新幹線のある風景――都内に残る「夢の超特急」のノスタルジーを訪ねて

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新幹線のある風景――都内に残る「夢の超特急」のノスタルジーを訪ねて

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広岡祐

文筆家、社会科教師

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より多くの乗客を、より早く安全に――。半世紀以上にわたって発展を続けてきた新幹線。そんな新幹線の中でも引退した車両が見られる都内のスポットについて、文筆家の広岡祐さんが紹介します。

戦後をささえた新幹線

 1964(昭和39)年に開業した東海道新幹線。2020年3月には20年にわたって活躍してきた車両・700系電車が東海道から引退し、鉄道ファンの話題になっています。

 東京・大阪間からスタートした新幹線はのちに九州・博多まで延長、半世紀の間に全国に広がる高速鉄道網を形成していきました。

 日本の戦後の成長をささえた新幹線の電車は、国内外のさまざまな施設に保存されています。今回は東京都内、多摩地区の公園や街角で保存されているなつかしい車両を紹介しましょう。

緑のなかの新幹線

 東京都青梅市。JR青梅駅の北側、小高い丘陵の一角に青梅鉄道公園(青梅市勝沼)があります。鉄道開業90周年を記念して、1962(昭和37)年に開園した施設です。旧国鉄の蒸気機関車を中心とする展示が見どころですが、この公園には、新幹線の先頭車「0系」とよばれる最初期の車両が保存されています。

青梅鉄道公園に保存されている0系新幹線22形。座席2列にひとつの大きな窓が特徴(画像:広岡祐)



 昔の新幹線といえば、この丸い流線形の電車を思い出す人も多いでしょう。開業以来20年、計3000両あまりが生産され、2008(平成20)年に引退しています。40年以上にわたって新幹線の名を世界に知らしめた名車両です。今では懐かしさを感じる優美なデザインですが、登場したときには未来を感じさせるものでした。

 鉄道公園の一番奥に1両だけ、豊かな木々の中にひっそりとたたずむ新幹線の電車にはどこか不思議な魅力があります。

 ちなみに日本の鉄道車両の多くが全長20m前後なのに対して、新幹線車両は線路の幅が広く、長さも約25m。青梅丘陵の上、曲がりくねった狭い上り坂を公園まで搬入する際の苦労は、関係者や地域の方々の語り草になっています。

東海道の大動脈だった新幹線

 この保存車は、オリジナルのデザインの座席が残されているのも見どころです。

保存された0系の車内。ブルーとグレーの座席は普通車(旧2等車)で、開業当初の座席と内装が残されている(画像:広岡祐)

 22形とよばれるこの車両は1969(昭和44)年、大阪万国博覧会の時期にあわせて増備されたもので、日本の高度経済成長期の後半に東海道を往復していたものです。開業時には12両編成だった新幹線は16両編成となり、さらに多くの乗客を運ぶ東海道の大動脈に成長していきました。

住宅地のなかの新幹線

 昭島市北部・JR青梅線の北側の地域は、戦前は陸軍立川飛行場に近接する工場地帯でした。戦後は米軍施設として利用されたのち、ベッドタウンとして成長していきます。

 1981(昭和56)年に大規模な公団住宅・昭島つつじが丘ハイツ(昭島市つつじが丘)が建設され、のちに敷地内に設けられた公園に0系新幹線が置かれました。

集合住宅の間の公園に置かれた新幹線電車は、つつじが丘のシンボルとなった(画像:広岡祐)



 この車両は、オイルショックを迎えた1973(昭和48)年の製造。0系車両としては中期のものになります。昭島市がJR東海より購入、市立図書館の分館として1992年に開館したものです。新幹線電車図書館として地域住民に長く親しまれてきました。

 広い車内には書架が並び、車両の端の座席をそのまま閲覧席として活用しているのも特徴です。この座席は子供たちの人気を集めました。

図書館としての新幹線

 30年近くにわたって地域住民に親しまれてきた新幹線図書館ですが、近接する小学校の跡地に新しい図書館がオープンするため、残念ながらこの春で閉館となりました。3月末までは開館の予定でしたが、新型コロナウイルスの拡大防止対策として、残念ながら2月末でのお別れとなってしまいました。

新幹線図書館車内。荷物棚も書架として活用している(画像:広岡祐)

 開館最終日の夕方、閉館の間際に訪問することができました。名残を惜しむ近隣住民が次々とやってきます。考えてみれば、現役時代よりこの地にいる期間の方が10年近く長いのです。

「私も子どもの頃に友達と通っていたんです。さびしいですね」

記念写真を撮っていた、家族連れのお父さんが語ってくれました。

 親子2代で愛され、親しまれた新幹線図書館。公共施設としての利用が終わっても、地域のランドマークとしていつまでも残ってほしいものです。

未来を見すえた新幹線

 最後に紹介するのは、国分寺市光町に保存されている951形新幹線電車。

新幹線951形。1969(昭和44)年に2両だけ製造された試験車(画像:広岡祐)



 この地には、東海道新幹線の研究開発をすすめた国鉄の鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)があり、光町という町名は町名改正のおり、新幹線ひかり号にちなんで誕生しました。

 国分寺市に寄贈され、鉄道総合技術研究所(鉄道総研)の正門前に建てられた複合施設「ひかりプラザ」(国分寺市光町)に展示されたこの車両は、0系新幹線に似ていますが、実物をみると先頭部が非常に長いことに気づきます。

 1972(昭和47)年の山陽新幹線岡山開業に備えて、それまで時速210㎞だった最高速度を250㎞まであげるために2両だけ製造された試験車なのでした。

発展の歴史を感じる新幹線

 この車両は強化されたモーターやブレーキのほか、アルミ合金製の軽量化された車体や気密構造などをもっています。これらの最新技術は、現在の新幹線につながるものでした。

 1972年2月、951形車両は山陽新幹線の姫路~西明石間で、当時の日本の鉄道車両としては最高の時速286kmを記録しています。

車内に飾られた速度記録・時速286㎞達成を記念するプレート。車内は新幹線の歴史をたどる資料室となっている(画像:広岡祐)

 この春に引退した700系の最高速度は時速285km。現在私たちが日々利用している後継の新幹線は300㎞を超えるスピードと、空気抵抗の減少や騒音対策をより進めた、さらに複雑な流線形のスタイルをもっています。

 より多くの乗客を、より早く安全に。日本の新幹線は半世紀以上にわたって発展を続けてきました。各地に残された保存車両をながめると、その歴史の一部を感じることができるでしょう。

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