日本一のオフィス街・大手町に「将門塚」が今も残る歴史的因縁

かつてあった千代田区大手町から神田の外れへと遷座された神田明神。かたや大手町の地にそのまま残された「将門塚」。このふたつの歴史的建造物は、なぜ別々の運命をたどったのでしょうか。フリーライター・古道研究家の荻窪圭さんが解説します。


大手町から神田の外れへと遷座した「神田明神」

 東京で一番有名な神社といえば、「神田明神」ではないでしょうか。正式には「神田神社」といいますが、これは明治維新からの名前で江戸時代はずっと神田明神と呼ばれてました。今でも「神田明神」と呼ばれることの方が多いかと思います。

神田明神の鮮やかな拝殿。季節問わず参拝客で賑わっている(画像:荻窪圭)



 神田明神というくらいだから「神田駅」が近かろうと、JR神田駅へ行ってみたら、ホームの案内板にわざわざ「神田明神は、御茶ノ水駅下車が便利です」と書いてあります。神田明神は神田の外れにあって、神田駅からは遠いんですね。住所も「外神田」の一番端っこ。

 なぜ、神田明神は神田の外れにあるのでしょう。

 じつは神田明神、江戸時代のはじめ1616(元和2)年にもとあった場所から徳川幕府によって現在地に遷(うつ)されたのです。

 神田明神が創建されたのは今の「大手町」です。東京のど真ん中、江戸城大手門の近く。住所はなんと「大手町1-1」。ど真ん中にもほどがあるって感じの住所ですね。今では完全にビジネス街の中心で、再開発で高層ビルがどんどん建設されているエリアです。

 ちなみに当時は、大手町ではなく「芝崎村」という海沿いの小さな村でした。

 そんな神田明神の旧地を訪ねてみると、そこにあるのは平安時代の武将・平将門を祀(まつ)った将門塚でした。神田明神が遷座(せんざ)しても、この塚だけはそこに残ったのです。

 高層ビルの隙間に不自然に残る「将門塚」。「将門」って誰? なぜそこにあるの? なぜ神田明神と関係あるの?今回は、そんな話をしましょう。

平将門。その波乱の人生

 大手町のど真ん中に残る「将門塚」。2019年現在、その敷地に新しいビルが建てられてますが、将門塚エリアだけはしっかり残ってます。

 将門とは「平将門」(たいらのまさかど)のことです。

 あるとき将門塚を訪れたところ、近くにいたカップルの男性の方が「将門って神話時代の人だね」と言っているのが聞こえました。違います。神話じゃなくて平安時代の実在の人物です。東京と平安時代って何か結びつかないかもしれませんが(平安時代は京都中心の貴族の時代ってイメージですもんね)、平安時代の東京にも人は住んでいたのです(少なかったけれど)。

Q.「平将門」っていうくらいだから、平氏なの?

A.そうです。平氏です。

Q.平氏といえば平清盛を思い出すけど、関係あるの?

A.あります。平将門の従兄弟の子孫が平清盛です。

Q.でもなぜ、平氏が関東に?

 ――よい質問です。なぜだろう、って思いますよね。わたしもそのワケを知ったとき、がぜん関東の歴史が面白くなったのです。

大手町1-1にある「将門塚」。ビルに挟まれた不思議な空間となっている。塚周辺は現在建設中。(画像:荻窪圭)



 平安時代、朝廷から任じられた「国司」が日本各地へ派遣されました。

 桓武(かんむ)天皇の孫である高望(たかもち)王は、皇籍から離れて「平」の姓を賜り、上総国(かづさのくに、現在の千葉県南部)の国司を任じられ、息子たちを連れて関東へやってきました。普通は任期が終わったら戻るものなのですが、高望一家はそのまま関東に残り、地元の有力者と婚姻を結ぶなどして勢力を広げます。その長男の系統はその後伊勢へ移り、のちに平清盛を輩出します。

 三男の息子が平将門。下総国(しもうさのくに、現在の千葉県北部や茨城県西部)の北の方を本拠としてましたが、父が亡くなったことを期に、その領地をめぐって一族で争いが始まります。

 ここからの将門の人生は波乱万丈そのもの!

