目黒の「権之助坂」を知っていますか?
新宿東口エリアの濃厚なカルチャー史を見た後は、山手線内回りで南下して目黒区へ。さすがに新宿区ほど濃厚ではないものの、目黒駅周辺には「山椒は小粒でぴりりと辛い」エピソードが詰まっています。
一応先に言っておきますと、JR目黒駅の住所は品川区になるそうです。同様に品川駅は港区で「バスタ新宿」は渋谷区とのこと。
ですが、玄関口は玄関口ということで尊重して、今回はJR目黒駅周辺を音楽散歩しながら「ベストヒット目黒区」を考えてみたいと思います。
このJR目黒駅は、ふたつに分かれた目黒通りにはさまれた格好になっています。駅西口を出て、左側に正面(西向き)方向への一方通行の道、右側に反対方向の一方通行の道。今回は左側から攻めてみます。
いきなり急な下り坂。坂の名前は「権之助坂」(ごんのすけざか)。江戸時代、厳しい年貢米の取り立てを緩めるようお上に訴えるも、それが原因で罪に問われた菅沼権之助を称えるために名付けられたものと言われます。
1981(昭和56)年、人気沸騰中の漫才コンビ = ツービートの、今で言う「じゃない方芸人」 = ビートきよしがリリースした演歌のタイトルが『雨の権之助坂』でした。曲は知らないまでも、「権之助坂」というフレーズを、ビートきよしの曲で知ったという人は当時、私も含めて多かったはずです。
ヤマハ音楽振興会で思い出すチェッカーズ
その権之助坂を下りながら、左の道を少し入ったところにあるのがご存知ホリプロ(目黒区下目黒)。山口百恵、和田アキ子、榊原郁恵らをはじめとして、多数のタレントを擁してきた一大芸能事務所です。
ただ音楽ファン的には、70年代前半、あの井上陽水と忌野清志郎(RCサクセション)がともに在籍した事務所としてのイメージが鮮烈です。この奇才ふたりが共作したのが、井上陽水屈指の名曲 = 『帰れない二人』(73年)。
目黒通りに戻って、目黒川、山手通りを超え、さらに西に向かっていくと、左側に見えてくるのがヤマハ音楽振興会(同)。ヤマハと言えば、一般的には、中島みゆき、世良公則&ツイスト、クリスタルキング、チャゲ&飛鳥……ということになりますが、個人的に思い出深いのがチェッカーズ。
デビュー当初、チェッカーズの事務所はここ、ヤマハでした。7人のメンバーが下宿した寮もこのあたり。ですが、ヤマハとメンバーが音楽的に対立し、人気に火が付いてすぐの84年1月頃、何とメンバーがヤマハから脱走してしまうのです(このあたりの経緯については、私の著書『チェッカーズの音楽とその時代』(ブックマン社)をご一読ください)。
目黒鹿鳴館の前にいた「極端な髪型」の観客たち
脱走なんて、何ともきな臭い話ですが、そんなヤマハ時代のチェッカーズも、ずっとギスギスしていたわけではなかったらしく、メンバーの鶴久政治(マサハル)が、ヤマハの先輩 = 飛鳥涼に、しきりにキャッチボールに誘われたという、想像するだけで微笑ましいエピソードも、拙著には書かれています。
チェッカーズの次は、ヘビメタやビジュアル系の世界へ。目黒通りを折り返して、今度は目黒駅の方にのぼっていくと、左側にあるのが目黒鹿鳴館(目黒区目黒)。1980(昭和55)年にオープンし、LUNA SEAやX JAPAN、GLAYも出演したという伝説のライブハウスです。
このあたりで飲んでいて、ほろ酔い気分で歩いていると、目黒鹿鳴館の入口のところに、全身黒ずくめ、極端な髪型の観客たちがたむろしていて、その前を通り過ぎるのにとても緊張したことが何度かありました。
その目黒鹿鳴館あたりを目黒駅に向かって左側に入ったところにあるのが、この目黒音楽散歩の終点 = 目黒日本大学高校です。と書いても、この校名を知っている人は多くはないでしょう。でも、その前身の名前「日出高校」、そのまた前身「日出女子学園」と言えば、聞いたことがある人も多いと思います。
卒業生のラインナップ――山口百恵、原田知世、菊池桃子、仲間由紀恵、上野樹里、新垣結衣、多部未華子、仲里依紗、剛力彩芽、松岡茉優、小芝風花、川栄李奈――(出典「みんなの高校情報 東京」)。
錚々(そうそう)たるメンツですが、単に美しいだけでなく、しっかりと自己を持った、自立したイメージの女性たちが並んでいます。目黒日本大学高校の教育理念は「しなやかな強さを持った自立できる人間を育てる」とのこと。理念は見事に実践されているのです。
山口百恵のヒット曲に出てくる「坂」
以上の情報より「ベストヒット目黒区」を決定します。目黒区を代表するシンガーと言えば、ホリプロ発・日出女子学園経由、しっかりと自己を持った女性像を確立した歌姫 = 山口百恵をおいて他にはないでしょう。
そして、彼女の数あるヒット曲の中でも、母校の教育理念にある「しなやか」という言葉が普及するきっかけとなった『しなやかに歌って』(79年)を「ベストヒット目黒区」としたいと思います。
1番の歌詞の冒頭には「♪坂の上から見た街は陽炎(かげろう)」というフレーズが出てきます。『横須賀ストーリー』(76年)に出て来る「急な坂道」はもちろん横須賀にあるのでしょうが、目黒の高校を卒業してからたった2年、20歳の山口百恵が歌う『しなやかに歌って』の「坂」は、権之助坂だったような気がしてしょうがないのです。