「やりたいものをやりなさい」と言われ
デジタル技術が発達し、スマートフォンひとつで誰でもあらゆる情報にアクセスできるようになった。出合ったコンテンツの中に自分なりの憧れを発見し、「私もそれになりたい」「この職業に就いてみたい」という夢を抱きやすくなった。その夢を実現する方法も、仕事の求人も、誰でも簡単に検索できる時代になった――。
今の若者は夢を抱きやすくなった、というのは本当か? いつの時代であっても、悩みや苦労はつきまとう(画像:写真AC)
現代を生きる若い世代は、そうした理由から「恵まれている」と言われることがあります。ただ一方で、あまりに情報があふれ過ぎるあまり本当に自分がやりたいと思うことを見つけられない、というジレンマを抱えることも少なくないようです。
やりたいことの見つけ方、周囲からの反対、そんな誰もが経験しうるハードルを経つつ、東京で今ひたむきに生きる20代のある女性のエピソードを紹介します。
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彼女には小学生ぐらいの頃、親から「やりたいものをやりなさい」と言われた記憶があります。
やりたいこと……? いざ何をしようかと考えると、「自分が好きなものってなんだろう」と悩み始め、気づけばそろばん、水泳、バトミントン、習字と勧められたものばかりに手をつけていました。
残念ながら、どれも全く長続きせず、いつも中途半端に終わるのを繰り返していました。
見つけた夢、思いがけぬ反対
そんなとき中学で出合ったのが英語です。決して得意科目というわけではなく、彼女より成績の良い同級生はいくらでもいました。けれど英語を学んでいるときはとても楽しく、もっともっと勉強したいと思うようになりました。
中学校で出合った英語学習が、彼女にとっての「やりたいこと」になった(画像:写真AC)
中学3年の夏、「○○高校の英語科に進みたい」と両親に伝えます。語学教育に力を入れる県立高校で、学区の中でも偏差値は最上位。留学生の受け入れも行っていて、毎日外国語の授業がある高校でした。
魅力的なカリキュラムである一方、彼女にとっては大きな挑戦です。でも両親はきっと背中を押してくれる。疑いもなしに両親に進路を相談したのです。しかし、返ってきたのは思わぬ言葉でした。
「好きだけじゃダメだ、得意じゃなきゃ」
15歳で抱いた素朴な「やりたいこと」は、図らずも最も身近な大人に反対されてしまったのです。
もしかしたら親なりに、彼女が上位校の授業に付いていけなくなることを心配していたのかもしれません。
結局、希望した高校の英語学科に進学することになりましたが、彼女の中は「好きなことをすると周りから反対されることがあるんだ」という驚きの記憶が残りました。
大人たちからの重い言葉
高校卒業後の進路面談で、担任からも予想外の言葉を掛けられた(画像:写真AC)
「記者になりたい」という志望を当時の担任教諭に相談すると、「あなたに記者なんかできるはずない」とバッサリ。
なぜそう言われてしまったのか理由はもう覚えていませんが、10代の子どもにとって大人からの否定は絶大な意味を持ちます。
彼女はまたしても自信をなくし、いったんはその夢を諦めることにしたのでした。
それから10年後の現在、彼女は
担任からあの言葉を言われてから、はや10年。彼女は今、英語でのインタビュー取材も行う記者の仕事に就いています。高校卒業後に進学した大学では引き続き英語を専攻。在学中、親に頼み込んで英語圏の大学への留学も果たしました。
今の仕事を通して彼女は、「私は文章を書くことと、英語が本当に好きだったんだ」と、あらためてしみじみ思うといいます。
でも、それに気づくことができたのはだいぶ経ってから。もし親や担任に反対されたとき、もっと「やりたい!」と意思表示をしていたら、遠回りはしなかったかもしれません。
「本当に好きなものはきっと当たり前のように自分の中に存在していて、私の場合、気づくまでに人より時間がかかったのだろうと思います」
ではどうしたら、その「好き」を自分自身で認識できるのか? 彼女は、「とにかく行動すること」だと考えます。
自分の劣等感との付き合い方
知らない世界へ行き、普段出会わない人に出会い、知らない情報に触れること。彼女の場合は、大学在学中の海外留学やバックパッカーとしての旅を経験しました。普段でも飲み会にはなるべく顔を出し、そのたび新しい人との出会いを期待するのだと。
大学時代、海外留学やバックパックの旅を経験し、知らない世界をたくさん見た(画像:写真AC)
そこで十人十色の生き方を学び、この人みたいになりたい、というエッセンスを少しずつもらい、自分なりの形を築くこと。
最初は誰かの真似事みたいで嫌気が差すかもしれないけれど、徐々に自分のスタイルが確立していくので大丈夫、と彼女は笑います。「だって、ピカソも最初はいろいろな画家の模写をしていたんだから」
かつて彼女に「好きなだけじゃダメ」と伝えた親も、自分の「好き」を「得意」に変えた娘の活躍を今は温かく見守っているといいます。
「私は、実は常に大きな劣等感を抱いています。どうしたらうまくいくのか。だからこそ、今後自分がどうしていきたいのか、何が好きなのかを知ることは、そうした自分を克服する手がかりになると思うんです」
新型コロナ禍で急速に普及したオンライン関連の催しも、彼女に新しい出会いをもたらしました。彼女が住む東京と、九州、はたまた海外と、多くの人とつながれるチャンスとなりました。
コロナは今なお現在進行形でさまざまな制約を世の中に与えています。人に会いにくい、転職しにくい、やりたいことを素直にできない。
その中でも、まず自分が何をやりたいのか、限られた環境の中で、それを目指すために何ができるのか。地味で地道で、何の結果にも結びつかないかもしれないと不安になるけれど、とにかく行動してみるというのが彼女の方針です。
結局は「行動する」しかない
急がば回れという言葉があります。自分は人より遠回りをしたのかもしれないと思っていた彼女も今は、「無駄なことはたぶん何もなかった」と思いが変化しました。
大好きな英語を生かしたインタビュー取材、大好きな文章を生かした記事執筆。彼女は夢を実現させた(画像:写真AC)
たとえば、いつもなら絶対にしないことに挑戦してみる。おしゃれな街ってなんか苦手と思っている人は、思いきって表参道のカフェに行ってみる。家でゴロゴロしているのが何よりの幸せと感じる人は、奥多摩の自然に触れてみる。
その先で、予期せぬ展開があるかもしれません。たとえデジタル技術が発達し、スマホひとつであらゆる情報にアクセスできるようになった現代であっても、結局は自分自身の小さな行動の先にしか夢につながる手がかりはないのでしょう。
その小さな行動の積み重ねが、人生に大きな意味をもたらすのだと、彼女は自分自身の体験から考えています。
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