快適便利な「相互直通運転」 大都市・東京でスムーズに行われるワケ

  • 東京
快適便利な「相互直通運転」 大都市・東京でスムーズに行われるワケ

\ この記事を書いた人 /

弘中新一のプロフィール画像

弘中新一

鉄道ライター

ライターページへ

2020年、都営浅草線・京成線の相互直通運転が60周年を迎えました。この相互直通運転ですが、いったいいつ頃から行われているのでしょうか。鉄道ライターの弘中新一さんが解説します。

直通運転と「市営モンロー主義」

 2020年の都営地下鉄は、

・都営大江戸線の全線開業20周年
・都営浅草線・京成線の相互直通運転60周年

という、ふたつの周年でした。コロナ禍のため大規模なイベントは行われませんでしたが、記念乗車券が発売がされました。

京成電鉄(画像:写真AC)



 このようなことから、異なる鉄道会社の直通運転は地下鉄の発展からと思われがちですが、私鉄各社の間では意外に古くから行われていました。

 例えば総武鉄道(現・総武本線)は、成田鉄道(現・成田線)の車両を途中の千葉駅で連結し、両国橋駅まで運行していました。両国橋駅は当時のターミナルで、人々は都心にはこの駅で乗り換え、都心に向かっていました。

 複数の会社にまたがる直通運転は戦前には既に当たり前の存在で、

・長野電鉄と信越本線
・富士急行と中央本線

など珍しくありませんでした。

 さて、現在のように地下鉄路線が建設される以前、山手線の内側は、路面電車を覗き、ほぼ鉄道空白地帯でした。その理由は、東京市が都心の公共交通は公営で行うという「市営モンロー主義」を重んじていたからです。

 この主義の強かった大阪が地下鉄も市営で実施したのに対して、東京は比較的緩やかで、地下鉄建設は民間資本によって行われました。それでも主義が保たれたため、郊外から都心へ向かう私鉄は山手線の駅までという形で路線を建設することに。

 ところが、郊外から都心に向かう旅客を山手線と路面電車で運ぶ流れは、次第に支障をきたします。戦時体制が進むと人の流れは増え、戦後の復興期になるとさらに増え、凄まじいラッシュとなったからです。

運輸省、1957年の通達

 こうした状況の中なか、1947(昭和22)年に東急が中目黒駅から東京駅までの延伸を申請。それを皮切りに小田急、東武、京成、京急も東京駅までの延伸を申請します。

 この時点で都内の地下鉄は、東京地下鉄道と東京高速鉄道の路線(現・銀座線)、東京市などが所有していた未成線の免許を受け継いだ帝都高速度交通営団のみでした。

 2004(平成16)年に東京メトロに移行するまで、長らく営団地下鉄の名で親しまれてきた帝都高速度交通営団は当時、東京の地下鉄を一元的に建設・経営する公共事業体でした。

 営団は官民の協力で事業をスムーズに進めるために生まれ、戦後は多くが再編。そうしたなか、東京都では前述の「市営モンロー主義」に基づき、地下鉄を都の管轄とすることを求める意見もありました。

多くの電車が行き交う東京(画像:写真AC)



 この状況を見た運輸省(現・国土交通省)は、東京の地下鉄整備計画の調整に乗り出します。1955年に発足した「都市交通審議会」では、都心の地下鉄計画の再検討を行いました。

 もともと都心の地下鉄計画は、1920(大正9)年に東京市が発表した「東京市区改正設計高速鉄道網」、1946年に戦災復興院が発表した「戦災復興院告示第252号」がありました。

 都市交通審議会はこれを再検討し、まず1号線から5号線までの地下鉄計画を発表。審議会が1956年に発表した答申では、

・都内地下鉄の建設を営団と東京都交通局によって実施すること
・私鉄の延伸ではなく、これから建設される地下鉄との相互乗り入れを推進すること

が定められました。

 この答申を受けて1957年6月、運輸省では営団と東京都交通局、私鉄各社に対して

・営団と東武、東急は北千住~中目黒間に新設する地下高速鉄道を通じ、相互直通運転すること
・東京都と京成、京急は押上~馬込および泉岳寺~品川間に新設する地下高速鉄道を通じ、相互直通運転すること

と通達しました。

 各社はこれを受けて覚書を交わし、直通運転を前提とした地下鉄建設工事は本格化していきました。

初の直通運転は1960年から

 こうして、答申以前に建設された銀座線と丸ノ内線、新路線の大江戸線以外は直通運転を前提に設計されることになりました。

 初の直通運転は、都営浅草線(当時は都営1号線)が1960(昭和35)年12月から。京成押上線との間で、浅草橋~押上間で実施。日比谷線は1964年8月の全線開通とともに、東急東横線日吉駅までの相互直通運転を始めています。

 相互直通運転は利便性向上を見込めるものの、工事には困難もありました。

 地下鉄建設は地上に線路を敷く場合よりも費用がかかります。そこで、銀座線や丸ノ内線では第三軌条方式(レールの横から集電する)を導入し、トンネルの大きさを小さくして費用を抑えました。

 しかし、相互直通運転はパンタグラフ方式(架線から集電する)にしなければなりません。そこで日比谷線では剛体架線という新たなパンタグラフの設備を導入、断面積をできるだけ小さくすることに成功しています。

パンタグラフ(画像:写真AC)



 都市交通審議会の答申の結果、東京では私鉄から地下鉄への相互直通運転が当たり前となり、利便性が高まりました。

 海外も相互直通運転が行われている事例はありますが、東京のように充実している事例はありません。こんなにスムーズに実施できるのも、戦後の早い段階で相互直通運転を決めたおかげといえるでしょう。

関連記事