作品からにじむ圧倒的な「生活」のにおい
それは東京23区、とあるマンションの一室を描いたアクリル画。
スチール製の玄関ドアに、排水管が壁をつたう簡素な洋式トイレ。水栓のみの蛇口が付いた小さな洗面台と、すのこの敷かれた浴室。いくつかの調味料とインスタント食品が並ぶ、台所脇の腰高の棚。
室内はきれいに整頓(せいとん)されて物は少なく、派手な装飾はなく、ただ隅々から香る圧倒的な生活の気配が「確かにここに誰かが住んでいる」ことを主張している――。
どこまでも写実的なのに物語があふれ出てくるような、不思議な魅力を持つ作品群が今、ツイッター上でじわり共感を集めています。
『玄関』S4号キャンバス、アクリル絵の具(画像:伊藤ゲン)
「懐かしさを感じる」
「若い頃を思い出した」
「ずっと見ていたくなる絵」
「自分の思い出がよみがえってくる」……
そんな感想が寄せられる各作品には、『部屋』『玄関』『水道の蛇口』『風呂場』とごくシンプルなタイトルが付けられ、左下には「伊藤ゲン」という署名。
この作者はどのような人物なのか? 見る者の想像をかき立てる作品の魅力と“匿名画家”の一端を追いました。
懐かしさを覚える、ひとり暮らしの気配
ただ目の前にある空間や物が描かれている“だけ”なのに、なぜ人を引き付けるのか。なぜ懐かしいと思わせるのか――。
この絵画から感じる“静けさ”の正体を探すとき、まず目にとまるのは随所ににじむ「ひとり暮らし」の気配です。
『冷蔵庫』S4号キャンバス、アクリル絵の具(画像:伊藤ゲン)
塩、しょうゆ、七味唐辛子など、必要最小限の調味料(肩ひじ張った料理は作らない人の台所だ)。
駅前のスーパーで買ったと思われる、税抜き298円のお総菜(いか里芋煮。遠い実家の味を思い起こさせる)。
今はなき国内電機メーカーのロゴが入った、2ドアの冷蔵庫(いつから使っているものだろう)。
「食べ切りサイズ」と書かれた、3枚入りの食パンの袋(ひとりで食べるにはこの枚数がちょうどいい)。
ひとり暮らしを経験したことのある人なら覚えのある、胸に迫るような懐かしさや切なさ、開放感と閉塞(へいそく)感の入り交じった空気をおのずと感じ取るはずです。
目の前のものを、日常の記録として描く
作者の伊藤ゲンさん(筆名)は今、都内にあるおよそ築50年のこのマンションに暮らしています。
「(絵を描き上げる)スピードは速い。アクリルを使うから。実は油絵の具を使いこなせない。乾きの時間が待てないの。『玄関』とか『風呂』とか(の作品)で2日から3日くらい。完成したら二度と手を入れない」
目の前にあるものを、そのままに描くといいます。配置や構図は考えず「ポンと切り取ったみたいに描きたい。ようは、日常の記録のようなもの」なのだといいます。
芸大を中退、演劇・映画の世界へ
新潟県出身。東京芸術大学(台東区上野公園)の油画専攻へ進学し、中退。
劇作家・唐十郎氏が率いる劇団唐組に入り、舞台美術と役者を兼任。8年在籍したのち映画美術の世界へ。絵をなりわいにしたことは、これまで一度もないといいます。
自身の住まう室内や、目の前にあるものばかりを選んで描くのはなぜか。
「今それが自分にとってリアリティーがあるから。――ぼくは今、映画のセットを設計し、制作し仕上げる仕事をしています。新品のものを、物語に沿わせて使い込ませ、成立させる必要があります。使用感とか経年劣化とかを表現することは、今の仕事のテーマでもあります」
「それなのに、いざ自分の生活を見つめるときは、それが“テクニック”になってしまうことを恐れます。“ムード”になってしまうからです」
見たことのあるような画面構成や、感情的なタッチ、作者として物語性を付与することをあえて排除する作風の理由は、「対象にただ迫れば迫るほど、逆に精神性が表れるのではないか」と思うから。
そうした狙いが結果として、作品を見た人それぞれが自身の記憶と重ね合わせ「懐かしい」「自分の思い出のよう」と感じることにもつながっていると言えます。
ツイッターだから届けられたもの
芸術系大学の国内最高峰、東京芸大。しかし伊藤さんにとっては「なじめず、絵が描けなかった」場所でした。
「油絵にも古典技法にも疎(うと)くて、身近な素材で絵を描けばいいのかと思っていたら、そうではなかった。形式や格式が大事らしかった」
大学をやめようと決めたとき、ひとりだけ若い助手が「お前の絵、好きだ」と言ってくれ、のちにその作品を買ってくれた。そのことは今も覚えているといいます。
その後、いろいろなところへ作品を持ち込むも、うまくいかず。「自分は本当に選ばれし人間ではなかったのだと思います」
自分の作品を誰かに所有してもらいたい、認めてもらいたいという思いはあっても、持ち込みは「理解してもらえない人にわざわざ作品を見せる苦痛の作業」。自分の作るものに反応してくれる人など、100人にひとりもいないだろうとずっと思っていました。
2020年初頭からのコロナ禍では、映画の現場がたびたび中断。2021年7月にツイッターのアカウント(ゲン、@CYCW1fNWqxJcwTW)を取得し、作品を描いてアップしたところ、思いがけず反応が集まるようになりました。
『食パン』4号キャンバス、アクリル絵の具(画像:伊藤ゲン)
「ツイッターは不思議です。いろんな人の作品が、何の説明もなく並列的に並んでいる。そして、本当に絵を描きたくて描くことが必要で、そしてそれを見てもらいたいという人が驚くほどいっぱいいます。大学などの美術教育とは無縁のところで、すごい作品を作り出している人がいる。そうした作品は他では見られません」
自身の作品に寄せられるコメントにも、ひとつひとつ「ありがとうございます」「反応があって助かりました」と、お礼の言葉を返しています。ツイッターを通して小さな相互交流が生まれつつあります。
写実性が雄弁に語り出すとき
「プロもアマも関係なく、自由に発表して感想をダイレクトに伝え合えるツイッターはすごいなと思います。(自身の作品について)自分では確信がなくて『こんな軽い絵が絵画と呼べるのだろうか』と思っていたものにも、コメントが付いてとても意外でした」
今は、自分の作品に対してゆっくりと共感が広がるのをツイッターで確かめられればいいか、と考えています。そして、同じようにほかの作り手たちの思いを自身も受け止めていきたい、と。
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伊藤さんの絵に、寂しさを感じるか、明るさを感じるか、開放感を見て取るか。それは見る人それぞれによって異なるのでしょう。
寡黙(かもく)なはずの写実的絵画がふいに何かを雄弁に語り出すとき、それは鑑賞者が無意識に自身の記憶と対話をしているからなのかもしれません。