東京・町田市にまるで「隠れ里」のような場所があった! 新選組の近藤勇も通った宿場跡、今なお残る光景とは

  • 町田・稲城・多摩
東京・町田市にまるで「隠れ里」のような場所があった! 新選組の近藤勇も通った宿場跡、今なお残る光景とは

\ この記事を書いた人 /

小野和哉のプロフィール画像

小野和哉

編集者、ライター

ライターページへ

東京の多摩地域南部に位置する町田市。そんな同市に時が止まったかのような「異世界」があるのをご存じでしょうか。その名は「小野路」。編集者・ライターの小野和哉さんが歩きました。

町田市の北部にある小野路

 町田市の北部には、かつては交通の要所として栄え、いまもなお往時の宿場の雰囲気や、豊かな里山の風景をとどめている、「隠れ里」のようなスポットが存在しています。今回は、都心からふらっと行ける「小野路(おのじ)」の宿場跡の風情と、里山の散策ルートをご紹介したいと思います。

 小野路の宿場町跡までのアクセスは、京王多摩センター駅や、小田急の鶴川駅からバスで20~30分ほど。新宿からは電車を経由して1時間ちょっとでたどり着ける立地です。

小野路の街並み。掘割には静かに水が流れている(画像:小野和哉)



 鎌倉街道とともに発達したという宿場町の雰囲気を存分に味わうために、小野路の少し手前から散策をスタートしましょう。

ニュータウンから鎌倉古道への分け入る

 多摩センター駅前のバスターミナルから永山駅行きのバスに乗り、10分ほど。「恵泉
女学園大学入口」で降車すると、多摩センター駅周辺のモダンな人工都市の景色が一変、緑一色となります。南多摩尾根幹線道路をまたぐ歩道橋を渡り、一本杉公園の輪郭をなぞるように南へと歩いていくと、道が二股に分かれます。

うっかり見逃してしまいそうな左側の古道(画像:小野和哉)

 左は鎌倉街道の古道、右はかつて神奈川県伊勢原市大山の大山阿夫利(おおやまあふり)神社への参拝に使われた道のひとつ、旧大山街道です。ここから先は、「異世界」への入り口。ニュータウン開発がおよばなかった多摩の原風景が広がります。どちらの道も小野路宿跡へと続きますが、今回は左の古道へと足を踏み入れてみます。

 舗装のされていない雑木林に囲まれた細道が続きます。都会の騒がしさから隔離された静寂の世界。かつての旅人や武士がこの道を往来したのかと想像を巡らせると、気持ちが高まります。歩いていると道の両側がこんもりと盛り上がっていることに気づきますが、これは鎌倉街道の特徴のひとつ。掘り切り、つまり地面を掘って凹地になっています。

 少し脇道にそれると、両脇から壁が迫ってくるような深い切り通し(関屋の切り通し)が現れます。布田道(ふだみち)と呼ばれている道で、案内板によると、かつてこの道を近藤勇が歩いて小野路宿へと通ったそうです。道を戻り、しばらく歩くと雑木林の景色がひらけて、小野路宿跡へとたどり着きます。

時代の変遷とともに栄えた鎌倉街道の宿場町

 小野路は古くから鎌倉と武蔵国を結ぶ、鎌倉街道の宿として発達した町です。府中・鎌倉間の幹線武蔵路の宿駅としての機能が衰えた後は、川越・府中方面から小田原に至る街道の要衝として機能しました。

 また幕末以降は、生糸の輸出をはじめとする八王子、横浜間の主要経済ルートとして栄えたようです。幕末~明治初期には、宿の中に「角屋」「福島屋」「池田屋」「煙草屋」「河内屋」「中屋」の六つの旅籠(はたご)があり、にぎわいました。

真っすぐに舗装された宿場の道(画像:小野和哉)



 道に沿って伸びる板塀の家並み、そして掘割が、往時の面影をそこにとどめています。電信柱は地中化しているのか一切見当たりません。建物も階層が低く抑えられているようで、地域ぐるみで宿場町の景観を保護・再現しようという意思が感じられます。

 小野路村には5人の名主がおり、そのうち小島家と橋本家には剣術指南に近藤勇や土方歳三がしばしば訪れたそうです。小島家所蔵の貴重な資料は、邸宅内に1968(昭和43)年に開設した私設の「小島資料館」(町田市小野路町950)で展示されています。

 かつての旅籠や古民家は改修され現在もさまざまな活用がなされています。

 例えば旧角屋は、小野路里山交流館(小野路町888)として改修され、地の野菜などを使った食事や買い物が楽しめる小野路観光の拠点として利用されています。近くにあるコミュニティースペース・ヨリドコ小野路宿(小野路町892)も古民家を改修した施設だということです。

まるで「となりのトトロ」! 谷戸田の美しい風景

 散策はまだまだ続きます。

 小野路宿の西側に迫る丘陵地帯は、そのうちの約37haが「図師小野路歴史環境保全地域」に指定されており(1978年)、多摩丘陵の典型的な里山風景を残しています。東京都環境局のホームページによると、歴史環境保全地域とは「歴史的遺産と一体となった自然の存する地域」のこと。歴史のロマンを感じながら歩いてみましょう。