 最初は同族の内紛だったものの、将門はやがて朝廷に不満を持つ地元の人たちに推される感じで、さまざまな争いに介入して解決していき、そうこうするうち、常陸(ひたち)国府を攻略してしまいました。

 国府は国司がその地方を治める場所ですから、そこを落としてしまうのはたいへんヤバいわけです。その勢いで関東各地の国府を落とすと、自らを「新皇」と名乗ってしまいました。

 朝廷と戦って独立しようというのですから地元民からすれば英雄ですが、朝廷からすればそれはあかんというわけで、「将門を討て」となり、とうとう負けてしまいます。それが940(天慶3)年のことでした。

 かくして、平将門は朝廷に逆らった「朝敵」でありながら、地元では英雄となったわけです。

オフィス街の中に残された史跡塚

 こうした経緯のせいか、将門にはさまざまな伝説が生まれます。

 そのひとつが、京都でさらされた平将門の首がはるか遠くまで飛んできて今の大手町、神田明神旧地の境内に落ちたという話。まあ飛んできた、ではさすがにアレなので、首が桶に入れて運ばれてきたっていう話もあります。その首をおさめたのが「将門の首塚」だと。

 そもそも平将門の本拠地は下総国ですし、大手町(当時は芝崎村)に縁がある話もないので、数ある伝承のひとつで終わりそうですが、その数百年後、新たな話が加わります。

将門塚。塚は残ってないが故蹟保存碑や鎌倉時代の板碑(再建したもの)、石灯籠がある。(画像:荻窪圭)

 鎌倉時代、芝崎村で疫病が流行って「平将門の祟りだ」といわれました折り、そこを通りかかった時宗の上人が将門の霊をおさめた供養の板碑を建て、将門を神田明神の祭神に加え、鎮めることに成功したのです。それが将門塚伝説の始まりといっていいでしょう。

 徳川家康が江戸に入ると、入り江を埋め立てて江戸城の門前を整えるために神田明神を移し、芝崎村の人たちはそこにあったお寺と一緒に浅草の方へ移されました(今でもそのお寺は残ってます)。しかし将門の首塚だけはその場に残り、大老・土井利勝の上屋敷の敷地となりました。

 さて明治維新が起きて、武家屋敷地は接収され、将門の首塚は大蔵省の敷地となり、大正時代の関東大震災から復興する際、塚を崩して削平(さくへい)されてしまったのです。

 そのときの調査で石棺が見つかったといいますから、将門塚はもともと古墳だったようです。

 でその後、大蔵省関係者に病人や死者が続出し、「これは将門の祟りに違いない」ということで1927(昭和2)年に鎮魂祭が行われ、塚の場所が保全されました。そんなわけで将門塚は、大手町というオフィス街のど真ん中にありながら、ずっと史跡として保存されて今に至るわけです。

江戸城の鬼門を護る、絶妙な立地

 平安時代の人物の塚が21世紀になっても残されているというのは面白いですよね。東京にも歴史あり、です。

 今でも、板碑(ただし、昭和になって拓本から復元したもの。鎌倉時代の年号が刻まれているが、当時のものではない)や明治時代の古蹟保存碑、かつて塚の前に置かれていた常夜灯などが、将門塚保存会によって整備されています。

 将門話で長くなってしまったので、あとは簡単に。

 将門塚とともにあった神田明神ですが、1616(元和2)年に現在の場所へと遷されました。台地のキワという立地、江戸城の鬼門を護る方角、そしてちょうどその前を中山道が通っているという、見事な場所です。

 面白いのがその住所。神田明神があるのは「湯島台地」と呼ばれる台地で「文京区湯島」なのですが、神田明神周辺の住所だけが「千代田区外神田」となっているのです。神田明神パワーですね。

 冒頭に書いたように御茶ノ水駅が最寄りですが、秋葉原駅から向かうのもおすすめ。こちらから参拝すると、急な階段(男坂)を上って境内に辿り着くことになるので、地形の妙も楽しめます。

秋葉原方面から神田明神へ上る男坂の急階段。江戸時代はこの上にも鳥居があった。台地のキワに建てられているのがよくわかる(画像:荻窪圭)



 神田明神は江戸時代からずっと江戸の総鎮守として、で神田祭も有名でしたから今でも賑わってます。門前には江戸時代から続く甘酒と甘味のお店も残っているほど。

 神田明神の主祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと、大国主命の別名のひとつとされている)。2番目が少彦名命で、3番目が平将門命です。実はもともと大己貴命と平将門を祀ってたのですが、明治になり、王政復古で国家神道の時代になると平将門は「朝敵」だ、ということで一度はずされて摂社に格下げされ、あらたに少彦名命が迎えられたのです。平将門命が神田明神の祭神として復活したのはなんと昭和59年のことでした。

 今は社殿を囲むようにいくつもの摂社が祀られ、銭形平次の碑もあり(ちなみに銭形平次はフィクション上の人物で実在はしてません)新しく建てられたモダンな文化交流館もあり、華やかな神社としていつも賑わってます。


【画像】果たして祟りは本物か? 大手町の一等地に祀られ続ける「将門塚」の現在

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