相次ぐ子どもの事故、保育士経験者が「散歩不要論」に物申す!

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相次ぐ子どもの事故、保育士経験者が「散歩不要論」に物申す!

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保育園児の散歩中の交通事故が相次ぎ、「散歩不要論」を唱える声も聞かれます。園児の保育園の現場にとって、「お散歩」とはどのようなものなのでしょうか。保育園で勤務経験がある筆者が提言します。

相次ぐ事故に「散歩不要論」の声

 2019年5月8日(水)、滋賀県大津市で散歩中の保育園児ら16人が死傷するという痛ましい事故が発生しました。15日(水)には、千葉県市原市で公園に車が突っ込み、遊んでいた園児を守ろうとした保育士が負傷する事故も起きています。

保育園児のお散歩は不要?(画像:写真AC)



 全国的に続いてしまっている保育園児のお散歩中による交通事故。そんななか、世間で散見されるのが、「お散歩は必要なのか」という意見です。SNS上などでも、「子どもを預けている保育園のお散歩自粛が決定して、安心している」「車にひかれるくらいなら、園内で遊んでいればいい」といった声が上がっています。

 保育園の「お散歩」とはどのようなものなのでしょうか。東京都内の保育園で保育士として勤務経験を持つ筆者が、見解を述べます。

保育園で「お散歩」をさせる事情

 保育園は、国が定めた一定の基準をクリアしているかどうかで「認可保育園」と「認可外(無認可)保育園」に分けられます(東京都のみ、都が定めた独自基準をクリアしている「認証保育園」も存在)。その基準のひとつが「園庭があるかどうか」です。

 待機児童解消が急務になっている都心部では、施設の広さや保育士の数などその他の基準はクリアできても、敷地の関係上どうしても外に園庭を作ることが難しい保育園は数多く存在します。園庭がないからと言って、一日中室内で過ごさせるのは園児の心身の発育にとって良いものではありません。

 そのため保育園は、近所の公園で運動をさせたり保育園の周辺を歩いて外気浴をさせたりしています。一方、園庭を持つ認可保育園でも、その園庭が小さかったり他の年齢のクラスが使っていたりする場合には、お散歩に出ることも。つまり保育園におけるお散歩は、至って一般的に行われていることなのです。

 筆者が働いていた認可外保育園にも、例に違わず園庭がありませんでした。そのため晴れている日の午前中は、園から徒歩5分ほどの距離にある大きな公園へ、子どもたちを連れて行っていました。

 そしてお散歩に出る保育士は3~5人で、子どもは9~12人の人数配分。その保育園では安全を考慮し、お散歩時は保育士ひとりにつき子どもは多くても3人までという配置にしていました。

外の危険を知ることは生きる力を身につけること

 お散歩に出ることは、子どもたちにとって運動や太陽の光を浴びること以上に大きなメリットがあります。それは、子ども自身が外にはどこにどのような危険があり、どのように対処すべきなのかを学ぶことができるということ。

 その公園に行くためには、交通量の多い大通りに面した歩道を歩く必要があります。横断歩道を渡る際には、保育士は子どもたちに「右見て、左見て、もう一度右見て、渡りましょう」と声をかけていました。子どもたちと手をつないで歩道を歩く時にも、「よそ見をせずに、しっかりと前を見て歩きましょう」と伝えます。

お散歩は社会とのコミュニケーションの場(画像:写真AC)



 ある時、歩道を歩く私たちの列のすぐ近くで、スマホを覗き込んだままの歩行者が前からきた自転車に気付かずに衝突したことがありました。その様子を目にした3歳の男の子が「よそ見したら危ないね」と言い、隣にいた女の子も「『右見て左見て、もう一度右見て』をちゃんとしないと」と呼応していました。

 子どもたちは日々行っているお散歩を通じて、外では自転車や車とぶつかる危険があることを知り、その危険にできうる対処の仕方を学んでいたのです。この学びは、室内にずっとこもっていては絶対にできないことでしょう。お散歩は単に交通ルールを知ることにとどまらず、子どもがこの世界で生きる力を身につけていく重要な要素のひとつなのだと、保育士をしながら感じていました。

子どもを隔離した社会は誰にとって生きやすいのか

 また、お散歩は社会とのコミュニケーションの場にもなります。公園にいるのは、別の保育園児や一般の親子、仕事の休憩をするサラリーマン、近所に住む高齢者など、さまざまな人たち。

 保育園に通う子どもは、どうしても家庭と保育園以外の人と接する機会をなかなか持てません。そんななか、お散歩で出会う「他の人たち」と挨拶したりお話をしたりすることで、子どもの社会性はより育まれるでしょう。数多くの他者を見たり言葉を交わして関わったりすることで、子どもは自分の世界を大きく広げることができると考えます。

 小学校に上がれば、保育園とは異なり、多くの子どもたちが親の付き添いなしで学校の登下校を行うことになります。今よりも交通量が多い道路を歩いて行く必要があるかもしれません。また、不審な人から声をかけられることがあるかもしれません。

 その時に何をどうすべきなのか、自分の頭で考え、行動できる子になってほしい。保育園におけるお散歩は、そうした役割も担っているのではないでしょうか。

 お散歩をさせず、子どもを家庭と保育園内に閉じ込めておけば、子どもたちが事故に遭う確率は少なくなるでしょう。しかし、それは子どもが生きにくく、大人が生きやすい社会を醸成していくことであり、大人が子どもに教えるべきことや果たすべき役割を放棄しているようにも感じてしまいます。

「大人が車を安全に運転することができないから、保育園におけるお散歩を廃止しよう」というのはあまりにも大人重視な考えです。「お散歩は不要だ」という人は、今一度考え直してみてほしいと思います。そして、街でお散歩中の園児を見かけた時には、挨拶をしたり話しかけたりしてみてください。それが子どもにとって大切な社会経験のひとつになるはずです。

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