上野動物園の中になぜか「五重塔」が建っているワケ

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上野動物園の中になぜか「五重塔」が建っているワケ

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広岡祐(文筆家、社会科教師)

東京には江戸時代から昭和・平成まで建立されたさまざまな五重塔があるのをご存知でしょうか。文筆家の広岡祐さんがその歴史について解説します。

日本に伝わった仏塔の姿は

 かつて江戸の市中には4基の五重塔がそびえ、「江戸四塔」とよばれて庶民に親しまれてきました。

・寛永寺(台東区上野桜木)
・増上寺(港区芝公園)
・浅草寺(台東区浅草)
・天王寺(同区谷中)

の五重塔です。

 空高く伸びる仏塔は、現在の東京タワーやスカイツリーに匹敵する存在だったことでしょう。

 徳川幕府の終焉(しゅうえん)から150年あまり。21世紀の今も残る江戸時代の五重塔、そして昭和・平成に新たに建立された東京の仏塔をたどってみましょう。

※ ※ ※

 仏教はインドから中国、朝鮮半島を経由して日本に伝来しました。今から約1500年前のことです。仏塔はサンスクリット語でストゥーパとよばれ、本来は釈迦(しゃか)の遺骨「仏舎利(ぶっしゃり)」を納める墳墓として崇拝の対象となっていました。

 東アジアに広がった仏教は、各国の文化を取り入れて発展していきます。インドでは墳丘状の構造物だったストゥーパも、中国では楼閣風、朝鮮では石造仏塔と、さまざまな姿に変化していったのでした。

 日本に伝わった仏塔は、わが国独自の優美なデザインをもつ木造建築物になりました。信仰の対象が金堂にまつられた本尊にうつると、敷地外からも眺めることのできる仏塔は、次第に寺院のシンボルとしての色彩を強めていきます。

 現在、わが国で見ることのできる江戸時代以前の五重塔は26基。昭和・平成に建立されたものは50基をこえているそうです。

徳川家と五重塔 

「どうして動物園に五重塔があるの?」
「お寺みたいね」

 上野動物園(台東区上野公園)のベンチでくつろぐ親子連れのご家族の会話が聞こえてきます。総合案内所の裏手、広い休憩スペースの目の前に現れた仏塔は、確かに奇妙な感じがします。

寛永寺五重塔。高さは36.4mで、4層までは本瓦葺(ぶ)き、5層は銅瓦葺き。初層に安置された4体の仏像は東京国立博物館に寄託されている(画像:広岡祐)



 東京の五重塔を語る上で忘れてはならないのが、徳川将軍家の存在です。上野動物園のある上野恩賜公園は、もとは徳川家の菩提(ぼだい)寺・東叡山寛永寺の寺域でした。五重塔は老中をつとめた大名・土井利勝の寄進によって建立されたもので、本来は上野東照宮の堂宇のひとつ。1639(寛永16)年に火災で焼失しますが、同年に再建されています。

 動物園や美術館、博物館の点在する、53haにおよぶ広大な上野公園はすべて寛永寺の境内だったのです。五重塔は明治の廃仏毀釈(きしゃく)をまぬがれ、1958(昭和33)年に東京都に寄付されました。

東京大空襲で失われた増上寺の五重塔

 寛永寺と並ぶ将軍家の菩提寺が芝の増上寺です。

 天台宗の寛永寺に対して、増上寺は浄土宗の寺院。増上寺に建立された五重塔は、2代将軍徳川秀忠の供養塔として1600年代の半ばに建立されたもので、1800年代初頭の火災で焼失しています。

 9年後に再建された2代目の塔は寛永寺と同様、幕末の動乱を生き延びたものの、1945(昭和20)年の東京大空襲で失われました。

戦前の増上寺の絵はがき。五重塔は壮大な伽藍(がらん)や徳川家の霊廟(れいびょう)とともに焼失している(画像:広岡祐)

 増上寺の寺域の多くは戦後に芝公園となり、その西側に建設されたのが東京タワー(港区芝公園)です。赤く塗られた昭和の電波塔は、江戸の五重塔の伝統を引き継ぐことになったのかもしれません。

