熱狂を振り返る

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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1992年に漫画連載とアニメ放映が始まり、瞬く間に少女たちを虜(とりこ)にした伝説の作品『美少女戦士セーラームーン』。今なお続く人気ぶりや当時の秘話を、ルポライターの昼間たかしさんが紹介します。

東映アニメーションが手がけた超ヒット作

 2019年のNHK連続テレビ小説『なつぞら』の舞台のモデルにもなった東映アニメーション。そのスタジオがあるのは、練馬区大泉です。スタジオの一角にあった「東映アニメーションギャラリー」は建て替えにともなってリニューアルし、「東映アニメーションミュージアム」となっています。

 以前は歴史資料の展示が多かったのですが、リニューアル後は子ども向けの展示や遊べるコーナーが充実。入場無料なので、近くに住んでいたら子どもが毎日大喜びの施設だと思います。

 数え切れない名作を生み出して生きた東映アニメーション。いま代表作のひとつとなっているのは2004(平成16)年からスタートした『プリキュア』シリーズでしょう。すでに16年間もやっているわけで、いったいプリキュアが何人いるんだか筆者(昼間たかし。ルポライター)は不勉強なのでよくわかりません。

 耳にしたところによりますと、このシリーズがウケている理由は、登場する女の子キャラたちが「主体的」に戦うというところ。それがメインターゲットである女児にものすごくウケているというではありませんか。

 そうなるとその源流として思い出すのは、やっぱり『美少女戦士セーラームーン』です。

主人公・月野うさぎが美少女戦士セーラームーンに変身するというストーリー。画像は美少女戦士セーラームーン 25周年プロジェクト公式サイトから(画像:(C)武内直子・PNP・講談社・東映アニメーション)



 武内直子さんによる原作漫画が講談社の少女漫画雑誌『なかよし』で連載を始めたのは1992(平成4)年2月号からでした。

 当初からアニメ化前提の企画だったこの作品は、同年3月からテレビ朝日系で放送を開始。土曜日19時という時間帯でフジテレビ系の『平成教育委員会』などの人気番組を押さえて平均視聴率12%を獲得し、瞬く間に一般メディアも注目せざるを得ない人気コンテンツになりました。

1日に5000通余りのファンレターが殺到

 そんな人気を得た理由として最初に考えられたのは「美少女」や「セーラー服」という要素がマニア層に受けたのではないかということです。

 実際、そうした要素は確かにありました。

 徳間書店のアニメ専門誌『アニメージュ』でおこなっているキャラクター人気投票では、長い間不動の1位だったナウシカにかわって、セーラーマーキュリーこと亜美ちゃんが1位に(オタクに亜美ちゃん好きが多い理由はいまだによくわかりません)。

 ベスト10のうち四つをセーラームーンのキャラクターが占めるに至りました。筆者は、当時なにかのお祭りで子ども向けのセーラームーンの着ぐるみショーをやっているところに通りがかったところ、 若い男性たちが必死に8ミリビデオカメラを手に撮影をしているのを見て驚いたのを記憶しています。

 でも、それらはあくまでごく一部。それよりもメインのターゲットである、10歳前後の少女の圧倒的な支持を得たことが大きかったのです。

 当時、連載誌の『なかよし』には1日5000通余りのファンレターが殺到。人気アンケートでは70%あまりの読者が1位に選んでいたといいます。その多くがメインターゲットに想定していた少女からのものでした。

「美少女戦士セーラームーン 25周年プロジェクト公式サイト」のトップ画像。画像は美少女戦士セーラームーン 25周年プロジェクト公式サイトから(画像:(C)武内直子・PNP・講談社・東映アニメーション)



 それだけで関連産業の売り上げは膨大なものになりました。『なかよし』の発行部数は連載開始前の倍に近い180万部になり、ついには200万部を突破するに至りました。

『週刊ダイヤモンド』1995(平成7)年7月8日号によれば、このヒットのおかげで東映動画(当時の社名)の売上高は同年3月期には前年度より100億円多い210億円に。

少女の変身願望に応えるグッズが大人気

 さらに、この作品の恩恵を受けたのがバンダイ(台東区駒形)でした。バンダイでは1995(平成7)年3月期の売上高約1200億円のうち、5分の1にあたる約260億円をセーラームーン関連商品が占めるに至っていました。これは、同社が予測もしなかった出来事でした。

 当時、バンダイでは年間100億円ほどの予算で20本前後のテレビアニメをスポンサードしていました。そのうち3割があたればいい程度。ですので、セーラームーンには特別な期待を寄せていたわけではありません。

 それが、1992(平成4)年の夏になり原作者のサイン会に出展したところ一変。会場には4000人あまりの行列ができ、1日のグッズ売り上げが500万円近くに達したのです。

 このとき用意されていたグッズは下敷きなど単価の安い物ばかりでしたから、驚異的な売り上げです。

2020年3月現在も次々に関連グッズが発売されるなど、その人気は衰え知らず。画像は美少女戦士セーラームーン 25周年プロジェクト公式サイトから(画像:(C)武内直子・PNP・講談社・東映アニメーション)



 多くのグッズを商品化したバンダイですが、中でも、ヒロインである月野うさぎが変身するときに爪の色が変わるのを体験できるマニキュア「ピンクなネイルグロス」は発売から半年で30万個を売り上げるヒット商品になりました。こうした作品とグッズの好況の背景には、 それ以前のから脈々と存在してきた少女の変身願望があったのではないかとも分析されています。

 こうして誰もが知っている作品になると、一般メディアによる関係者への取材も増えていきます。

『FOCUS』1994(平成6)年1月19日号では声優の篠原恵美さん(セーラージュピター役)と深見梨加さん(セーラーヴィーナス役)に取材をしています。そこでは、こんな一文が。

 セーラー戦士を演じてはいるが、実をいえば、深見さんは人妻でもある。しかし、そんな「実像」を明かすと、ファンから「夢を壊さないで」と苦情が来る。

作者・武内直子さんの素顔もスクープ

 なるほど、ちょっと困ったファンというのはインターネットが発達した現代ならではの現象ではないようです。こうした記事が登場するのも、やはり作品の出来がよく影響力があるからといえましょう。

厚生労働省の「性感染症予防」キャンペーンのポスターに採用されたことも(画像:(C)Naoko Takeuchi、厚生労働省)



『女性自身』同年12月13日号では、原作者の武内直子さんが白金台のカフェレストランで友人と食事をしていたところ、先頃出所した羽賀研二さんに「アンナは、この際どうでもいいでしょ、行こうよ」と、ナンパされていたのが目撃されたという記事が掲載されています。

 その武内さんですが『FLASH』1993(同5)年7月13日号には「人気コミック『セーラームーン』の作者はこんな美人!」という記事に登場。愛車の「ポルシェカレラ2」とともに写真に収まる武内さんは、恋人の有無を問われて、こう答えています。

「恋人、ねえ? ホント、出会うチャンスがなくって(笑)。私ねえ、無口で暗い人が好きなんですよ。不幸な人が好きなの。そんなに落ち込まないでって言ってあげたいの(笑)。私がすごいお喋りだから、相手は暗~い人で『ねえ、何か喋ってよ』なんてね」

 武内さんが今なお『HUNTER×HUNTER』を連載中の冨樫義博さんと結婚し、「マンガ界の20億円カップル」と祝福されたのは、これから数年後の1999(平成11)年1月のことでした。

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