東京の原風景が残る中央区「佃島」 進む再開発で下町情緒は失われたのか?
無くなった地域のランドマーク 佃島かいわいを久々に散策しようと、月島駅を下車して「月島もんじゃストリート」近くの月島駅7番出口から地上に出たところ、思わずビックリ。歴史を感じる外観で知られた佃島説教所(中央区月島1)がさら地になっているではありませんか。 地元の人に尋ねたところ、建物の老朽化のために取り壊され、今後は老人ホームなどが入る施設になると聞きました。 佃島説教所は、1934(昭和9)年に創建された浄土真宗本願寺派の寺院でした。佃島は元々、徳川家康の1590(天正18)年の江戸入府時に招かれた大阪・佃村の漁師たちが居住地としたエリアで、浄土真宗の信仰があつい土地でした。 浄土真宗といえば、都内では築地本願寺(同区築地)が有名です。築地本願寺は1657(明暦3)年の明暦の大火後、横山町(現・日本橋横山町)から移転して建てられた築地御坊が始まりとされており、その際に海を埋め立て、現在の築地の始まりをつくったのが佃島の人たちと言われています。 佃島説教所も元々は佃島にある小さな建物でしたが、地元からの寄付によって月島側に立派な建物として移転しました。 佃島のある中央区佃(画像:(C)Google) 現在、佃島と月島の境目は佃大橋のかかる道路になっていますが、この場所は戦後までは運河でした。そのため、月島側にある説教所よりも北側が佃島という感じで、当時は地域のランドマークとなっていました。 そんな佃島説教所が無くなり、佃島かいわいからもいよいよ下町情緒が失われつつあるのでしょうか? 老舗駄菓子屋の終焉と喪失感老舗駄菓子屋の終焉と喪失感 佃島に大きな変化が起きたのは2020年5月です。それは、佃島の下町情緒の象徴ともいえる山本商店の閉店です。山本商店は100年以上の歴史がある駄菓子屋で、21世紀になっても子どもが店の周りに集まっているという、とても貴重な空間でした。 在りし日の「山本商店」。2013年撮影(画像:(C)Google) 多くの地元の人は、店を「ちょうべい」と呼んでいました。これは初代の名前が「長兵衛」だったことに由来すると最近知りました。閉店後は隣の酒屋が引き続き駄菓子などを売っているようですが、地域のにぎわいの場が消えたという喪失感はいまだに拭えません。 2010年に出版された写真集『残された原風景 東京、佃・月島界隈』(日本写真企画)のタイトルからもわかるように、このエリアには東京の「原風景」としての思いや期待が込められているのです。 佃島は太平洋戦争の空襲でも多くが焼け残ったことで、独特の下町情緒が保存されてきました。当時を知る人に聞くと、焼夷(しょうい)弾は何本か落ちたものの、幸いにも地面に刺さったまま不発だったので難を逃れたといいます。 下町情緒が残るも、過度な期待はNG 風景が変わったのは、21世紀に入った頃から。 佃島よりも変化が著しかったのは、月島と隣接する勝どきでした。両エリアは次第に、タワーマンションの立ち並ぶ湾岸のニュータウンとして知られるようになっています。 とりわけ月島は下町というより、月島もんじゃストリートを中心とした観光地となりました。ストリートに面したエリアにも、再開発でタワーマンションが近年目立ち始めています。 対して佃島は、石川島播磨重工業(現・IHI)佃工場のあった場所が超高層住宅群「大川端リバーシティ21」(2010年完成)として再開発されたものの、下町の形を維持してきました。 奥に見えるのが「大川端リバーシティ21」(画像:写真AC) 地元の人によると、古くからの住人も多く再開発は検討されにくかったとのこと。もっとも、小さな家々をとりまとめてタワーマンションにする計画も皆無ではないそうですが、現時点で計画に賛同する住民は少なく、進展は見られないといいます。 下町情緒が残っている一方、このかいわいを歩くときは過度な期待を持つとがっかりするかもしれません。 中央区の指定有形文化財になっている住吉神社(佃1)や、路地に大銀杏(おおいちょう)がある佃天台地蔵尊(同)のような信仰の場はありますが、決して見どころの多い観光地ではありません。月島におけるもんじゃ焼きのようなローカルフードもありません。 路地の連なる住宅地がただあるだけといっても過言ではありません。その住宅も今風の住宅が多くなっています。 生きた江戸弁を体験して感動生きた江戸弁を体験して感動 しかしそのような変化があっても、佃島から下町情緒が失われたと考えるのは早計です。 古き良き木造長屋が続く光景はもうありませんが、地域のあちこちを歩いていると今風の家々の間に「この家はいつからあるんだろうか」と驚くような家を見つけられます。井戸がある路地もあります。 たまたま出会ったお年寄りと立ち話をしたとき、「昭和30年頃は、みんな川で泳いでいたものだよ」と教えてくれました。昭和30年頃といえば、隅田川に生活排水が流れ込み、水質汚染が問題になっていたはず。それでも地元の子どもは構うことなく運河の辺りで平気で泳いでいたといいます。なんとも下町感のあるエピソードです。 そんな運河には、今でも釣りをしている人が多く見られます。釣れるのは主にハゼですが「なかなかうまい」そうです。この立ち話で驚いたのは、お年寄りが江戸弁を使っていたことです。少し聞き取れない部分もありましたが、昔ながらの雰囲気に触れることができて感動しました。 佃島の路地(画像:(C)Google) 昔ながらの建物が消えて下町情緒が失われたかのように見える佃島ですが、住人たちの醸し出す雰囲気は、まだほかの地域にはない独特のものがあります。 これ、実際に人が住んでいる町ゆえの特徴でしょう。佃島を歩くときは、まず目的もなくブラブラと。そして、近くにいる地元の人と話をしてみることをオススメします。
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