みんな大好き「かつサンド」 初期ブームを作ったのは花街の芸者だった!
2021年10月17日
知る!TOKYO今ではメジャーな食べ物のなかで、花街や芸者衆とともに発展したものがあります。いったい何でしょうか。解説するのは文教大学国際学部准教授の清水麻帆さんです。
花街で生まれた「かつサンド」
芸者屋などの集まった花街――その最盛期は明治から大正、昭和初期にかけてでした。東京の代表的な花街といえば、
・柳橋
・新橋
・赤坂
・芳町(現・中央区日本橋人形町)
・神楽坂
・浅草
でした。そうした花街や芸者衆とともに発展し、今も広く一般に食べ続けられているものがあります。今回はそれらについて取り上げます。
※ ※ ※
ひとつ目は「かつサンド」です。かつサンドの発祥は1930(昭和5)年創業、箸で切れるやわらかいとんかつを考案した、上野のとんかつ屋「井泉(いせん)」(文京区湯島)といわれています。
井泉は今も変わらぬ人気店。戦前は1日約600人、バブル期は1日約600~700人が訪れ、コロナ前でも約550人に上ります。かつサンドが生まれたのは、創業に近い1930年代頃です。
とんかつをパンに挟む発想は、初代女将(おかみ)ならではでした。初代店主・石坂一雄さんの孫で、3代目女将(代表取締役)を現在務める石坂桃子さんによると、祖母の初代女将・石坂登喜さんは明治生まれだったものの、朝食はパン食に紅茶でサンドイッチを好んでいました。実際、後述する銀座の資生堂フルーツパーラーにもよく通っていました。
そんなハイカラな初代女将がかつサンドのヒントを得たのは、ハムサンドからです。初代店主が店でとんかつを揚げているのを見ていたとき、「とんかつをハムサンドのようにパンに挟んだらおいしいのではないか」と考えました。すでに当時、かつサンド用のソースも考案されています。
また特筆すべきは、通常のパンより小さいパンを特注して、かつサンドを作ったことです。その背景には、井泉がある湯島(当時は下谷同朋町)は当時花街として栄えており、多くの芸者衆が同店にとんかつをよく食べにきていたことがあります。
芸者衆と交流のあった初代女将は、芸者衆の口元が汚れたり、口紅が取れたりしないように、小さいサイズのパンを特注しました。また、芸者衆はお座敷にいるあいだは食事を取れないため、芸の合間につまめるという思いもありました。

初代女将の思いやりから生まれた井泉のかつサンドは、口を大きく開けなくても食べられるサイズで、今も当時のままです。
そのほかの人気商品として、井泉にはたまごとカニサラダのサンドイッチもあります。たまごのサンドイッチは日本で定番ですが、カニサラダのサンドイッチはまだマイナーで、どちらかというとアメリカなどでよく見かけます。こちらもハイカラな商品といえます。
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