都心から40km 立ち並ぶ横文字看板と鉄条網、米軍基地の街「福生」を歩く
「基地の街」として知られる福生市。そんな同市の歴史やベースサイドストリートの店舗などについて、紀行ライターのカベルナリア吉田さんが解説します。馬が行き交った、横田基地の最寄り駅前 JR八王子駅の八高線ホームに向かうと、次の列車は……30分後! 都内で列車を30分待つ駅があるとは。さすが、平成になっても非電化ディーゼル車両が走っていた八高線(今も高麗川以北は非電化です)。そんな都内屈指のローカル線で目指すのは、米軍の横田基地がある福生です。 アメリカの香り漂うベースサイドストリート(画像:カベルナリア吉田)「東福生~東福生です~」 八王子から4駅めの東福生駅で降ります。JR青梅線にも「福生駅」がありますが、横田基地の最寄り駅は東福生駅なんです。 だけど降りると、ホームと跨線橋(こせんきょう。線路をまたぐ橋)だけの簡素な駅に驚きます。跨線橋の上に一応、小さな駅員室もありますが、駅員はいたりいなかったり。都内に今どき、こんな駅があるなんて。本当にここが横田基地の最寄り駅? 戸惑いながら駅を出て、東へ進みます。 駅前を横切る小道は「わらつけ街道」。やはり近くに米軍基地があるとは思えない「わらつけ」。かつてこの辺りは桑畑が広がり、背中にわらを付けた馬が行き交っていたとか。筵(むしろ)や草履の材料になる藁(わら)が、近くで採れたそうです。 しかしそのまま進み、国道16号に出ると突然、景色が変わります。 途切れなく行き交う車。そして道を渡った向こう側、西側には鉄条網をめぐらせた横田基地の塀が、延々と続いています。ゲートに「U.S. AIR FORCE」の文字も。一方で道の東側には、横文字看板の店が何軒もあります。ハンバーガー屋にカフェ、Tシャツ屋にタトゥー屋、アンティーク雑貨ショップに中古家具屋、テーラー(洋品店)。 数分前に見た「わらつけ街道」の、のどかな風景が嘘のよう。いきなり目の前に「アメリカ」が迫ってきて、しばし茫然とします。 基地の前に生まれた一大繁華街基地の前に生まれた一大繁華街 福生は元々農村で、酒造業や養蚕も行われる静かな場所でした。 しかし日本が戦時体制に向かう1940(昭和15)年、日本陸軍の試験飛行場「多摩飛行場(福生飛行場)」が作られます。終戦後は米軍が進駐して基地になり、近くの地名「村山町字横田」にちなんで「横田基地」と呼ばれるようになりました。 駅前を横切る、わらつけ街道(画像:カベルナリア吉田) 朝鮮戦争で横田基地は最重要拠点となり、その規模は拡大されます。続いてベトナム戦争が勃発すると、横田基地には多くの米兵が駐留。国道16号を挟み、基地の反対側に米兵相手の店が並び、ベースサイドストリートと呼ばれる一大繁華街になりました。 農村だった福生に出現したアメリカン・タウン。ただしその全盛期は、ベトナム戦争が終焉する1970年代前半まで。ベトナム戦争後は米兵が激減し、米兵向けの品物を売る店は減っていきます。 それでもこの地で育まれたアメリカの香りは消えず、いくつかの横文字看板の店は残りました。そして米兵が減ったあとは、アメリカ風の街景色やグルメ、ショッピングを楽しむ日本人でにぎわっています。 ノスタルジックでレトロなアメリカを楽しむ ベースサイドストリートを歩くなら、土日の午後がオススメ。多くの店が開き、外国人が闊歩してにぎわいます。 アメリカ生まれの沖縄の味、ブルーシールアイスクリーム(画像:カベルナリア吉田) 先日、久々に行ってきました。東福生駅から16号に出るとまず、Tシャツ屋にキャップをかぶった演歌歌手のジェロみたいな黒人お兄さんがいて「ハロー」と笑顔。 第2ゲート前を過ぎると、ブティックの前に金髪ドレッドヘア、ダイナマイトバディの黒人女性がふたりと、ブルドックが1匹。