ユーミンの「中央フリーウェイ」が今でもドライブデートの人気曲No.1である決定的理由

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ユーミンの「中央フリーウェイ」が今でもドライブデートの人気曲No.1である決定的理由

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太田省一

社会学者、著述家

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ソニー損害保険が行った「初めてのドライブデートでかけたい曲」の調査結果で、ユーミンこと松任谷由実(荒井由実)さんの「中央フリーウェイ」が1位に、2位と5位にサザンオールスターズが輝きました。いったいなぜでしょうか。社会学者で著述家の太田省一さんが読み解きます。

発売は40年以上前なのに、なぜ?

 音楽の味わいは、聴くシチュエーションで変わります。同じ曲でも自分の部屋と車のなかとではずいぶん印象も違うでしょう。そうしたなか、「初めてのドライブデートでかけたい曲」の調査結果がソニー損害保険(大田区蒲田)から発表されました。

 ゆず「夏色」やケツメイシ「ドライブ」などはいかにもドライブ向き。また、あいみょん「マリーゴールド」や米津玄師「Lemon」のような最近のヒット曲もランク入りしていますが、全世代トータルでの第1位はユーミンこと松任谷由実(荒井由実)の「中央フリーウェイ」でした。予想通りというかたもいるかもしれませんが、いまから40年以上前の発売であることを思えば驚異的な息の長さです。

「中央フリーウェイ」に出てくる東京競馬場(画面右上)と中央自動車道、競馬場の斜め左にあるサントリーのビール工場(画像:写真AC)



 また、「TSUNAMI」と「希望の轍」の2曲がそれぞれ上位の2位と5位に入ったサザンオールスターズの健在ぶりも、とても印象的です。曲単位ではユーミンですが、アーティスト別にすればサザンがトップといったところでしょうか。

 では、なぜドライブデートにはユーミンやサザンの曲なのでしょうか? そのあたりを時代背景とともに探ってみたいと思います。

「レジャー」と「3C」が生み出したもの

「レジャー」という言葉があります。直訳すれば「余暇」ですが、日本語では余暇を使っておこなう娯楽や旅行など遊び全般を指す意味合いで使われます。

 流行語として広まったのは1960年代前半、日本が高度経済成長を迎えた時期でした。その頃になると日本人も平均して豊かになり、遊びにも時間を使う余裕が生まれます。そんな新時代を象徴する言葉、それが「レジャー」でした。

 さらに経済成長は続き、1960年代後半には「3C」という言葉も生まれました。当時の日本人が購入したいと考えた3つのものを共通の頭文字のCで表したものです。そこに「クーラー」「カラーテレビ」とともにあがったのが「自動車(car)」でした。こうしてドライブは、人気レジャーのひとつになっていきます。

「郊外」に「市民権」を与えたユーミン

 一方快適なドライブのためには、高速道路など道路網の整備も必要でした。実際、1960年代は首都高速道路や東名高速道路など高速道路の建設ラッシュが始まった時代でもありました。

 中央自動車道は、そんな時代に生まれた高速道路のひとつです。1967(昭和42)年に調布と八王子間が開通、最終的には東京と愛知、山梨を結ぶようになりました。ユーミンが「中央フリーウェイ」と呼びかたを変え、曲にしたのは1976(昭和51)年のことです。

 この曲、メロディーラインの心地よさもありますが、歌詞に具体的な風景が書かれているのが耳に残ります。「調布基地」は在日米軍の調布基地、「競馬場」は東京競馬場、「ビール工場」はサントリー武蔵野ビール工場を指します。どれも実際に都心から八王子方面に向かって車で走ると目の前に広がる風景の一部です。

「中央フリーウェイ」に出てくる「調布基地」の場所にある現在の調布飛行場。1974年に在日米軍から全面返還された(画像:写真AC)



 八王子は、ユーミンの生まれ育った街でもありました。最新の流行やアートに早くから興味津々だったユーミンは、都心の盛り場に出入りし、お茶の水の美術学校にも通いました。「中央フリーウェイ」に描かれている風景は、若き日のユーミンが車で家路についたときに実際に見たものかもしれません。

 八王子など東京の郊外は、それまで流行歌の舞台になりにくいものでした。歌謡曲、特に演歌に顕著ですが、舞台になるのは例えば藤圭子「新宿の女」のように東京にある盛り場か、北島三郎「函館の女」のように東京から離れた地方ということが多く、その“中間”は歌にならない空白地帯でした。

 1971(昭和46)年にデビューしたユーミンは、都市に隣接する「郊外」という場所に歌の世界でおそらく初めて市民権を与えました。既存の流行歌に対抗する「ニューミュージック」の元祖でもあったユーミン。その新しさは、サウンド面だけではなく歌の舞台のチョイスにもあったと言えます。

サザンをかければ、どこでも「湘南気分」

 「郊外」とともに、高度経済成長の時期を通じて存在感を増したのが「湘南」でした。

 石原慎太郎のベストセラー小説『太陽の季節』(1955年発表)から生まれた太陽族、映画「若大将シリーズ」(1961年開始)への主演で一躍スターとなった茅ヶ崎育ちの加山雄三の存在などを通じて、湘南は裕福な若者たちのおしゃれな遊び場というイメージが定着。同時に、東京からカップルがドライブで遠出する際の人気スポットになっていきました。

 そして1978(昭和53)年、サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でデビューします。曲の作者でありボーカルの桑田佳祐は茅ヶ崎の出身。歌詞にはその茅ヶ崎や江の島、そしてそのものずばり湘南という地名が登場します。

 それ以降、「サザンと言えば海」というイメージも浸透していきました。今回、ランク入りした「希望の轍」にも「エボシライン」という茅ヶ崎の烏帽子岩を連想させるワードが出てきます。

湘南のサーファーと奥に見える烏帽子岩(画像:写真AC)



 サザンは、それまではまだ遠い憧れの感覚が残っていた湘南を一気に大衆化したと言えるように思います。彼らが国民的バンドに成長するのとともに、湘南も全国区になりました。特定の曲というよりはサザンが歌っている曲を流せば、日本全国どこの道をドライブしていても“湘南”の気分が味わえる。その点が、今回のアンケートでサザンの曲が上位に複数曲ランク入りしている理由ではないでしょうか。

 ともに1970年代にデビューしたユーミンとサザン。個性は違いますが、どちらも豊かになった日本の明るい側面を代表しているのかもしれません。だから私たちはユーミンとサザンを聴き続ける。今回のランキングは、そのDNAがいまも連綿と受け継がれていることを教えてくれます。

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