東大赤門近くに堂々の存在感! お堅い名前の「東京大学史料編纂所」とは何か

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東大赤門近くに堂々の存在感! お堅い名前の「東京大学史料編纂所」とは何か

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近藤とも

ライター、都市生活史研究者

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東大赤門を入ってすぐのところにある東京大学史料編纂所。同所ではいったい何を行っているのでしょうか。ライターの近藤ともさんが解説します。

20万点を超える史料

 東京大学(文京区本郷)の赤門をくぐってすぐのところにある建物。そのなかに、東京大学史料編纂(へんさん)所(以下、編纂所)があります。同所はいったいなにをしているところなのか、皆さんご存じでしょうか?

東京の赤門(画像:(C)Google)



 編纂所は、古代から明治維新までのいわゆる「前近代」の日本史関係史料を対象とする研究所です。国内外に所在する各種史料を収集・分析するとともに、史料集として編纂・刊行しています。

 現在に残されている歴史研究のための古文書・古記録は、「資料」ではなく「史料」と表記します。くずし字などで書き残されたものは「古文書」と呼ばれることが多いのですが、古文書・古記録は別のものです。古文書は命令などを書いて人に伝えるためのもので、いわば「お手紙」の類い。古記録は日記などを指します。

 ちまたに出回っている史料には、複写した(書き写した)「写本」と呼ばれるものも多いのですが、史料編纂所では、20万点を超える原本が所蔵しています。これをもとに、各研究室で研究し、また閲覧を希望する人に提供するのが編纂所の役目なのです。

 所蔵されている史料は、100年以上にわたって全国から集められて作成した複製史料が多数所蔵されています。複製史料には複製方法によって影写本・謄写本・写真帳などの種類があります。また、寄贈・移管・購入等によって受け入れた多数の原本・写本類も。

 さらに国宝・重要文化財に指定されたものも所蔵。なお、一括して伝来した史料・図書などを「特殊蒐書」と呼びます。編纂所にあるもののうち、国宝島津家文書や重要文化財近藤重蔵関係資料・林家史料などがそれにあたります。特殊蒐書は全部で64件あり、史料総数は約1万点にも上ります。ここは、多くの貴重書をもつ日本随一の研究所なのです。

内部組織はどうなっているのか

 編纂所は

・古代史料
・中世史料
・近世史料
・古文書・古記録
・特殊史料

の各部門が史料の研究と編纂を行っています。

 そのほか「前近代日本史情報国際センター」や「画像史料解析センター」「技術部」「図書部」「事務部」で構成。画像史料センターでは絵画や画像史料の解析を、技術部では資料保存室が史料の修復や写真化などを担当。時流にそったデジタル化も図られています。

 編纂所に所属する研究者は東京大学の教員(教授・准教授・助教)で、60人近くに上ります。ほとんどが編纂所の専任ですが、ほかの学部との兼任教員もいます。各部門が編纂する史料や種類別にいくつかの部屋に分かれており、それぞれに数人ずつが所属。

 史料の閲覧を希望する人は、図書室への申し込みが必要です。図書室に開架されているものは影写本(筆跡をそっくり写し取ったもの)で、そのほかのものは請求して出庫してもらわねばなりません。また、貴重書は事前の申請が必要で、当日の申し込みは認められません。

 編纂所に来なければ見ることのできない史料も多く、日本史の、特に前近代の研究者はこの図書室に通います(2021年9月現在、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、学外者の利用は停止されています)。

100年後も終わらない仕事を手がける人たち

 次に、編纂所で編纂されている史料集をいくつか紹介します。

 まず、『大日本史料』です。これは編纂所での一番大きな仕事だといえるもの。歴史上の重要事件を「綱文」と称する事件の概要をあらわす文章で示し、その関連史料を列挙した資料集です。事件に関連して出された文書、事件を知る人が書き残した記録、系図や家譜、後世の著作や地誌などさまざまな事項を、推移がわかりやすいように整理しています。

