毎日がちょっとラクになる? 「ニート祭り」に学んだ現代社会のゆるめな生き方・働き方

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毎日がちょっとラクになる? 「ニート祭り」に学んだ現代社会のゆるめな生き方・働き方

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アーバンライフ東京編集部

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2月10日は「ニートの日」。怠け者、非生産的などと批判されてきたニートに、現代の社会を今よりラクに生きるヒントを学べるとしたら――? 「ニート的感性」を持つ4人の男性が繰り広げた「第14回ニート祭り」トークセッションの模様をリポートします。

「ニート」という言葉の登場から十数年

 去る2月10日は、語呂合わせで「ニートの日」。

 ニート(NEET)とは「Not in Education, Employment or Training」の頭文字を取ったもので、就学・就労・職業訓練のいずれにも就いていない若年無業者を指す造語です。

自分の思うままに自由に生きるイメージ(画像:写真AC)



 2004(平成16)年7月、日本労働研究機構研究員で東京大学助教授だった玄田有史氏らの著書『ニート ― フリーターでもなく失業者でもなく』が出版されると、ニートという言葉は世間に広まり、ひとつの社会問題として捉えられるようになりました。

課題となる、ニートの長期化・高齢化

 学校へ通うでもなく、働くでもなく、働くための訓練をするわけでもない――。ニートという言葉にはその当初から「怠け者」あるいは「理解しがたい若者たち」といったネガティブなイメージが付きまといました。

 国や都道府県は、就業体験のあっせんなどさまざまな支援施策を展開。現在ニートの数は減少傾向という統計がある一方で、「少子化により若年層人口そのものが減っているだけ」「ニートの定義からこぼれる中高年以上の無業者が増えている」といった懸念も指摘されています。

若年無業者数を推移を示す「2019年版 子供・若者白書」(画像:内閣府ホームページ)

「ニート」という概念が日本に登場してからはや十数年。今、支援の現場と当事者たちは何を思い、どのような取り組みをしているのでしょうか。2020年2月10日(月)夜、ニートの日に開かれた「ニート祭り」の会場へ足を運んでみました。

目指すべき「ニート的感性」とは??

 会場は東急田園都市線・池尻大橋駅から徒歩7分のところにある、世田谷区立の公民館。100席近い会場は駆けつけた老若男女により満席状態でした。

 主催は認定NPO法人ニュースタート事務局(千葉県市川市)。引きこもりなど困難を抱える若者の支援を目的に1999(平成11)年に設立され、「ニート祭り」は今回ですでに14回を数え、ニートという言葉が日本に登場した最初期の頃から開催してきた計算になります。

「世界一インスタ映えしない祭り」、そして「呼び覚ませ! ニート的感性」を合言葉に、第1部では事務局スタッフやニート当事者たちが朗読劇を上演。

「今生はあきらめるしかない! もう来世に期待するしかない!」

「『変な子と思われたくない』と思い過ぎるせいで、逆に空回りしてしまう」

と赤裸々な思いを告白すると、会場には悲愴感が漂うどころか、むしろ共感を示す笑いが起こっていました。

ニート界のエリートたちが集結

 第2部のトークセッションでは、ニートかいわいで今をときめく「スーパースター」4人がずらり勢ぞろいです。

1.吉田かつや さん
 会社員生活で心労がたまりリタイア。千葉県九十九里町に43坪45万円の土地を購入して自作の小屋を建て、動画投稿サイトに生活の様子をアップし広告収入を得ている。

2.葉梨はじめ さん
 2014年に和歌山県の限界集落にある廃校へ移住。インターネットを通じて一緒に住みたいという人を募集し、現在男女15人で共同生活を営んでいる。通称「山奥ニート」。

3.若新雄純 さん
 2013年に「NEET株式会社」を設立。構成メンバー157人全員がニートで全員が取締役という異色の同社のほか、「鯖江市役所JK課」など斬新な企画を多数プロデュース。

4.レンタルなんもしない人 さん
「何もしない人間(自分)」を貸し出すというサービスをツイッター上でスタートさせて話題を呼ぶ。ゲームの人数合わせや花見の場所取りとして利用されるとのこと。

