戦前は働く庶民の「エナジードリンク」だった。浅草のファストフード、ドジョウ料理。

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戦前は働く庶民の「エナジードリンク」だった。浅草のファストフード、ドジョウ料理。

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浅草そして東京の名物であるドジョウ料理。現在では高級料理となったドジョウ料理ですが、もともとは牛丼のような庶民的なファストフードでした。そして人力車夫や行商人のような、体力を使う労働者に特に愛されたのです。なぜドジョウは東京の働く庶民に愛されたのでしょうか?食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。

東京名物、高級ドジョウ料理

 浅草のドジョウ料理老舗、駒形どぜう。

駒形どぜう (画像:近代食文化研究会)



 鍋が2,000円台、鍋定食が3,000円台(2022年現在)というお値段。お酒とともにゆったりと東京名物ドジョウ料理を楽しむ、やや高級なお店です。

ドジョウ鍋(画像:photoAC)

 ところが戦前の駒形どぜうの雰囲気は、現在とは違うものでした。

 若月紫蘭 『東京年中行事 上の巻』(1911年刊)に描かれている、明治時代末期の駒形どぜうの店内の雰囲気は、次のようなものです。

『東京年中行事』に描かれた明治時代の駒形どぜう店内(画像:国立国会図書館ウェブサイト )

 “お客はどちらかと云へば勿論(もちろん)中流以下が多い”

 お客の中心は庶民でした。というのも、当時のドジョウ料理は値段が安かったからです。 

戦前のドジョウ料理は安価なファストフード

 “値段の安いのが目つけもので、鰌(どじょう)鍋六錢、鰌汁一錢五厘、お酒七錢御飯一人前四錢(中略)従って鍋と汁とに飯と酒までつけた處(ところ)が二十錢足らず、飯と汁だけですませば高が六七錢で事が足る”

 当時の主力商品「ドジョウ汁にご飯」は6-7銭。格安な上に座ったらすぐ出てくる、現在の牛丼のようなファストフードだったのです。

 戦前の東京ではドジョウ専門店だけでなく、一膳飯屋のような庶民的な食事処においても、ドジョウ汁とご飯を提供していました。

 安いドジョウはまた、庶民の家庭のおかずとしても重宝されました。

江戸東京のドジョウ売り 伊藤晴雨『江戸と東京風俗野史 四』1930年刊より(画像:国立国会図書館ウェブサイト)

 この絵は、江戸時代から戦前にかけて東京の下町で見ることのできた、ドジョウの行商人。家の主婦はこのような行商人からドジョウを買いおかずにするのですが、生きたドジョウは女性にとっては気持ちが悪いものなので、こういうふうに一匹一匹さばいて売っていました。

 安いのも当然のことで、当時の農村ではドジョウがたくさん捕れたのです。戦後農薬が普及することでドジョウは激減。現在のような高級食材になってしまったのです

 “飯時分前後になると、朝から車夫行商人を始めとして、色んな種類の人がエンヤエンヤと詰めかける”

 明治時代末期の駒形どぜうですが、人力車夫や行商人のような、体力を使う労働者の客が目立っていたようです。というのもドジョウは安いだけでなく、精力がつく食材であると考えられていたからです。

江戸時代のエナジードリンクだったドジョウ料理

 ドジョウ料理が文献に現れるのは室町時代末期。江戸時代になるとドジョウ汁として広く食べられるようになります。そしてウナギと同じように、ドジョウを食べることで精がつくと信じられていました。

 井原西鶴の『好色一代男』は、その題名の通り好色な主人公の一生を描いた作品ですが、物語は主人公が女性だけの島、「女護の島」へと船で旅立つところで終了します。

ドジョウを満載した船で出帆する主人公 井原西鶴『好色一代男』1684年刊より(画像:国立国会図書館ウェブサイト)

 主人公は船に乗る際に、様々な強精剤や精のつく食べ物を満載して出帆するのですが、その際に積まれていたのが生きたドジョウでした。

 江戸時代の笑話集『軽口御前男』では、精力が衰えた老僧に対し、檀家がドジョウを食べることを勧めています。

 農山漁村文化協会の『日本の食生活全集』は、大正から昭和初期の日本各地の食生活の聞き書きを集成した全集ですが、日本各地で土用丑の日にドジョウを食べています。

 ビタミンにカルシウム、タンパク質が豊富なドジョウは安くて美味しいバランス栄養食。精がつくかどうかはさておき、労働者の栄養補給に役立っていたことは間違いありません。

またたくまに三都に広がった柳川鍋

 江戸生まれのドジョウ料理に、骨抜きドジョウ鍋を鶏卵でとじた柳川鍋があります。

柳川鍋(画像:photoAC)

 福岡県柳川市発祥説もありますが、これを裏付ける文献はありません。江戸時代の資料、喜田川守貞の『守貞謾稿(もりさだまんこう』、久須美祐雋(くすみすけとし)の『浪花の風』、いずれも柳川鍋は江戸発祥としています。

 『守貞謾稿』によると文政年間(1818~1830年)はじめに江戸で売り出された柳川鍋は、江戸時代のうちに京都大坂へも普及したそうです。この普及速度は、江戸時代としてはかなり速いものです。

 しかも柳川鍋の値段は200文と、ドジョウ料理としては、そしてかけそば一杯16文の時代としてはややお高め。それなのになぜ、これほど速く三都に広がったのでしょうか?

 実はドジョウと同じく柳川鍋に使う鶏卵にも、精力増強効果があると思われていたのです。

 渡辺信一郎『江戸の生業事典』(1997年刊)によると、江戸のゆで玉子売りは遊郭吉原の名物だったそうです。鶏卵に精力を増す効果があると信じられていたからです。

 “是さには ようききますと 玉子売り”

 アレによく効きますよ、といって売り歩くゆで玉子売りを詠んだ川柳です。

 ドジョウに鶏卵の、ダブルの強精効果。柳川鍋があっというまに三都に広がった理由は、そのわかりやすさにあったのではないでしょうか。

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