バブルから令和まで――若者が住みたい「東京の街」は、30年間でどのように変化したのか?

  • 未分類
バブルから令和まで――若者が住みたい「東京の街」は、30年間でどのように変化したのか?

\ この記事を書いた人 /

昼間たかしのプロフィール画像

昼間たかし

ルポライター、著作家

ライターページへ

バブル期から現在までの「若者が住みたい街」について、ルポライターで著作家の昼間たかしさんが解説します。

高層住宅乱立も、カバンひとつで上京できる物件も

 日本全体で「地元志向」が強まり、進学や就職で都会に出る若者の数は減っているといわれます。それでも、東京は若者にとってまだまだ憧れの街。そんななか、今の時代に東京でひとり暮らしを始めようと思ったら、いったいどれくらいの家賃が必要なのでしょうか。

首都圏に住む20~30代の単身者が「住みたい街ランキング2019」で1位に選んだ吉祥寺の街並み(画像:写真AC)



 不動産情報サイトを検索してみると、21世紀の現在でも管理費込みの家賃が2万円程度の物件はけっこう見つかります。東京はあちこちに立派なマンションが立っていますが、カバンひとつで上京するような若者を受け入れる物件は、連綿と存在し続けているのです。

30年前の23区の平均家賃は、7万4057円

 バブル景気真っ最中の1989(平成元)年7月に、東京都生活文化局が行った家賃に関する調査によると、各地域の平均家賃は次のとおりです。

1989年の東京23区の家賃相場(画像:東京都生活文化局のデータを基にULM編集部で作成)

・都心(千代田、港、中央) : 10万4943円
・山の手(文京、豊島、新宿、渋谷) : 8万9320円
・下町(荒川、台東、墨田、江東) : 7万3625円
・南部(品川、大田) : 7万437円
・西部(練馬、中野、杉並、世田谷、目黒) : 7万9269円
・北部(板橋、北) : 6万7122円
・東部(足立、葛飾、江戸川) : 5万6035円

 23区の平均家賃は、7万4057円でした。この調査が面白いのは、各地域での家賃が最高だった物件と最低だった物件の金額が記されていることです。23区の最低家賃は、東部のアパートで1万3500円。なんでもかんでもお金がかかったバブルの最中でも、1万3500円で23区の住民になることができたのです。

 さて、そんな30年余り前の時代と現在で「若者が住みたい街」に変化はあったのでしょうか。当時の若者に人気だった雑誌『スコラ』1988年9月8日号では、3つの項目で若者たちの人気スポットベスト5を挙げています。

江古田は「オシャレ感の乏しい吉祥寺」

 まず家賃の安い人気スポットは、第1位から江古田、三軒茶屋、荻窪、調布、大山。男性ひとりあたりの女性の密度の高さは、上から吉祥寺、八王子、国立、千歳船橋、上石神井の順。女性に人気のエリアは自由が丘、下北沢、代々木上原、学芸大学、永福町と記されています。

江古田駅の位置。池袋駅まで電車でわずか7分の距離(画像:(C)Google)



 家賃がもっとも安い江古田は、現在でも日本大学芸術学部(練馬区旭丘)や武蔵大学(同区豊玉上)など、大学が集中している若者に優しい街です。1980年代には、まだ100円でラーメンが食べられる店がありましたし、1990年代になっても定食が300円台の店が残っていました。

 家賃だけでなく食費までが安い街というのは、いつの時代でも人気なのは当然です。古くからの店は減っていますが、若者の多さゆえに「オシャレ感の乏しい吉祥寺」というテイストは、ずっと残っていきそうです。

今でも続く「住んでるのは吉祥寺」現象

 吉祥寺も若者に人気の街です。1980年代にはパルコや丸井、成蹊大学といった渋谷ノリの文化と、1970年代から続くヒッピー的なノリの土着文化が入り乱れていました。それが30年くらいの間にうまく融合し、独特の吉祥寺文化圏を作っています。

 しかし、人気ゆえに家賃は高いのが吉祥寺の問題点です。泣く泣く駅周辺を諦め、外縁部で物件を探す若者は少なくありません。三鷹に住んでいる若者も多いですが、中には西武新宿線の武蔵関駅(同区関町北)周辺に住む人も。

どう見ても、吉祥寺駅から歩いていけない武蔵関駅(画像:(C)Google)

 吉祥寺からバスで移動する距離なのに、なぜか「住んでるのは吉祥寺」と主張する現象はいつの時代でも見受けられます。

デフレ時代が生んだ、自由が丘の凋落

 このように、時代が変わっても若者が住みたい街は意外と変わらないもの……と思いきや、近年人気を急落させているところもあります。それが、自由が丘です。

自由が丘の街の様子(画像:写真AC)



 マリ・クレール通りをはじめ、オシャレな名前の小路が連なる自由が丘。セレクトショップや喫茶店などが建ち並ぶさまは、1980年代どころか1960年代頃から憧れの的でした。いわば、住んでいるだけで羨望のまなざしをおくられる街。それが自由が丘の価値だったのです。

 自由が丘が格段に価値を高めたのは、1990年代に入ってから。渋谷が全盛期を迎えたこの時代、渋谷周辺の「隠れ家スポット」的な地域が同時に脚光を浴びました。自由が丘は、「渋谷は人が多いから嫌い」というセレブたちが訪れる街だったのです。なお、芸能人がお忍びで訪れる店の多い三宿(世田谷区)が注目されたのもこの時期です。

 こうして多くの若者たちがデートに訪れるようになった自由が丘ですが、そのことで家賃はさらに上昇していきました。

 しかし、自由が丘の繁栄も長くは続きませんでした。全盛期の自由が丘に増えたのは、服を買ったり食事をしたりして楽しむ、消費型の店舗ばかりでした。デフレの時代に入り、そのような店舗は次第に勢いを失い、街を訪れる人も減っていきました。加えて家賃が高すぎたことで住む人も減り、次第に人気の街としての影が薄くなっていったのです。

 低成長の現在、「私、○○に住んでるんだ」と自慢できる街は都内のどこにあるのでしょうか。

関連記事