情熱はカレーより熱い!リトルインド西葛西の立役者「江戸川インド人会」の奮闘(後編)
「リトルインディア」として知られる西葛西の礎を作った「江戸川インド人会」会長・ジャグモハン・チャンドラニさん。後編では、1978(昭和53)年に来日したチャンドラニさんの奮闘の歴史を振り返ります。家庭料理の代行業も始めた(前編はこちら) 1998(平成10)年。インドから来日した多くのIT技術者がジャグモハン・チャンドラニさんの支援によって、西葛西に住めることになりました。しかし、さらなる課題が。実は彼らは、普段から家事全般を奥さんに任せていたこともあり、日本で住居は得ても、スムーズに料理を作れる人がほとんどいなかったのです。 笑顔を見せるジャグモハン・チャンドラニさん(2018年6月13日、ULM編集部撮影) チャンドラニさんはここでも行動を起こしました。1999(平成11)年の後半ごろ、日本料理店だった物件を改装し、「スパイスマジック カルカッタ」を作りました。開店当時は、現在の「インド料理店」といった雰囲気ではなく、いわば彼らのための食堂。提供するのは北インド料理のみで、インド人スタッフを2人雇い、1食700円の食べ放題制にしました。インドに古くから根付くHMR(Home Meal Replacement。家庭料理の代行業)」の実践です。予想通り、お店はIT技術者たちでにぎわいました。 西葛西駅の駅前の様子(画像:写真AC) 同時期に、チャンドラニさんは「江戸川インド人会」の2代目会長に就任しました。会でこれまで行ってきた同朋からの悩み相談をよりスムーズに行うため、インターネット上に「Eグループ」という名のオンラインコミュニティを作りました。 「Eグループ」は、コミュニティに登録したメンバーが質問や相談を投稿すると、他のメンバーが答えるという仕組みです。使わなくなった家庭用品の譲渡から、子どもの学校に関することまで、さまざまな投稿が寄せられました。「Eグループ」の総利用者は2018年までで数千人に上ります。「江戸川インド人会」も現在では、30~40人のボランティアスタッフが常時集まるまでに大きくなりました。 1万人規模のインドフェスも、地域の日本人と一緒に 同朋支援のためにチャンドラニさんが行ったことは、まだあります。同じく1999年には、インドの秋の収穫祭を再現した「東京ディワリフェスタ西葛西」をスタート。初年度の参加者はインド人30人のみでしたが、翌年は110人、翌々年は300人と少しずつ増えていきました。 自転車に乗るインド人の子供(2018年6月13日、ULM編集部撮影) 当初、会場として使っていた江戸川区のイベントホールには人が入りきれなくなったため、新田6号公園へ会場を移すことに。今では約1万人が訪れるまでのイベントに成長しました。そして何より、西葛西に住む日本人とインド人のもっとも大きな交流イベントとして機能するまでになったのです。 「今では多くの日本人ボランティアが手伝ってくれます。お祭りが始まると、インド人も日本人もいっしょになって踊りますし、そこに国境はありません。20年近く開催していますが、もう西葛西に住むみんなのお祭りです」 チャンドラニさんのコミュニティ支援はまだまだ続きます。2000年にはシェアハウスを設立。2001年には、技術者たちが奥さんや子どもたちを連れて来日するようになったため、日本で困らずにインド料理が作れるよう、インド食材店もオープンしました。 西葛西駅前を歩くインド人(2018年6月13日、ULM編集部撮影) 続けて、2歳から5歳までの児童を対象にした小さなインド人学校も設立し、10名以上の子どもたちが常時通うまでなりました。学校の運営はその後、他人に無償で譲りました。 「机も椅子も全部あげてしまいました。その学校ですか?今ではとても大きくなって800人も生徒がいますよ。ちょっと惜しいことしちゃったかな。わっはっはっはっは!」 チャンドラニさんが彼らに対して献身的になれるのは、「社会が自分を育ててくれた」という思いがあるからです。他人から受けた恩や親切は、時間や場所の制約から、必ずしも当人に直接返せるわけではありません。ならば、その恩は別の人に与えよう、というわけです。 意外に多い、インドと日本の共通点 また、西葛西という土地柄にも助けられているとチャンドラニさんはいいます。 チャンドラニさんが経営するインド料理店「スパイスマジック カルカッタ 本店」(2018年6月13日、ULM編集部撮影)「私が西葛西に来たころ(1979年)、この辺りには何もありませんでした。今住んでいる日本人も、別の土地から移り住んできた人たちばかり。ですから、土地を取り仕切るような、いわゆる『主(ぬし)』がいませんし、誰かに過剰に配慮する必要がないのです。温厚な人が多いですし、何より『そっとしておいてくれる』、そんな雰囲気が西葛西にはありますね。その一方で、何かイベントをやる時には、雲のようにふわっと、自発的に人が集まってきます。『東京ディワリフェスタ西葛西』にしてもそうですよ」 加えて、チャンドラニさんにはゆずれない持論があります。「インド人と日本人は似ている」ということです。 「礼儀正しさ、年上の人を敬う心など本当にさまざまです。行事も似ているものがたくさんありますね。例えば日本人は赤ちゃんが生まれたら40日目にお宮参りに行くでしょう。あれはインドも同じです。日数も同じ。そのほかにも似ている行事がたくさんあります。共通点が本当に多い。親しみを感じないわけがないですよ」 「スパイスマジック カルカッタ 本店」で提供されるインド風の野菜天ぷら「パコラ」(2018年6月13日、ULM編集部撮影) 来日から40年。チャンドラニさんは今では「自分は日本人」という考えにたどり着きました。もちろん国籍はインドのまま。その理由をこう話します。 「私にはインドという『帰る場所』があります。だからこそ、『自分は日本人』と思うのです。何かあったらインドに帰られるという気持ちでいたら、日本に長く住むことはできないでしょう。住んでいる場所に溶け込む、周囲の人たちと同じだと思う、そういったマインド(心)が大切なのです」 言葉ではなくマインドで生きることが大切言葉ではなくマインドで生きることが大切 マインドで生きることは、チャンドラニさんにとってすべての行動の源です。「言葉」を例に出して、マインドの大切さを繰り返し説きます。 「スパイスマジック カルカッタ 本店」の店内に貼られた、これまでの掲載媒体(2018年6月13日、ULM編集部撮影)「人間が言葉を発するとき、頭の中で相手に何を言うか、まず言葉を選ぶでしょう。ですから、言葉はどうしても意図的なものなってしまいます。言葉の行間にある『マインド』はなかなか伝わらないのです。しかも、言葉は使いすぎると『角が立つ』場合が多いですからね。 インドに『手のひらの砂を落とさないために、手を開いたままにしておきなさい』といった古い言い伝えがあります。砂をつかもうとして意図的に手を握りしめると、砂は指の先からこぼれ落ちてしまうでしょう。そういうことです」(チャンドラニさん) インバウンドなどの増加を含めて、東京は今後、より一層国際化が進むことでしょう。そうした環境で生活していくには、チャンドラニさんのようなマインドを大切にする生き方がひとつの支えになるのかも知れません。 「そんなに固く考える必要はありません。まずは他人の隣に座って信用してあげましょうということ。全然難しくないでしょ。だって、インド人も日本人も同じ人間なのだから。そうでしょ。わっはっはっはっは!」
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