絶望からの大逆転 今や大人気の観光地「お台場」 復活の背景にあったものとは
2020年5月22日
知る!TOKYO今や東京を代表する一大観光地となったお台場。そんなお台場興隆の陰には多くの曲折がありました。20世紀研究家の星野正子さんが解説します。
大阪万博を夢見て
先日、東京五輪の開催が2021年に延期となりました。そのため、このビッグイベントにあわせて開発を進めていた施設は動揺を隠せないように見えます。
でも、心配することはありません。なぜなら、東京の臨海エリアには「もう未来がない」と言われた状態から見事復活を果たしたエリアがあるのですから。そう、今や知らない人がいないエリア・お台場です。

1995(平成7)年5月、お台場には考えもしなかった悲劇が起こりました。それは、1996年3月から開催が予定されていた「世界都市博覧会」の中止です。
もともとこの計画は、当時の鈴木俊一都知事が首都圏で開催できなかった「日本万国博覧会」(大阪万博。1970年)のような催しを夢見て1993年、提案したものです。
この計画には1981(昭和56)年の「神戸ポートアイランド博覧会」のように、臨海エリアの開発推進の起爆剤にしたいという意図がありました。そのためバブル景気が冷え込み、臨海エリアの不動産需要が低下しても計画は止まりませんでした。
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