昭和の東京五輪を支えた下町に残る「通り魔事件」の記憶と、簡易宿泊街の面影
2019年11月23日
知る!TOKYO今や東京・東側エリア屈指の人気住宅地となった、江東区・森下。戦後の高度経済成長や1964年の東京オリンピックのころには、多くの労働者で賑わいました。この街で凄惨な通り魔事件が起きたのは1981年のこと。ルポライターの八木澤高明さんがその跡を訪ねました。
柳刃包丁で女性や子どもを次々に刺した男
1981(昭和56)年6月17日の白昼、世間に大きな衝撃を与えた事件が起きた江東区森下を歩いてみました。
その事件とは、寿司職人などさまざまな職を転々としていた男、川俣軍司が起こした無差別殺傷事件です。かつて森下周辺には日雇い労働者向けの簡易宿泊所が多く建ち並んでいました。

そのうちのひとつ「タバコハウス」と呼ばれていた簡易宿泊所に泊まっていた川俣軍司は、前日受けた面接の結果を知るために、新大橋通りにある電話ボックスに向かって歩いていました。寿司店から不採用と告げられると、森下駅の方向へ向かって歩き出しました。持っていたカバンの中には、柳刃包丁が1丁入っていました。
本来、寿司を捌(さば)くための包丁を、あろうことか進行方向から幼稚園児を連れベビーカーを押して歩いてきた主婦に向けたのでした。その後も30秒ほどの間に女性や子どもに刃を向け、4人を殺害、ふたりに重傷を負わせました。さらには、当時33歳の主婦を人質にして中華料理屋に立て籠(こも)りました。
篭城から7時間後、突入した捜査員によって身柄を拘束され逮捕されますが、事件発生当時から下半身に何も身につけていなかった川俣軍司は、中華料理屋から連れ出される際、口には猿轡(さるぐつわ)をかまされ、白いブリーフを履かされたことから人々に強烈な印象を残したのでした。
逮捕後の検査で、尿からは覚醒剤の反応が出ました。昭和40年代半ばから増え始めた覚醒剤は暴力団などの資金源となり、労働者を中心に広く蔓延し、通り魔殺人が度々起きるなど当時深刻な社会問題となっていました。
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