ブルドックが僕の足元にまっすぐ寄ってきて、足をなめます。すると。 「ララ、ハウス!」 女性が声を張ると、ブルドックのララちゃんは足元から離れました。そして女性は「スミマセン、ミンナ、アイサツシチャウ」と片言の日本語で、やはり笑顔。 タトゥー屋にバイクショップ、中古家具屋の前を通り過ぎると、福生のランドマークでもある老舗のピザレストラン。その先に沖縄でおなじみ、ブルーシールアイスクリームも。 ほどなく第5ゲートが見えてきて、その先にもダイナー(カジュアルだけど、ファストフードより値段高めのレストラン)やステーキハウスもありますが、横文字の店が集中するのは第2~第5ゲートの間です。 ベースサイドストリートを歩くと「アメリカに来たみたい」と思うでしょう。でも最近のアメリカの繁華街は(特に郊外は)ショッピングモールが中心で、福生のように小さな店が連なる街は減ったそうです。ここにあるのは「リアルなアメリカ」ではなく、私たち日本人がイメージする「古きよき憧れのアメリカ」なのかもしれません。 そして16号線から脇道に入ると、景色は途端に普通の日本の住宅街に変わります。 ベースサイドストリートは、16号に面した部分だけをアメリカ的に装飾した、映画のセットのような街。言葉は悪いですが「ハリボテの街」だと、歩くたびに感じます。その辺を割りきって、アメリカ気分に浸って楽しむかどうかは歩く人次第かもしれませんね。 基地のことも考えてみませんか?基地のことも考えてみませんか? 通りを挟んだ向こうは米軍基地です。ここに来たら、基地のことも考えてみませんか? 老舗ピザレストランの看板は、ベースサイドストリートのシンボル(画像:カベルナリア吉田) 申し訳ないのですが、沖縄の基地報道を見てもピンときていない都民は多いと思います。しかし基地のことを対岸の火事と思ったら大間違いで、東京にもこうして米軍基地があります。しかも東京ドーム157個分もの広大な基地が、東京にあるわけです。 最近は横田基地にもオスプレイが配備され、反対集会やデモ行進も行われましたが、それすらも無関心な都民が多かったようです。同じ都内といっても、福生は都心から西に40km以上離れる郊外の街。ピンとこない人が多いのも、仕方ないのかもしれません。 東京にも米軍基地があります。賛否はここでは問いませんが、都民なら福生を歩き、基地について自分なりの考えを構築しておきたいところです。 飲食や観光を楽しむだけが「旅」じゃありません。見知らぬ土地を歩き、社会や歴史について考えるのも「旅」です。福生を歩くことが、日本の現状について考えるきっかけになればいいと思いますが、いかがでしょうか。 夜は昭和遺産「赤線跡」へ さて、日が暮れました。闇夜に横文字看板がいくつも灯り、飲みに繰り出す外国人の姿もチラホラ。福生のお楽しみはここからが本番です。 福生駅東口界隈で、かつての赤線の残像を探してみましょう(画像:カベルナリア吉田) そのままベースサイドストリートで、バーガーやピザをビールと一緒に味わってもいいでしょう。ただ探検するなら16号から離れ、東福生駅入口交差点から西へ。八高線の踏切を渡り、福生駅東口方面に進むとスナックやバー、飲食店が密集するエリアに出ます。 昔、この辺りに「赤線」がありました。赤線は消えましたが、かつてこの場所で渦巻いた男女の欲望の残像は、簡単に消えはしません。どこか猥雑な空気が、今も街角にモワモワ残っていると感じるのは、気のせいではないでしょう。 戦後昭和の様々なカオス(混沌)が横文字看板に凝縮された街・福生。9月には恒例の「横田基地友好祭」もあるので、出かけてみませんか。ただし帰りが遅くなったら、列車本数が多い青梅線福生駅から帰るほうが、いいかもしれませんね。
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