私はかつて、いじめの加害者だった
厚生労働省の2019年版自殺対策白書によると、2018年に自殺した19歳以下の未成年者は前年に比べて32人多い599人でした。また1年の中で、長い夏休みが明けて新学期が始まる9月1日は、自殺者数のもっとも多い日となっています。
子どもの自殺を防ぐため、現在いじめられて悩んでいる子どもたちに対する応援メッセージが昨今、数多く発信されています。それでも学校のいじめはなくなりません。なぜならいじめの被害者に対するメッセージは、その加害者の心に届いていないからです。
小学生の頃に同級生の女の子をいじめていた筆者が、現在の「いじめっ子」に向けて、自らの経験を批判覚悟でお話しします。
先生は、なぜAちゃんばかりを信じるのか
小学6年生の1学期、筆者はAちゃん、Bちゃんと仲良しグループを作っていました。活発な筆者とBちゃんがふざける様子を、おとなしい性格のAちゃんがいつも楽しそうに見ているような3人組でした。
その後、筆者は「Aちゃんとノリが合わない」と感じ、話しかけられてもなんとなく無視するようになります。一緒に過ごしたくなかったのでしょう。その後、Aちゃんをあからさまに避けて、Bちゃんとふたりだけで行動するようになりました。
その後、Aちゃんは担任の先生に「いじめられている」とSOSを出し、筆者は約1か月間にわたって職員室に呼び出され続けました。毎日昼休みは空き教室で先生の怒号を浴び、長文の反省文を書かされ、学年集会で「いじめの首謀者」として全学年の前で立たされて怒られました。Aちゃんへの謝罪の気持ちではなく、晒し者にされた屈辱さから立たされている間、激しく号泣していたことを強烈に覚えています。
同じグループから外しただけなのに、どうしていじめっ子の烙印を押されなければならないのか。Aちゃんの行き過ぎた「被害者意識」や「言い分」だけを信じる担任の先生と、その厳しすぎる対応に筆者は憤りを感じました。その後、Aちゃんと筆者は同じクラスにいながらほとんど会話することなく、ただ時間だけが過ぎていきました。
そして小学校を卒業する直前になると、Aちゃんは県外へと引っ越します。その後、彼女の近況を聞くことはありませんでした。
「いじめっ子」の烙印を押され、中学生活はひとりだった
中学校に入ると、筆者は「いじめっ子」として、他の小学校出身の人からも後ろ指を指されるようになります。入学当初こそ仲の良い友達はできたものの、次第に周りから人がいなくなり、休み時間にはひとりで過ごすように。時折男子と喋っていると、遠くから「友達いないくせに男好き」という笑い声が聞こえてきました。
毎日登校するのが嫌になり、「早く地元を離れたい。東京の大学に進学して自分のことを誰も知らない場所に行きたい」と考えるように。それでも学校生活は続きます。休み時間にクラスの女の子たちがキャッキャッと楽しそうに過ごす姿が視界に入らないよう、必死で本を読んだり勉強に励んだりする生活。
その頃筆者のクラスに、部活の先輩からのいじめが原因で不登校になったC君がいました。筆者は担任に申し出て、放課後毎日、C君の家にその日配布されたプリントを届けることになります。なぜそんな申し出をしたのかは覚えていません。学校が終わった後の帰宅前に、C君の家に通ってプリントを届ける生活は約1年間続きました。
いじめの償いは、一生できない
その後中学を卒業する頃になり、なんとなく疎遠になっていたBちゃんと話す機会がありました。
そして、Bちゃんから衝撃的なことを言われます。
「あの頃、私たち、陰でAちゃんが何かするたびに『キモイ』ってずっと笑ってたよね。しかも本人に聞こえるように。で、目が合ったら『うわ、目合った』とか言ってた」
Aちゃんを避けていただけだと思っていた筆者の行動は、「明らかにいじめ」だったのです。いじめはやった方は忘れますが、やられた方は絶対に忘れません。筆者はこのときになってやっと、Aちゃんが心をえぐられるほどの苦痛を感じていたことを理解しました。自分自身の中学校生活は、Aちゃんにしたことの「因果応報」「自業自得」だったのです。
もし、Aちゃんが命を絶っていたら……
中学校の卒業式。C君は参加しませんでしたが、C君のお母さんから「これまでありがとう。部活の先輩からはいじめられたけど、こんなに優しいクラスメイトがいてCは幸せね」と言われました。
いじめが原因で不登校になったC君に、筆者はなぜ毎日プリントを届けることにしたのか。それは、Aちゃんへのいじめを償おうとしていたからでした。
しかし、Aちゃんの心の苦しみがそんなことでなくなるわけがなく、いじめたことの罪滅ぼしにもなりません。C君のお母さんからお礼を言われたとき、Aちゃんにも、C君にも、C君のお母さんにも申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
これからの人生、ボランティアなどの「良いこと」をしても、筆者がAちゃんをいじめた過去も、Aちゃんの心の傷も消えず、償うこともできないのだと知りました。
Aちゃんが現在どこで何をしているのか、筆者は知りません。あのとき、もしAちゃんが自ら命を絶っていたら、筆者はどうなっていたのでしょうか。考えるだけでも恐ろしく、勇気を出して先生にSOSを求めたAちゃんの強さに、今は感謝しかありません。
あなたは、いじめの加害者です
Aちゃんへ。
ごめんなさい。
あの時、私の無視が苦しかったでしょう。
私のあざ笑う声が、悪口が、とても苦しかったでしょう。
今、のうのうと生きている私を許せないはずです。
私はAちゃんへの罪の意識を一生背負っていくために、自分の子どもにも小学校のときの経験を包み隠さず伝え、「いじめがなくなるにはどうしたらいいのか」を本気で考えたい。
だからこそ今、元いじめの加害者として発信したい。
元いじめの加害者はそのレッテルをずっと貼られ続ける必要があり、いじめた経験を一生背負う苦しみを味わわなければいけないことを。
今、誰かをいじめている君へ。
君がしていることは、君にとって「いじめ」ではないのでしょう。
単なるいじり、単なる無視。
でも、それをいじめかどうか決めるのは君ではありません。
今、なんとなく「あいつ気に入らないから」という理由だけでやっていることを、これから先の長い人生で背負う覚悟はありますか?
一生苦しみますか?
いじめている子が自殺したら、何をどうやって償えますか?
学校を卒業すれば、地元を離れて東京に行けば、大人になれば、誰かに言わなければ、自分が誰かをいじめた過去なんてわからない。
いくら逃げても、あなたは一生償えない罪の意識で苦しみ続けます。
あなたは「いじめっ子」ではなく、いじめの加害者なのです。