高級住宅街「田園調布」は世界のどのまちを模したのか? その誕生の背景に迫る
2019年8月28日
お出かけ日本の高級住宅地の代表格・田園調布。その誕生の背景について、まち探訪家の鳴海行人さんが解説します。
英社会改良家の「田園都市」という概念
渋谷から東急東横線で約10分。田園調布駅に降り立ち、西側へ向かうと駅前には美しいまちなみが広がります。そして1軒1軒の家は大きく、上質な住宅街の趣があります。
昔から「田園調布」といえば高級住宅街として有名です。では、この田園調布のまちなみはどのようにして生まれたのでしょうか。

日本は明治維新以降、富国強兵の号令の下に急速な西洋化と工業化を推し進めていきました。すると、東京の市街地は急速に工業化し、都市部への人口集中が起こりました。すると大気汚染や住宅環境の悪化といった課題がでてきました。
日本に先駆けて工業化が進んでいたイギリスでも同じようなことは起きており、19世紀末に社会改良家のエベネザー・ハワードが「田園都市(Garden City)」という概念を提唱します。ハワードは農村と都市の「いいとこ取り」を指向し、郊外に住宅・工業・農業の機能が隣接した街として「田園都市」の建設を主張しました。この考えは実行に移され、レッチワースという街を生み出しました。
そして1907(明治40)年にはこの「田園都市」の概念が日本にもやってきます。1907年には内務省地方局の有志が「田園都市」という本を編さんし、1910年には関西で実業家の小林一三が鉄道の建設とともに沿線に住宅開発を行い、環境の良さをセールスし、大阪の都市部の住民の移住を促しました。
そして東京では1910年代半ばに「日本橋クラブ」という実業家の集まりのメンバーを中心として、理想的な住宅地を手がける会社設立の機運が生まれます。こうして1918(大正7)年に設立されたのが田園都市株式会社です。
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