東京駅「八重洲」方面はかつて駅の「裏口」扱いだった!

  • 東京駅
東京駅「八重洲」方面はかつて駅の「裏口」扱いだった!

\ この記事を書いた人 /

大居候のプロフィール画像

大居候

フリーライター

ライターページへ

「日本の玄関口」である東京駅――。そんな東京駅の八重洲口にはかつて橋の架かった外堀があり、駅の「裏口」扱いを受けていました。その歴史について、フリーライターの大居候さんが解説します。

  • /wp-content/uploads/2021/12/211215_tokyo_06.jpg
    1909(明治42)年測図の東京駅周辺の地図。上から呉服橋、八重洲橋、鍛冶橋の記載がある(画像:写真AC)
  • /wp-content/uploads/2021/12/211215_tokyo_01.jpg
    東京駅の八重洲口(画像:写真AC)
  • /wp-content/uploads/2021/12/211215_tokyo_02.jpg
    1920年頃の東京駅周辺の地図。八重洲通りはまだない(画像:国土地理院)
  • /wp-content/uploads/2021/12/211215_tokyo_03.jpg
    在りし日の鉄道会館ビル。2008年3月撮影(画像:(C)Google)
  • /wp-content/uploads/2021/12/211215_tokyo_04.jpg
    1963年頃の東京駅周辺の航空写真(画像:国土地理院)
  • /wp-content/uploads/2021/12/211215_tokyo_05.jpg
    東京駅の八重洲口(画像:写真AC)
この画像の記事を読む

関連記事