「第14回ニート祭り」に登壇した、(右から)吉田かつやさん、葉梨はじめさん、若新雄純さん、レンタルなんもしない人さん(2020年2月10日、遠藤綾乃撮影)



 4人は皆、何かしらの仕事をして生計を立てているため厳密にはニートではありません。また、人が思いつかない事業を立ち上げたり新しいことを始めたりする度胸や行動力を持ち合わせているという点では、単なるニートではなくニート界の「エリート中のエリート」。

 彼らの話を聞くことで「一兵卒のニートたち」や悩みを抱える一般人は、果たして勇気や希望をもらえるのか、それともおのれの無能さをあらためて思い知り、悲哀の念をより強くしてしまうのか――。壇上で居並ぶ4人を前に、会場は一種独特の高揚感に包まれたように感じました。

それぞれの生活、思い、願い、将来

 4人が語ったそれぞれの生活ぶりや思いをご紹介しましょう。

 まず吉田さんは小屋生活を始めて約6年。小屋のほか、風呂を沸かすためのかまども自作しました。かまどの燃料はそのへんに落ちている竹の枝なので、燃料代は実質タダ。水は井戸を掘ったため掘削などの初期費用が10万円ほど掛かりましたが、それ以降は無料。飲み水はスーパーでもらえるアルカリイオン水をくんできているため、こちらもタダだそうです。

 小屋での日々の様子をユーチューブにアップしていて、月に5万~10万円ほど得られる広告収入で生活が成り立っているそう。一緒に暮らす彼女もいて、何だか楽しそうです。

「会社員をしていた頃は心がウツ状態でした。それで会社を辞めて、小屋暮らしというものを知って自分も始めてみることにして。それで救われました。今はとても元気です」

※ ※ ※

 葉梨さんの「山奥ニート」生活も、間もなく6年を迎えます。一緒に暮らす仲間たちと、部屋でのんびりゲームをしたり、川のせせらぎに耳を傾けながら読書をしたりと自由気まま。

 月に2万円ずつ出し合って生活費とし、食事は気がついた人が気がついたタイミングで作るというのが共同生活でのルールです。野菜を育てたり飼っているニワトリの卵を食べたりする一方、スーパーで買ってきたお弁当を食べることも。厳格なルールは設けていないそうです。

「限界集落に暮らしていると自分がニートをしていることをふと忘れてしまうほど時間がゆったり過ぎていく。地域のお年寄りたちとも仲良くやっています。生活は何とかなるもので、結婚もしましたし、子どもも持とうかどうしようかと考えているところです」

老若男女が参加し、満員御礼だった「第14回ニート祭り」(2020年2月10日、遠藤綾乃撮影)



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 慶応大学特任准教授も務める若新さんは、ニートというよりニートのためのプロデューサーといった立場。構成メンバー全員がニートという前代未聞の株式会社を立ち上げて、6年余りが経過しました。経済的利益を生み出すことが大命題の民間企業でありながら「世の中的に何の価値が無いものでも存続できる、ということを示したかった」と起業の意図を語ります。

 モットーは「とにかく人に期待しない」こと。

「期待をするから落胆するし、人への評価が『減点方式』になってしまう。期待しなければ全てが上乗せになる加点式。何かひとつでもいいことがあればうれしくなれる。そういう付き合い方がいいと思っています」

※ ※ ※

 レンタルさんは、ツイッターで「レンタルなんもしない人」の開始を宣言し、一気にブレークしました。飲み食いと簡単な受け答え以外は何もできない、と事前に断っている面白さから、1回1万円の依頼を申し込む人が殺到。テレビやラジオへの出演のほか自著も出版しています。

「最初に『なんもしない』と断っているので、過度な期待をしてくる人がいなくて、クレームは起こりにくいです。レンタルというのは一時的な関係なので、友達になることもないのは楽です。将来への不安ですか。将来のことを考えることがないので、将来の不安はないという感じですね」

 かなり個性的な面々で、突き抜けています。語り口調もどこかほんわりしていて、肩の力が抜けている感じ。定職に就き、安定した収入を得て生活基盤を築くという、今も社会の常識とされている枠組みからは大きく外れているはずなのに、彼らから悲壮感や焦燥感を感じ取ることはありません。

