かつて取材した若者たちが、自殺に追い込まれた
筆者(渋井哲也。フリーライター)は、若者の生きづらさをテーマに20年以上取材を続けています。
大きな事件として世間を騒がせたものについては、自著『ルポ 平成ネット犯罪』(ちくま新書)に詳しくまとめました。同著では「生きづらさはネット空間で解消できるのか」というテーマにも踏み込んでいます。
取材してきた若者の多くがそれぞれに悩みを抱えていたからでしょうか。筆者が話を聞かせてもらった人のうち、知りうる限りで40人ほどがすでに自殺しています。そのほとんどは新聞の片隅の小さな記事にもならないまま、社会に知られることなくひっそりと自らの生涯に幕を閉じました。ここでは、都内の私立女子中学に通っていたひとりの生徒についてお話ししたいと思います。
「援助交際をしてみようと思うんです」
「友達としてなら会ってもいいですよ」
アオイ(仮名、享年14)に取材を申し込むと、返ってきたのはそんな答えでした。
そもそも知り合ったきっかけは、彼女から筆者のウェブサイトを通じてコンタクトを取ってきたこと。私、援助交際をしようか迷ってる、相談に乗ってください、そんな内容のメールでした。
筆者が援助交際というテーマについて取材を始めたのは1990年代後半のこと。体験者への取材を重ねるほどに、背景には必ずと言っていいほど虐待やいじめ、体罰、性被害の経験があることを思い知らされます。援助交際とはある種の自傷行為の形態であり、「承認されたい」「誰かとつながっていたい」という心理の表れであるということを、話を聞くたび痛感させられていました。
アオイもまた、希望を追い求めながらも自棄な思いを抱えた少女でした。「自分も援交をしてみたい」と思うに至るまで、彼女はいったい何を経験してきたのか。話を聞かせてほしい、と思いました。
あのころのアオイは強く友達を欲していました。ネットで知り合った面々とのオフ会をたびたび企画して、筆者もその場に招かれたことがあります。たいていは都内のカラオケックスが会場で、集まるのは10代から30代の男女10人ほど。
共通するのは、アオイ自身を含めて全員が「虐待サバイバー」だということです。そしてそのうちの半数が、性的虐待の経験者でもありました。しかしオフ会では互いに何かを話し合うこともなく、いつもそれぞれが好きな曲を歌って過ごしていました。悩みを赤裸々に打ち明け合うよりも、ただ一緒に過ごす時間の方が、彼らにとっては必要だったのかもしれません。
厚生労働省がまとめた全国の児童相談所の児童虐待対応件数は、2017年度、15万9850件。筆者が生きづらさについて取材を始めた1998(平成10)年度は6932件だったので、この20年で20倍以上に膨れ上がった計算になります。
ちなみに都内の虐待対応件数は1万3707件(17年度)。全国の8.6%を占めています。
「唯一頼れる兄」は、虐待の加害者でもあった
友人として接していたアオイがある日「私を取材してほしい」と言ってきたとき、筆者が最初に抱いたのは「人に話をすることで、自分の内面を整理しようと思えるようになったのかもしれない」という希望的な思い。そして「まさか、死を覚悟して最後の遺書代わりに取材を受けるのではないか」という相反する不安でした。
取材を予定していた当日、アオイから届いた連絡は短い一文だけでした。
「やっぱり、取材はやめたいと思う」
今思えば、自分の体験を話そうかどうかと、直前まで逡巡していたのでしょう。再び「今から時間ありますか?」という連絡が入ったのは、それから数日後。放課後、彼女の中学校がある最寄駅のJR池袋駅西口に、彼女は制服姿のまま現れました。
「学校の近くだから、知り合いに見られちゃうかもしれないよ」
「平気です。聞いてください」
何かを決意したような14歳の眼差しが、こちらへ向けられていました。
池袋駅にほど近い喫茶店で向かい合い、アオイはぽつぽつと自分のことを話し始めました。幼いころから父親の暴力にさらされてきたこと。いつも何の前触れもなく、父のただ気まぐれに任せて殴られたこと。母親はそれに見ぬふりをして、「勉強しなさい」と言い放つだけだったこと――。
アオイは都心からは30分ほどのところにある閑静な住宅街の一戸建てで、両親と兄と暮らす4人家族でした。小学校までは公立校。中学校からは都内の私立へ通いました。
自傷行為を始めたのは小学6年のとき。気がついたらカッターで手首を切っていたのだと言います。両親に心を許せず、自宅からほど近い精神科クリニックに通院していたアオイにとって、唯一の「居場所」は兄でした。けれどもその兄からもまた、性的虐待を加えられていたのです。
「お父さんに殴られた後、自分の部屋へ戻ってお布団をかぶっていました。そうしたらお兄ちゃんがベッドに入ってきて、私の体を触ってきました。そのときが最初で、その後も同じことがありました。だけどお兄ちゃんは、お父さんと違って『やめて』って言えばやめてくれるんです。私の話を聞いてくれるし、私にとっては唯一、安心できる人なんです」
性的虐待の加害者でありながら、唯一自分の話を聞いてくれる存在、拒否さえすれば虐待をやめてくれる兄。そんな兄しか心を許す人が身近にいなかった、それこそが彼女が生きていた日常でした。
かなえたい夢があった
アオイには夢がありました。歌手になることです。歌うことが好きで、歌っているときだけは現実を忘れることができたのだと言います。変身願望もあって、パンク・ロリータ風の洋服をまとっては原宿をよく歩いていたんだよ、と、照れたように話してくれました。
