日本一のオフィス街・大手町に「将門塚」が今も残る歴史的因縁
2019年10月28日
知る!TOKYOかつてあった千代田区大手町から神田の外れへと遷座された神田明神。かたや大手町の地にそのまま残された「将門塚」。このふたつの歴史的建造物は、なぜ別々の運命をたどったのでしょうか。フリーライター・古道研究家の荻窪圭さんが解説します。
大手町から神田の外れへと遷座した「神田明神」
東京で一番有名な神社といえば、「神田明神」ではないでしょうか。正式には「神田神社」といいますが、これは明治維新からの名前で江戸時代はずっと神田明神と呼ばれてました。今でも「神田明神」と呼ばれることの方が多いかと思います。

神田明神というくらいだから「神田駅」が近かろうと、JR神田駅へ行ってみたら、ホームの案内板にわざわざ「神田明神は、御茶ノ水駅下車が便利です」と書いてあります。神田明神は神田の外れにあって、神田駅からは遠いんですね。住所も「外神田」の一番端っこ。
なぜ、神田明神は神田の外れにあるのでしょう。
じつは神田明神、江戸時代のはじめ1616(元和2)年にもとあった場所から徳川幕府によって現在地に遷(うつ)されたのです。
神田明神が創建されたのは今の「大手町」です。東京のど真ん中、江戸城大手門の近く。住所はなんと「大手町1-1」。ど真ん中にもほどがあるって感じの住所ですね。今では完全にビジネス街の中心で、再開発で高層ビルがどんどん建設されているエリアです。
ちなみに当時は、大手町ではなく「芝崎村」という海沿いの小さな村でした。
そんな神田明神の旧地を訪ねてみると、そこにあるのは平安時代の武将・平将門を祀(まつ)った将門塚でした。神田明神が遷座(せんざ)しても、この塚だけはそこに残ったのです。
高層ビルの隙間に不自然に残る「将門塚」。「将門」って誰? なぜそこにあるの? なぜ神田明神と関係あるの?今回は、そんな話をしましょう。

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