新国立競技場敷地の人骨発掘から見る、東京五輪と徳川家の根深い因縁

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新国立競技場敷地の人骨発掘から見る、東京五輪と徳川家の根深い因縁

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吉田悠軌

怪談・オカルト研究家

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東京オリンピックと徳川家の根深い因縁について、怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんが解説します。

187体の人骨発掘が語るもの

 1964(昭和39)年の東京オリンピックは、整備・開発によって東京という街の風景を大きく変化させました。2020年の東京オリンピックでは、どうなることでしょうか。この1大プロジェクトの整備・開発にまつわるトピックといえば、誰もがまず「新国立競技場」(新宿区霞ヶ丘町)のここ数年間の騒動を思い出すでしょう。

 建設費の大幅縮小されたり、建築そのものが故ザハ・ハディドから隈研吾へと変更されたり……。ようやく完成間近となった2019年11月初めには、「建設現場から187体もの人骨が発掘されていた」というニュースが報じられ、話題となりました。

 これには競技場内の敷地が、江戸時代には墓地だったからというハッキリした理由があること。ですが、なにしろ人骨という点に怪談めいた因縁を感じた人も多かったでしょう。

旧国立競技場の外観。2014年撮影(画像:吉田悠軌)



 実は私、昔からこの土地に注目していました。2014年1月の段階で、次のような記事をネットニュースで書いたことがあります。

「新国立競技場を巡るトラブルは、徳川家の祟りが関係しているのではないか!?」

……と。

 自分でいうのもなんですが、これがけっこう話題となりました。発表から1年ほどはテレビやネットにさんざん流用されたし、今でも都市伝説のひとつと数えられているようです。

 もちろんこれは単なるオモシロ記事ですが、まったく無根拠に思いついたアイデアではありません。いちおう、東京の歴史に深くまつわる怪談話ではあるのです。なにしろ競技場から道路を挟んだ一帯はかつて、徳川宗家の広大な敷地だったのですから。

 大政奉還によって江戸城を追われた徳川宗家はその後、千駄ヶ谷へと移住。もともと一帯が江戸時代、紀州徳川家の抱屋敷だった経緯も関係しているのでしょう。

紀元2600年の記念行事になるはずだった「幻の東京オリンピック」

 宗家(本家)が当時所有していた敷地は十万坪と、原宿まで達する広大なものでした。そこに住んでいたのは、世が世なら大将軍だった16代当主の家達(いえさと)や、その子の家正たち。大正時代に大改築が行われた徳川邸は、火災によって本館(今の東京体育館がある場所)が全焼しますが、その後も屋敷は再建されます。

紀州徳川家の菩提寺「仙寿院」。2014年撮影(画像:吉田悠軌)



 しかし1940(昭和15)年、いわゆる「幻の東京オリンピック」から、徳川家とオリンピックとの因縁がたちあがっていきます。オリンピック組織委員長に任命されたのは、なんと徳川家達。東京五輪は海外へのアピールはもちろん、国内においても「紀元2600年記念行事」の一環を兼ねる、大規模な計画となっていきました。

 そんな中、今回の新国立競技場と同じように大会の目玉となるべき「日本武道館」の建設が急がれます。その予定地として、徳川邸の敷地一帯が東京都へ譲渡されることに。神武天皇即位から2600年を祝う事業のための土地委譲のため、これもまた徳川宗家から天皇家への小さな大政奉還だったと言えるでしょう。

 しかし世界情勢の動乱で、東京オリンピックはあえなく中止に。この2年後に家達は逝去しますが、晩年の大仕事が頓挫したことはさぞ無念だったでしょう。

心霊スポットとして知られる「千駄ヶ谷トンネル」

 続いては東京オリンピックが実現した1964年、場所は同じく千駄ヶ谷でのこと。時あたかも高度経済成長まっただなかの日本。五輪にむけてあちこち突貫工事が行われ、東京の風景は急速に様変わりしていく。そうして産まれたのが、「千駄ヶ谷トンネル」という心霊スポットなのです。

千駄ヶ谷トンネルの外観。2014年撮影(画像:吉田悠軌)

 東京体育館・国立競技場が並ぶ千駄ヶ谷では、特に工事を急ぐ必要がありました。本来なら迂回するべき寺院・墓地のある地区へ、無理やりトンネルを突っ切らせる行程をとったのです。

 先述したように、ここはそもそも紀州徳川家の敷地。さらには、その菩提寺である「仙寿院」(渋谷区千駄ケ谷)が建立された土地でもあります。そう、突貫工事によって千駄ヶ谷トンネルが突っ切った墓地とは、この仙寿院なのです。工事にあたって墓はいったん取り去られ、トンネル開通後、その上の高台に改葬されるといった手順がとられました。

 千駄ヶ谷トンネルに幽霊の噂があるのは、このような経緯からです。「車で走りすぎると、ウインドウに手形がつく「トンネルの天井から女がぶら下がっていた」などの怪談は、今なお語られ続けていますね。

千駄ヶ谷に漂う徳川家達の無念

 さらに私自身、2013年末から千駄ヶ谷の建設予定地へは何度も通うようにしていました。ちょうど猪瀬直樹が都知事辞任を表明し、日本の建築家グループもザハ・ハディド案の見直しを要求、それらのゴタゴタから工事行程がストップしかけていた頃です。しかし現地ではこの他にも、工事が遅延する事態が発生していました。

 実はこのとき、駐車場予定地だった区域にて「遺跡が発掘されていた」のです。古伊万里の欠片が出てきたようで、もしかしたら紀州徳川家の財宝が埋まっているのでは……といったロマンをかきたてていると、さらに「縄文土器まで発見された」という続報まで流れました。おそらく最近の人骨騒ぎも、この流れで発掘されたものでしょう。

遺跡発掘現場らしき写真。2014年撮影(画像:吉田悠軌)



 これまでの話をまとめましょう。明治維新により、徳川宗家が流れついた千駄ヶ谷の土地。それを東京都に譲渡したにも関わらず、オリンピック自体が反故になってしまった徳川家達の無念。その逆にオリンピックに向けての早急な開発のため、菩提寺にトンネルを開通させられた紀州徳川家。千駄ヶ谷という土地には、過去ふたつの東京オリンピックと徳川家における、根深い因縁が隠されているのです。

 さらに今回、埋葬された人骨が見つかったことも、すぐ脇にある千駄ヶ谷トンネル・仙寿院との関係性と似ていますね。もっとも……これほどの歴史を背負う土地ですから、開発しようとすれば、なんらかの因縁にぶつかってしまう。これはもう、仕方ないことなのかもしれません。

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