快適便利な「相互直通運転」 大都市・東京でスムーズに行われるワケ
2021年6月27日
知る!TOKYO2020年、都営浅草線・京成線の相互直通運転が60周年を迎えました。この相互直通運転ですが、いったいいつ頃から行われているのでしょうか。鉄道ライターの弘中新一さんが解説します。
直通運転と「市営モンロー主義」
2020年の都営地下鉄は、
・都営大江戸線の全線開業20周年
・都営浅草線・京成線の相互直通運転60周年
という、ふたつの周年でした。コロナ禍のため大規模なイベントは行われませんでしたが、記念乗車券が発売がされました。

このようなことから、異なる鉄道会社の直通運転は地下鉄の発展からと思われがちですが、私鉄各社の間では意外に古くから行われていました。
例えば総武鉄道(現・総武本線)は、成田鉄道(現・成田線)の車両を途中の千葉駅で連結し、両国橋駅まで運行していました。両国橋駅は当時のターミナルで、人々は都心にはこの駅で乗り換え、都心に向かっていました。
複数の会社にまたがる直通運転は戦前には既に当たり前の存在で、
・長野電鉄と信越本線
・富士急行と中央本線
など珍しくありませんでした。
さて、現在のように地下鉄路線が建設される以前、山手線の内側は、路面電車を覗き、ほぼ鉄道空白地帯でした。その理由は、東京市が都心の公共交通は公営で行うという「市営モンロー主義」を重んじていたからです。
この主義の強かった大阪が地下鉄も市営で実施したのに対して、東京は比較的緩やかで、地下鉄建設は民間資本によって行われました。それでも主義が保たれたため、郊外から都心へ向かう私鉄は山手線の駅までという形で路線を建設することに。
ところが、郊外から都心に向かう旅客を山手線と路面電車で運ぶ流れは、次第に支障をきたします。戦時体制が進むと人の流れは増え、戦後の復興期になるとさらに増え、凄まじいラッシュとなったからです。
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