取材を終えて去っていくとき、アオイの表情は、待ち合わせたときより幾分明るくなっていた、筆者に目にはそう映ったはずでした。
その2週間後、アオイはネット上に自殺予告を書き込みました。
死をほのめかす書き込みをするのはそれが初めてではなく、以前書き込んだときにはリストカットをした、でも死にはしなかったと、彼女は話していました。今回も決して本気ではないだろう、筆者はそう願うような思いでいました。けれどその直後、アオイが住む地域で同年代の女子中学生がマンションから飛び降り自殺をしたという記事を目にすることになります。
オフ会で知り合った共通の知人に連絡を取っても、彼女の安否は分からないまま。そして数日が経ったころ、アオイの兄を名乗る人物が、彼女のアカウントを使って彼女の自殺までのいきさつをネット上に報告したのです。
「兄」が語る経緯はこうでした。
アオイは原宿を歩いていたとき、タレント事務所の人間に声をかけられました。歌手志望であることを告げると「事務所に入らないか」との誘いを受けます。しかしその報告を母親は、強固に反対しいっさい耳を傾けませんでした。
アオイはわざわざ事務所社員と両親を引き合わせ「怪しい事務所じゃない」と説得します。しかし母の態度は変わりません。「夢を否定された、そう感じたのだろう」。兄は妹の心情をそう代弁しました。
アオイがネット上に自殺予告を書き込んだのは同じの日の夜。兄は妹を探して夜通し町を歩き回りましたが、結局彼女を見つけ出すことはできませんでした。
彼女は最期に何を思ったのか
アオイにとって自殺の引き金となった直接の原因は、「歌手になりたい」という夢を否定されたことでした。しかし精神科クリニックへの通院歴があったことから、以前から抱えていた精神的な不安定さもまた大きく影響していたと言えるでしょう。
ただし、彼女が精神を患う背景には、家庭内での虐待があったことは間違いありません。彼女の死を警察がどのように処理したのかは「自殺統計原票」に当たらなければ分かりませんが、彼女が自殺するまでの間経験してきたことの何に注目するかで、その死から得るべき教訓も変わってくるはずです。
「自殺対策白書」によると、2018年の自殺者数は9年連続で減少し2万840人。37年ぶりに2万1000人台を下回りました。人口10万人あたりの自殺者数を示す「自殺死亡率」も16.5で、1978(昭和53)年以降で最も低い値となっています。
一方で、10代の自殺者は増加し、1978年以降で最も高い数値になっています。20代以上のすべての年代で自殺者死亡率が下がったのに対し、10代だけが2年連続で前年を上回りました。
2006(平成18)年に施行された自殺対策基本法。その下で進められた施策の中心は、もっとも自殺者が多かった中高年男性をターゲトにしたものでした。対策が功を奏してか、中高年男性はその後大きく減少することになります。
ピーク時2919人ときわめて高い水準だった東京都でも、2017年には1936人と、1000人ほどの減少につながっています。半面、10代に関しては、自殺者年齢構成比が全国2.7%に対し、都では2.9%とやや高い数値。これを30代までに広げると、全国が25.9%なのに対して都は31.2%と、その割合は一気に高くなります。
こうした統計を見てみても、行政が若年層の自殺対策に力を入れてきたとは、まだまだ言い難い現状があります。2013年には、いじめ防止対策推進法が施行されましたが、その後もいじめを理由とした自殺は毎年後を絶ちません。
現場の取材を重ねていくほどに、学校内外の組織的連携の不十分さや「たったひと言によって子どもは傷つき、自殺に向かい兼ねない」という認識の欠如を感じる場面が多々あります。子どもの日常のうち半分の時間を預かる学校という現場には、自殺防止に対する意識がまだまだ十分ではない、と。
そんななか接したアオイの死に、筆者は思いました。
「彼女が最後に見た風景を見てみたい」
アオイが飛び降りたマンションは、彼女の自宅から最寄駅へ行くまでの道のりで、もっとも高層の建物でした。仰ぎ見るほどのその高さを、通学のため駅へと急ぐ彼女はおそらく毎日目にしていたでしょう。あの夜、今どきのマンションらしくオートロック仕様のエントランスの前で、住民の誰かが出入りして扉が開くのを、彼女はひとり息を殺して待っていたのかもしれません。
誰が彼女を救えたのか
どうすればアオイの自殺を止められたのだろうかと、今もふと考えることがあります。「もっと相談に乗っていれば」「ちゃんと話を聞いていれば」「より深い悩みに気づいていれば」……そんな月並みな一般論が浮かんでは消えていきます。
アオイはネット上の友人に話を聞いてもらっていたし、葬儀には同じ制服姿の生徒が100人以上も参列したというから、学校にも少なからず友人はいたはずです。精神科クリニックも通っていました。彼女が誰かに相談できる環境は、決してゼロではありませんでした。
ただし家庭内の問題に対して、児童相談所が介入した履歴は残っていませんでした。もし児相に通報していれば、違う結果があったかもしれないと、筆者は思わずにはいられないのです。
クリニックの主治医がなぜ児相へ通報しなかったのか、その理由は分かりません。その必要はないという判断だったのか、児相の介入による家族関係の悪化を恐れたのか、そこまで彼女の悩みを聞き出せていなかったのか――。そうこう考えるうちにひとつの疑念に思い至るのです。あるいは、児相に通報すべきだったのは、筆者自身ではなかったのだろうか、と。
もはや答えを得ることのできない問いが、いつまでも胸に残り続けます。