 具体的には、887(仁和3)年から1867(慶応3)年までの約980年を16の編にわけて編纂していますが、現在ようやく第12編(江戸時代初期)までが着手されたところ。年1冊のペースで刊行されており、すべての編纂が終わるまであと100年はかかる見込みです。気の遠くなるような作業なのです。

東京大学史料編纂所のウェブサイト(画像:東京大学)



『大日本古文書』には、正倉院文書を中心に奈良時代の文書を年次の順序に収めた「編年文書」、寺社や諸家の文書を所蔵者ごとにまとめた「家わけ文書」、ペリー来航以降の「幕末外国関係文書」の3種類が存在します。

 このほかにも『大日本近世史料』『大日本維新史料』『維新史料綱要』『正倉院文書目録』『日本荘園絵図聚影』などの史料が出版されています。いずれも収集してきた古文書や古記録を読み解き、そこに書かれている事項や人物に関して明らかにする細かな作業を経ています。

編纂所のあゆみ

 史料編纂所の起源は、1793(寛政5)年に国学者として知られる塙保己一(はなわ ほきいち)が開設した和学講談所にあります。明治政府の修史事業は、和学講談所の仕事を引き継いで始められました。

 その後、1869(明治2)年に史料編輯国史校正局が開設されます。場所は現在の千代田区六番町でした。そして、内閣制度の成立とともに臨時修史局に。1888年、東京帝国大学に国史科ができると、修史事業はそちらにに移管されました。「臨時編年史編纂掛」というのが当時の名前でした。

 そして『大日本史料』『大日本古文書』が発刊されたのは、1901(明治34)年です。史料編纂所という名称は1929(昭和4)年から使われ始めました。また、戦後になって1950年に東京大学文学部から独立。東京大学の付置研究所として改組されて現在に至っています。

 また、現在も調査や他の研究機関との共同研究が編纂と並行して進められています。そのため、編纂所は日本史研究の最前線にある場所ともいえるでしょう。

 2021年4月にはロゴマークが制定されました。ホームページによれば

「史料を紐解き、永くつながる『歴史』を編む、という史料編纂所の基幹事業をイメージしたデザイン」

とのことです。

 史料編纂所では、時代の要請にそって現在は史料のデータベース構築を新しい仕事の分野と位置付けています。各種の日本史データベースは、ウェブでのアクセスが可能。史料の検索をしたり、出版された大日本史料の一部を見たりすることもできます。

 また、これまでには不可能だった画像史料の解析などもデジタル技術を使ってできるようになってきています。歴史研究はこれまでのイメージとは異なり、多角的な手段で行うことが可能になり、かつての日本の姿や先人の生きざまがより詳細に復元されてきています。

人物論より時代そのものを検証

 このように、史料編纂所では主に国や大きな社寺についての史料の編纂が行われています。ちょっと大枠だと思った人もいるかもしれません。しかし、それぞれのお住まいの自治体でも同じような作業が行われており、「〇〇市史」「〇〇区史」などがつくられています。お近くの図書館に所蔵されている場合が多いので、一度棚をのぞいてみてください。

東京大学史料編纂所の所在地(画像:(C)Google)



 これら、総称して「自治体史」と呼ばれるものは、主に各自治体の教育委員会や博物館などに委員会が設置され、その地域に詳しい大学教員などが編纂者となってつくられています。

 地域の社寺を始め、個人宅の蔵に眠っているような史料を取り出して解読、くずし字を活字にする翻刻という作業を行って出版します。たいていの自治体史はかなりの分厚さですので、初めて見る人は驚くかもしれません。

 歴史は戦国時代や幕末が人気で、そうしたものは例えば織田信長であったり、坂本龍馬であったりといった人物論が多めです。しかし、史料編纂所では、彼らの生きた時代そのものを明らかにする事業が推進されています。

 気の遠くなるような作業と膨大な成果が現在は家からパソコンやスマートフォンで確認できます。ぜひ一度、史料編纂の仕事に触れてみてはいかがでしょうか。

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