池上本門寺にも五重塔

 増上寺に代わって江戸四塔のひとつに数えられることもあるのが、池上本門寺(大田区)の五重塔です。

現在の本門寺五重塔。昭和30年代に瓦の葺き替えが行われ、平成に入って大規模な解体修理が完了している(画像:広岡祐)

 本門寺は日蓮(にちれん)宗の大本山で、五重塔は2代将軍徳川秀忠の乳母、岡部局の発願で建立されました。1608(慶長13)年築の五重塔は戦災をまぬがれ、重要文化財に指定されています。

浅草寺の五重塔は1973年に復興

 東京大空襲で五重塔が焼け落ちたもうひとつの大寺が、浅草の金龍山浅草寺(台東区)。

 庶民の参詣を集めた浅草寺は、江戸時代から行楽の中心としても栄えた場所でした。昭和三十年代より境内の本格的な復興が進み、戦後28年目の1973(昭和48)年、回廊をもつ五重塔が完成しています。

浅草寺の本坊、伝法院の庭園から見た五重塔。観光客でにぎわう境内とは異なり、落ち着いた印象を受ける(画像:広岡祐)



 5億円の浄財を集めた新しい塔は近代的な鉄筋コンクリート造りで、使用したアルミ製の瓦の重さは土瓦の10分の1だそうです。

放火された天王寺五重塔

 幸田露伴の小説『五重塔』に登場したのが、冒頭で紹介した谷中天王寺の塔です。

 官軍と彰義隊が戦った幕末の上野戦争で奇跡的に焼け残りました。

 東京大空襲も生き延びて、戦後は谷中霊園のシンボルとなっていた五重塔でしたが、1957(昭和32)年7月、放火心中の舞台となり全焼してしまいます。

谷中霊園に保存された旧天王寺五重塔の礎石(画像:広岡祐)

 焼け残った部材の一部は、4年後に建立された天王寺毘沙門堂の部材に利用されたといいます。

昭和・平成の五重塔をめぐる

 最後は、昭和平成期につくられた五重塔を紹介しましょう。

 1980(昭和55)年5月5日、高幡不動の通称で知られる金剛寺(日野市高幡)に五重塔が完成しました。関東三大不動のひとつとされる金剛寺は、新選組副長・土方歳三の菩提寺としても知られる真言宗の寺院です。五重塔は春の大祭で公開されています。

参道から見た仁王門(重要文化財)と五重塔。平安初期の様式を模した塔は高さ39.8m(画像:広岡祐)

 青梅街道を西へ向かった瑞穂町。住宅地の間に畑や緑の広がるのどかな地域です。

 里山へとつながる高台にある福正寺(瑞穂町殿ケ谷)の五重塔は1983年築。奈良興福寺の塔を7分の1で再現したものだそうです。隣接する幼稚園の子供たちを見守るように、木々の間に静かにたたずんでいます。

中野区には平成に完成した五重塔も

 福正寺から9kmほど北、青梅市の中心部・旧青梅宿の中心部にあるのが延命寺(青梅市住江町)。1369(応安2)年創建の寺院で、同年には鎮守として青梅住吉神社も勧請(かんじょう)されています。宿場町・青梅の歴史を語る古刹(こさつ)です。

 境内右手に建てられたかわいらしい木造の五重塔は昭和初期の建築。小型ながら、築90年近い貴重なものです。

1934(昭和9)年築の延命寺五重塔。背後に見える津雲國利邸は、同じ年に完成したしゃれた和風建築)(画像:広岡祐)



 高徳院(中野区上高田)は、妙正寺川のほとりにある真言宗の寺院です。

 住宅地のなかにそびえる五重塔は、今回紹介した建築のなかではもっとも新しい1995(平成7)年の完成。密集した住宅地のなかに、こつぜんと現れる五重塔も不思議な魅力があります。

 信仰の対象として、そして街のランドマークとして親しまれてきたさまざまな五重塔。あなたも歴史に彩られた東京の五重塔を見上げてみませんか?

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