固定価格買い取り制度終了目前 再生可能エネルギー拡大に取り組んだ世田谷区の軌跡をたどる

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固定価格買い取り制度終了目前 再生可能エネルギー拡大に取り組んだ世田谷区の軌跡をたどる

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小川裕夫

フリーランスライター

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2011年の東日本大震災以降、注目を浴びる再生可能エネルギー。そんな再生可能エネルギーは現在、固定価格買い取り制度の導入10年を迎えるにあたり、新たな課題に直面しています。フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。

電力の購入先を自分たちで決められるように

 2011(平成23)年に発災した東日本大震災は、地震のみならず津波によって広範囲かつ大きな被害を出しました。特に、福島第一原発が事故を起こしたことは、エネルギー政策のターニングポイントにもなっています。

青空とアースボールのイメージ(画像:写真AC)



 東日本大震災以前から、政府は再生可能エネルギーの普及・拡大に努めてきました。その最たる取り組みが、2009年に制度開始されたFIT(Feed-in Tariff。固定価格買い取り制度)です。FITが制度化されたことで太陽光・風力・地熱・水力・バイオマスといった再生可能エネルギーでつくられた電気は、政府が決めた価格で買い取られるようになりました。

 再生可能エネルギーは新しい技術であるため、電力を生み出すことは火力や原子力に比べて非効率とされてきました。自然エネルギーで電気を生産するには高いコストが必要で、そのコストを販売価格に転嫁すれば価格面で既存の火力・原子力発電に太刀打ちできません。

 FITという新たな制度は、政府が再生可能エネルギーで発電された電気を固定価格で買い取ると約束したことを意味します。政府のお墨付きが与えられたことで、再生可能エネルギーに参入する発電事業者が増えたのです。

 そして、FITと同様に電力業界で大きな変革が2016年に起きます。それが、電力の完全自由化です。一般家庭はそれまで、電力の購入先を自分たちの意思で選択できませんでした。東京圏在住者は東京電力、大阪圏在住者は関西電力といった具合に、半ば強制的に電力の購入先が決まっていたのです。

再生可能エネルギーの普及に乗り出した世田谷区

 電力の完全自由化により、一般家庭も電力の購入先を決められるようになりました。法改正を受け、東京ガスや東急パワーサプライ(東急でんき)といった、それまで電力事業を営んでいなかった企業が次々に電力事業を始めます。

 一般家庭が電力の購入先を選べるようになったことは電力業界の一大変革ですが、事業者への自由化はそれ以前から段階的に始まっていました。

 一連の流れをおさらいすると、1995(平成7)年、まず電力会社に電気を供給する卸電力への門戸が開放されました。2000年には受電電圧2万V以上で契約電力2000kW以上の大規模工場や大型商業施設、いわゆる特別高圧と呼ばれる区分が自由化されます。2004年には、受電電圧6000Vで契約電力500kW以上の高圧大口が自由化。そして、2016年に完全自由化を果たしました。

世田谷区役所の外観(画像:写真AC)



 電力自由化は官公庁においても再生可能エネルギーへの切り替えを後押しする原動力に。東京都の市区町村で、再生可能エネルギーの先頭を走るのが世田谷区です。

 ほかの企業や家庭と同じく、それまで世田谷区は東京電力から電力を購入していましたが2010年、区内の小学校で使用する電気を新電力へと切り替えます。初年度は電気代が約1億円も圧縮することになりました。2012年には庁舎や公民館、図書館といった181の公共施設で使う電力を切り替えました。これにより、年間で約2億円の電気代が削減されています。

 電力の供給先を新電力に切り替えたことによって電気代を削減した世田谷区は、その一方で再生可能エネルギーの普及・拡大にも積極的に乗り出しています。世田谷区が特に力を入れている再生可能エネルギーが、太陽光発電です。

 いまや太陽光発電は、各家庭の屋根に空ソーラーパネルを設置して、手軽に始めることができます。世田谷区が取り組んだ太陽光発電は、電力会社と比べても遜色のない施設規模のものでした。太陽光発電に乗り出すことができた理由は、遊休地をうまく活用したことが挙げられます。

 高度経済成長期の東京都は大気汚染が激しく、それによって喘息に罹患(りかん)する児童・生徒が多くいました。体調不良で学校に通えない児童・生徒の救済策として、東京都内の市区町村は空気の澄んだ千葉や神奈川といった郊外に健康学園という学校を開設。世田谷区も神奈川県三浦市に三浦健康学園を開校しています。

 郊外に開校した健康学園で、たくさんの児童・生徒が学びました。三浦健康学園は一定の役目を果たしましたが、2005(平成17)年に惜しまれつつ閉校しました。

構築が急がれる卒FITへのサポート体制

 世田谷区は、学校跡地を太陽光発電所「みうら太陽光発電所」に転換。太陽光によって生み出された電気を販売しています。世田谷区の先駆的な取り組みは、再生可能エネルギー拡大の一助になりました。

「世田谷区みうら太陽光発電所」の太陽電池(画像:世田谷区)



 世田谷区の取り組みは、自然環境に優しいという理想だけを追い求めた政策ではありません。年間で約800万円前後の利益を出し、区の財政にも貢献。太陽光発電の販売で得た利益は、区民を対象にした再生可能エネルギーの見学ツアーや世田谷版RE100といった環境啓発の活動原資に充てられています。

 世田谷区が先頭を走る再生可能エネルギー政策は、ほかの自治体も追随するようになりました。10年前に比べると、確実に再生可能エネルギーは拡大していると言えます。しかし、まだ道半ばと言わざるを得ません。

 そして、FITが制度10年を迎えるにあたり、新たな課題に直面しています。FITは10年間の時限的な制度のため、間もなく固定価格での買い取りを満了する事業者・個人、いわゆる卒FITが出てくるのです。卒FITはそれまで売電していた電力を引き続き売るのか、それとも自家消費へと切り替えるかの選択に迫られます。

 再生可能エネルギーで生み出された電気は、固定価格での買い取りではなくなります。そのため、以前より売価が下落することは確実です。それまで売電で得ていた収入額にならないため、せっかく盛り上がってきた再生可能エネルギーの機運が下火になる懸念も広がっています。

 市区町村は再生可能エネルギーの機運を維持するため、卒FITへのサポート体制の構築を急いでいます。

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