池袋から10分のオアシス・石神井公園で「550年前の東京」が堪能できる

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池袋から10分のオアシス・石神井公園で「550年前の東京」が堪能できる

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鳴海侑

まち探訪家

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池袋から西武池袋線の急行で約10分の場所にある石神井エリア。その魅力について、まち探訪家の鳴海侑さんが解説します。

「すてき」「面白い」にあふれた西武池袋線沿線

 池袋の東口から西へ向かい、所沢や秩父へ向かう西武池袋線。秩父や飯能にできたムーミンバレーパークに行くことはあっても、東京都内の西武池袋線沿線になかなか足を運ぶ機会は少ないのではないでしょうか。

 またこのエリアは、具体的なイメージも湧きにくいところではないか思います。しかし、江古田、石神井公園、ひばりヶ丘、清瀬とすてきなまちや面白いまちが多いのです。

 今回はそんな西武池袋線の中でもふらっと行って楽しめる場所として、石神井公園駅周辺を中心に紹介したいと思います。

ノスタルジックな風景がみられる駅周辺

 石神井公園駅は池袋から西武池袋線の急行で1駅、約10分。東京メトロ副都心線からでも、速達型列車「Fライナー」の小手指行きや飯能行きに乗れば新宿3丁目や渋谷から1本で行け、大変便利な場所です。

 都心方向から石神井公園(練馬区石神井台)へ向かうと練馬駅から高架区間を飛ばしていきますが、ここは近くに高い建物がなく、近隣住宅地の様子を車窓に楽しむことができます。個人的にはここの車窓は都内でもかなりのお気に入りです。

石神井池の様子(画像:写真AC)



 石神井公園駅も高架の上に駅がありますが、近年高架の上に移った駅でもあるので、大変駅構内は広々としていてきれいです。階段を下りて池袋方向が正面の出口にあたり、目の前にはバスターミナルがあります。

 バスターミナルや駅以外の高架下は商業施設「Emio 石神井公園」となっており、スーパーや雑貨店、すし屋などが入っているほか、高架横にもカフェやアパレルショップなどあって駅周辺は生活に便利な場所です。

ノスタルジックな風景がみられる駅周辺

 今回は目の前にバスターミナルを見ながら右、南の方向へ向かいます。すぐ丁字路になっていて、右に折れるとパークロード石神井(石神井公園商店街)です。

パークロード石神井の様子(画像:(C)Google)



 人通りも多く、道幅も狭い商店街ですが、時折西武バスや関東バスが通り抜けていきます。交差点では警備員が立ち、安全確保やバスの誘導を行っており、バスもゆっくり慎重に走って行きます。こうした狭い場所を走るバスも今や都内では貴重なものになりつつあり、特に狭い商店街を抜けていくバスはほとんど見かけません。

 見かけなくなったのは再開発などで道を広くしたり、バスターミナルを整備したりした成果でもありますが、石神井公園駅の南側ではちょっとノスタルジックな商店街を抜けていくバスに出会うことができます。

豊かな自然を楽しめる石神井公園、国の天然記念物も

 バスの曲がる交差点でバスと同じく左に曲がって少し歩くと右手に池が現れます。ここが石神井池で、石神井池の周辺が駅名の由来となっている石神井公園です。

 石神井池は東西に細長く、少し暖かな日に散歩するにはちょうどいいコースです。休日には老若男女多くの人でにぎわいます。

 石神井池の北岸を歩いて行くと、池に近い住宅がやたらと大きいことに気づく人もいるかもしれません。おそらくここは高級住宅街として開発されたところです。石神井池自体は人工の池ですが、確かに風光明媚(めいび)な場所ではあるので、住環境としては結構いい場所といえます。

 石神井池を東から西に抜けると道路を挟んで三宝寺池があります。この池の浮島にはカキツバタなどの植物が群生する国の天然記念物・沼沢植物群落があります。この植物群落など自然環境を保全するために先ほど紹介した石神井池がボート用の池として作られ、公園として整備されました。

三宝寺池の様子(画像:写真AC)

 そのため三宝寺池周辺は自然が豊かに保全されており、木道や遊歩道を使って散策することができます。周囲の森や丘により周辺の住宅地が直接見えず、またとても静かな場所です。思わずここが23区内であることを忘れてしまいそうになります。

23区北西部の中心が石神井にあった?

 三宝寺池の南側の少し高い丘は石神井城の跡地です。城というと立派な天守閣や大きな堀などを思い浮かべるかと思いますが、石神井城は鎌倉時代末期に築城されたといわれる中世の城であるため、大規模な物ではありません。

石神井城跡の場所(画像:(C)Google)



 豊島氏の本拠地となる城であり、北は三宝寺池、南は石神井川に挟まれた丘という城を作りやすい場所にありました。

 豊島氏は名前の通り豊島郡を治めている武将でした。豊島郡はいまの千代田区や中央区、港区、台東区、荒川区、北区、文京区、新宿区、渋谷区、豊島区、板橋区、練馬区にまたがる広大なエリアでした。

 そのため豊島氏だけではなく何人かの武将によって治められ、葛西氏、渋谷氏、江戸氏などの名前が見られます。豊島氏は今の北区、豊島区、板橋区、練馬区のあたりを治めていたといわれています。

いまも残る豊島氏の痕跡

 室町時代後期になると江戸城や川越城(河越城)を築いた太田道灌と豊島氏は対立します。

 1476(文明8)年から1480年にかけて起こった「長尾景春の乱」で太田氏の江戸城と川越城の間の連絡路を絶つと、太田氏が豊島氏に兵を差し向け、江古田・沼袋原の戦いが起きます。この戦いで豊島氏は敗北し、そのまま石神井城も太田道灌の手で攻め落とされてしまいました。そして石神井城は廃城に。

 現在は空堀や土塁の跡を見ることができますが、史跡として保存するため、一部エリアは通常立ち入ることができないようにフェンスがされています。

 豊島氏の痕跡は石神井城の南の寺社にもみられます。三宝寺池の由来になっている三寶寺(さんぼうじ)は豊島氏が帰依(よりどころとすること)としていた寺で、その北西にある石神井氷川神社はさいたま市の氷川神社から分祀(ぶんし)して、豊島氏が守護神として祭ったと言われます。石神井公園は中世の東京の歴史を感じられる場所でもあるのです。

三寶寺の外観(画像:(C)Google)

 今回は意外と知られていないスポットとして石神井公園のまちと中世の歴史を紹介しました。まち、自然、中世史が楽しめる、特に徳川家康江戸入府以前の中世史を感じることができる東京のまちはそう多くはありません。ぜひさまざまなまちの要素を楽しみたい人に石神井公園はおすすめのエリアです。

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