 若者の有りようや社会との向き合い方は、時代とともにずいぶん変化しているのだな、と驚かされるばかりのトークセッションでした。

若者をめぐる、世代論的クロニクル

 さかのぼれば半世紀ほど前、1970(昭和45)年頃の若者たちは「ベトナム戦争反対」などを掲げて学生運動に明け暮れ、社会や大人、体制のあり方に真っ向から対峙(たいじ)しました。

 その反動から次の時代には「しらけ世代」が登場し、続いて「新人類世代」「バブル世代」「団塊ジュニア(=ロスジェネ)世代」……。

 紆余(うよ)曲折の系譜をたどり、今の若者はもっぱら、ポスト「ゆとり世代」に当たる「さとり世代」と称されます。夢を追うより現実を見つめ、自分の身の丈に合った生き方を淡々と遂行する――。そんなイメージで語られることの多い世代です。

どこまでも自由を追い求めるイメージ(写真AC)



 いわゆる「ロスジェネ世代」と「ゆとり世代」の谷間の、名もなき若者時代を生きた1984年生まれの筆者にとって、ニートという言葉が突如現れた2004(平成16)から2005年は、まさに大学卒業を控えた就職活動のただ中にありました。

 世間は「就職氷河期」を抜け出し、新卒を対象にした求人総数はバブル期の1989(平成元)年並みにまで達している、と当時の新聞は報じていました。

 売り手市場を回復した就活戦線にあって、内定がもらえなければそれはほかでもない学生本人の問題だ――。そんな強迫観念に駆り立てられた、十数年前の就活生たちのひとりでした。

 当時の大学生にとって裏社交場的存在だったウェブサイト「2ちゃんねる」では、

「内定が1個ももらえない。このままじゃニートになっちゃうお」

「もうむりぽ。ニートとして生きていくことにするお」

「内々定じゃなくて、無い内定。藁(わら)」

と“悲壮”な書き込みがあふれていたことを覚えています。

 ロスジェネ世代の労苦を目の当たりにしてきたからこそ「社会の枠組みに何とか潜り込まねば」と強く信じ、社会に焦がれ、就活にあがいた世代。

 そして「ニート」という「学生でも社会人でもない、『何者でもない』ことを悪(あ)しとする」当時の新語が、間違いなくその焦燥感にいっそうの拍車を掛けていたと、ヨレヨレのリクルートスーツを着ながら精を出した就活の日々を思い出しながら、今、顧みています。

クールに、鮮やかに、生き方を自分で選択する

 翻って現代の2020年2月10日(月)夜。ニート祭りの登壇者たちの話を聞くほどに興味深かったのは、彼らの、社会との向き合い方、そして距離の取り方でした。

 学生運動時代の若者のように社会に真っ向から対峙するわけでもなく、バブル期のように社会の「狂乱」に相乗りして恩恵に浴するわけでもなく、十数年前の就活生のように必死で社会に食らいつくわけでもなく。

 自分自身の快・不快に照らして社会の要・不要を自らえり分け、社会との距離を自分自身で決めながら、クールに付き合っているのが最新版の「ニート」、ひいては現代のひとつの若者像のように見受けました。

ゆるく気ままに生きるイメージ(写真AC)



 社会的地位や財産といった従来の価値を手放す代わりに、不要なストレスを抱え込まないよう暮らし方・働き方を自分用に合わせる――もちろんそのためには、少しばかりの知恵や工夫、度胸も必要になります。

 明日いきなり土地を買って小屋を建てたり、山奥暮らしを始めたりすることは難しそうですが、「自分が心地よく過ごせる環境を自分で選んでもいい」「要るものや要らないものは自分自身で決めていい」と、考え方をゆるめにシフトすることは、今日から誰にでもできそうです。

「人として成長するためにつらい経験は必要だ」という熱血根性論から、「つらいことはつらいんだから、回避してもいいんじゃない? もっと生きやすく生きようよ」という、ゆるめの肯定論へ――。当たり前のようでなかなか実践できなかった理想へ、鮮やかに軽やかに飛び込んでいく壇上の「ニート」たちに羨望(せんぼう)のまなざしを送ってしまうのは、きっと筆者だけではないと思うのです。

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