岩崎宏美『思秋期』――深川の歌姫による物憂げかつ朗々とした歌声 江東区【連載】ベストヒット23区(13)

人にはみな、記憶に残る思い出の曲がそれぞれあるというもの。そんな曲の中で、東京23区にまつわるヒット曲を音楽評論家のスージー鈴木さんが紹介します。


懐かしき「ウオーターフロント」の響き

 この「ベストヒット23区」も順調に13区目まで来ました。今回は江東区。江東区というと、一般的にはやはり、東京湾に突き出た埋め立て地のイメージが強いのではないでしょうか。

 豊洲、お台場、夢の島、有明テニスの森、若洲海浜公園、海の森公園……。そして、江東区の地図を見ていると、私(53歳)の世代の頭の中によぎるのです。ある死語が。

豊洲のビル群(画像:写真AC)



――「ウオーターフロント」。

 1980年代後半の大流行語にして、今やほぼ完全に死語。海っぺり、港っぺりを「ウオーターフロント」と言い換えると、何だかおしゃれに聞こえたのも、バブル狂乱時代の東京ならではの現象でした。

 同時に思い出すのは、そのウオーターフロントで見たライブです。今回はまず、バブル期に東京湾岸に林立した「ウオーターフロント系コンサート会場」を振り返ってみたいと思います。

「MZA有明」を覚えていますか?

 まず、その威容で一時期、江東区のおしゃれスポットとなったのが「MZA有明」(えむざ・ありあけ)です。正確には、複合施設MZA有明の中の「サウンドコロシアム MZA」がライブハウスの名前。

かつて「MZA有明」と「ディファ有明」があった場所。2019年5月時点の様子(画像:(C)Google)

 調べてみると1988(昭和63)年から1991(平成3)年まで営業していた模様。バブルと同時に散ったわけですね。その後「ディファ有明」という格闘技会場になるも、2018年に営業終了。

R.E.M.のライブを見たものの……

 MZA有明に、私は一度だけ足を運んでいます。見たのは、アメリカのロックバンド「R.E.M.(アール・イー・エム)」。当時「カレッジチャートの雄」と言われたバンド。

「カレッジチャート」とは、当時全米に広がっていた「カレッジラジオ」のオンエアを集計したヒットチャートのことで、そのチャートで支持されたのがR.E.M.だったのです。

R.E.M.が1983年に発表したデビューフルアルバム「マーマー」のジャケット(画像:ユニバーサル ミュージック)



 こちらも検索してみると、1989(平成元)年の1月28日と29日にMZA有明でライブを開催していました。いずれかの日に行ったということでしょう。

 何となく記憶が曖昧なのは、チケットを自腹で買ったわけではなく、私が当時アルバイトしていたラジオ局の人からタダでもらったという、意識の低い状態で見に行ったから。

 確か、ゆったりとした2階席から見た記憶があります。つまらなそうな表情の「ギョーカイ人」に囲まれて、上から眺めるよく知らないR.E.M.の演奏。ファンの人には怒られそうですね。時効ですので許してください。

東京ベイNKホールの「NK」とは何か

 次に「東京ベイNKホール」。名前に反して千葉県浦安市に立地し、1988年開館・2005(平成17)年閉館と、こちらは案外息が長い。「NK」とは、開館時にこの施設を所有していた日本火災海上保険の「日本(N)火災(K)」より。

 東京ベイNKホールといえば、個人的には何といっても1989年4月9日のサディスティック・ミカ・バンドの再結成コンサート。こちらもラジオ局経由のいい席で、かなり前の席から、高橋幸宏、高中正義、小原礼、そして加藤和彦というレジェンドたちの姿を見たことが忘れられません。

江東区と言えば深川。「深川の歌姫」といえば……

 三つ目は「汐留PIT(ピット)」。この、ぴあが運営していた港区汐留のコンサート会場は、驚くなかれ、1988年3月21日から5月31日のたった72日間の運営でした。私が見たのは同年5月7日、その年に40歳になる沢田研二。かっこよかったなぁ。

 江東区に話を戻して、今度は海から内陸部に入っていったところの話をします。江東区で比較的名が知れた地名 = 深川。「深川の歌姫」といえば、この人しかいないでしょう。そうです――岩崎宏美。

 彼女には『深川』という歌があります(その1、その2の2曲)。1982(昭和57)年発売のアルバム『Love Letter』収録。作詞・作曲も岩崎宏美自身。「昔、ひと月310円のお小遣いを、毎日10円ずつ、深川の駄菓子屋で使った」という、「深川の歌姫」らしい庶民的でチャキチャキとした歌です。

 そんな岩崎宏美の代表曲といえば、『二重唱(デュエット)』『ロマンス』『センチメンタル』(すべて1975年)というデビューからの3連続シングルや『シンデレラ・ハネムーン』(1978年)という、作詞・阿久悠 = 作曲・筒美京平の楽曲群になります。

 これらはすべてディスコ調で、あか抜けてバタ臭い筒美京平の面目躍如。当時のアイドルの中で、抜群な歌唱力を誇る岩崎宏美に、あえてディスコ調の曲を歌わせたところが、岩崎宏美ブレークへの勝因だったと思っています。

岩崎宏美が見た青春とはどのようなものだったか

 が、今回「ベストヒット江東区」に推したいのは、筒美京平ディスコ系ではなく、三木たかしが作曲した名曲 = 『思秋期』(1977年)です。作詞は変わらず阿久悠。王貞治が「ホームラン世界新記録」の通算756号を打った日の2日後 = 1977年の9月5日の発売。

1977年9月に発売された岩崎宏美の『思秋期』のジャケット(画像:(P)(C) Victor Entertainment)



 高校卒業から半年ほどたって、もうすぐ19歳になる女の子の、青春時代を振り返るモノローグが、同じく19歳ちょっと手前の岩崎宏美の、物憂げかつ朗々(奇妙な表現だけれどそういう感じ)とした歌声と相まって、見事に美しい世界を生み出します。

 最強のパンチラインは――「青春はこわれもの 青春は忘れもの」。

 深川出身のチャキチャキした女の子が東京湾を見ながら、青春を振り返っている間に、目の前に広がる海は埋め立てられ、いくつもの公園が広がり、いくつものライブハウスが作られ、壊されました。

 そして、その女の子は、ひとりの女性になり、時が過ぎて還暦を超えても、まだ物憂げかつ朗々とした歌声を響かせているのです。


【画像】デビュー45周年 今も変わらぬ「岩崎宏美」の姿を確認する

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