 小野路宿跡の入り口にある小野神社の脇の道を進んでいくと、左手に広大な農地が広がります。その向こうには、緩やかな稜線(りょうせん)を描く丘陵がこんもりと姿をのぞかせ、典型的な多摩地域の里山風景を形成しています。

 萬松寺(小野路町344)の脇を通りさらに奥へ進むと、万松寺谷戸へと到達します。谷戸は、丘陵地帯が侵食されて谷状に切り開かれた地形のこと。多摩には「~谷戸」という地名が多く存在し、かつては谷戸ごとに行事が行われるなど、地域の結びつきも強かったと言われています。また谷戸は湧き水が豊富で、「谷戸田」と呼ばれる水田としての利用が盛んでした。

谷戸の入り口には「草木塔」と呼ばれる、草木に感謝を込めて建てられた碑があります(画像:小野和哉)



 まるで映画『となりのトトロ』にも出てきそうな美しい風景ですが、トトロの舞台ともされる埼玉県所沢市の狭山丘陵もまた、緑豊かな里山と谷戸で構成された武蔵野の代表的な里山とされており、景色が似てくるのも必然的なことと言えます。

小野路城の現在

 万松寺谷戸を迂回(うかい)するように南側へ続く道へと入っていくと、次第に雑木林が深くなり、丘陵を登るきつい傾斜が待ち構えています。この辺りはもう、環境保全地域の区域となります。

 舗装された道が尽き、さらに細道を進んでいくと、藪の中で木々に囲まれひっそりとたたずむ「こうせん塚」が現れます。

 ボロボロの案内板によると、麦こがし(大麦を煎って焦がし、石臼でひいて粉にしたもの、香煎)にむせて死んだ老婆をまつったもの、小野路城の関門があって「通せん場」と呼ばれたのが「関の神」「咳の神」に変化したという説、この付近の小野路城が落城した際に、ここで交戦があり、死者をまつった墳墓が「交戦場」と称せられ、その後「こうせん婆」と変じたとする説もあるそうです。

 その小野路城はどこにあるかと言うと、先ほどの舗装道の地点まで戻る必要があります。

 北に向かって進んでいくと、左手に横木の階段が現れます。えっちらおっちらと登っていくと、少しひらけた空間と、鳥居、その奥にポツンと建つ小さな社(八雲神社)に出迎えられます。小野路城跡地とされていますが、その形跡はほとんど残されていないようです。

小野路城城址を守護するように建つ小さな社(画像:小野和哉)

 社に手を合わせて、中をのぞいてみると、多摩地域における御嶽信仰圏の中心地となった武蔵御嶽神社(青梅市)の護符らしきものが見えます。

 階段を下りてまたしばらく歩くと、今後は右手に雑木林に分け入る道が現れます。足元に気をつけながら下りていくと、そこには湧き水が。「小野井戸」と呼ばれており、うそか誠か、その昔病にかかった小野小町がこの山に1000日こもり、この水で目を洗ったところ全快した、という伝説があるそうです。

往年の姿を取り戻した小野路の里山

 元の道に戻り、しばらく歩き続けると環境保全地域を抜けます。散策はいよいよクライマックス。道案内板を頼りにしながら「奈良ばい谷戸」を目指しましょう。時折、獣が通るような草木の生い茂る道もあり不安も覚えますが、奈良ばい谷戸に到着すると一気に視界が開けます。丘陵の高台から見下ろすその光景に、思わず息をのむでしょう。

現代の東京では見ることの少ない炭焼き小屋(画像:小野和哉)



 ゆるかな斜面に、棚田のように広がる田んぼ。夏の光を一身に受けまぶしく光る稲のじゅうたんがどこまでも続いていく光景に、静かな感動を覚えます。多摩ニュータウンが造成される前の多摩丘陵は、どこもこのような景色が広がっていたのでしょう。ちなみに「奈良ばい」という地名の由来は諸説あるようですが、その昔新田義貞の軍が鎌倉を攻めるときに「並べぇ!」と言って点呼をとったという面白い説もあるそうです。

 調べてみるとこの「奈良ばい谷戸」は、2009年度に結成された町田市のNPO法人によって管理・保全されており、田んぼも長らく放置されていた状態から、人に手によって現在の形にまで再生が行われたとのことです。私が訪問した日も、たくさんの方が田や畑の中で農作業をされていました。人と自然が調和し、共生する場所、「里山」の本来の姿を見た気がします。

 田んぼを横目に丘陵を下っていくと、交通量の多い道路へと抜けます。近くに「扇橋」というバス停があり、スタート地点の多摩センター駅に向かう京王バス[多45]が通っているので、帰りも楽ちんです。バスの本数は少ないので、谷戸のふもとにある無人販売所で野菜を買ったりして待つのもいいでしょう。

 都会からほど近い、宿場町跡と東京の原風景を残す里山。遠出をするのがなかなか難しい状況だからこそ、足を運んでみるのはいかがでしょうか。

●参考文献
町田市史編纂委員会 編『町田市史 上巻・下巻』(町田市)
池上真由美・清水克悦・津波克明『多摩の街道(下) 鎌倉街道・町田街道・五日市街道ほか』(けやき出版)
海野 弘『武蔵野を歩く』(アーツアンドクラフツ)

関連記事